新選組副長・土方歳三の家紋【左三つ巴】と生涯を解説

新選組と言えば、もっとも名をよく知られているのは土方歳三でしょう。日本中に土方ファンが多く、現在も彼の足跡を求めて旅行をする人がいるほどです。非常に端正な男性としても知られ、現存する写真からも整った顔立ちがわかりますね。そんな彼の家紋と人生を解説します。

スポンサードリンク

武士になりたい夢をもつ日野生まれの少年

土方歳三は、東京の日野というところにある豪農の四男として生まれました。跡継ぎではなかったことから奉公に出されますが、番頭と喧嘩したことで日野の実家に戻っています。農家とはいえ、土方の実家はとてもお金がある裕福な家だったので、歳三もなにひとつ不自由なく育ちました。ただ、歳三はたとえお金があったとしても「農民ではなく武士になりたい」という夢を持っており、それに向かって行動することになります。

新選組を束ねた土方歳三

やがて上京し、結成した「新選組」の中で、土方は局長・近藤勇に次ぐ副長として活躍しました。新選組は、「たとえ武士ではない身分だったとしても、入れば武士になることができる」というものであったため、武士に憧れる浪士たちがこの門を叩いたと言われています。

しかし、やはり一介の寄せ集めである浪士たちをまとめるのは大変だったのでしょう、土方は隊士たちを厳しくまとめあげ、新選組で定めた「局中法度」を破ったものは切腹させていました。

鬼の副長と呼ばれる存在に

この中には、共に江戸から上京した仲間・山南敬介も含まれています。あまりの厳しさから、土方は「鬼の副長」と呼ばれるまでになり、新選組の中でも敵からも恐れられる存在となったのです。

スポンサードリンク

流山での近藤勇との別れ~函館での死

「池田屋事変」での活躍もあり栄華をきわめた新選組ですが、やがて勃発した「鳥羽伏見の戦い」にて敗北。京を追われる身となります。近藤について戦い続けた土方ですが、とうとう「流山」で追い詰められ、近藤勇が投降。どうしてここで近藤が投降したのかについては不明ですが、土方たちを逃がすためにわざと投降したとも言われています。そして近藤が板橋で斬首されたあとも、土方は転戦を続け函館の地にたどり着きました。

最期まで武士として戦い抜くことを選んだ土方

新選組が忠誠を尽くした徳川家はすでに「大政奉還」で力を失い、将軍慶喜は江戸城を開城したため、もはや新選組が戦う理由はなかったと言えます。でも土方は敵に投降して死ぬよりも、最期まで武士として戦い抜くことを選びました。

最期の地となった函館では、京都時代とは打って変わって隊士たちに優しく「慈母」と呼ばれ慕われていたそうです。土方は歌をたくさん遺しており、それを見ても実は繊細な人物だったのかもしれません。幕府軍最後の戦いとなった「函館戦争」にて土方は討ち死し、34歳の生涯を閉じました。

土方歳三の家紋は「左三つ巴紋」

土方歳三の家紋は、「左三つ巴紋」です。

家紋

巴紋は「渦巻」を形にしたもので、「災害を退ける」という意味があります。このため、この紋を家に飾ることもあるようです。

巴は古代から世界各国に似たような文様があり、発祥は定かではないものの日本では縄文時代から存在していました。 巴は元々弓を弾く際に腕を保護するための武具で、それが後に渦を巻く文様として浸透しました。文様として使われ始めたのは平安時代で、戦国時代には武家によって多く使用されます。特に現在の栃木県である下野宇都宮の一族に多用されていました。そして江戸時代になると約350の家が巴紋を使用し、全国各地で見られるようになります。 巴紋の種類は豊富で、渦を巻く向きの違いや巴の数、大きさなどに違いがあります。具体的には右一つ巴、左渦巻き巴、右五つ巴、台巴などです。人気の家紋であるため、使用者は多数います。

スポンサードリンク

新選組の主要メンバー10人の家紋をまとめてチェック

新選組主要メンバーの家紋の一覧表です。それぞれ重なることなく、各々の家紋を使用していました。

家紋揚羽蝶 家紋丸に三つ引き両紋 家紋左三つ巴
芹沢鴨 近藤勇 土方歳三
庵木瓜 家紋丸に立ち葵 家紋丸に木瓜
伊東甲子太郎 山南敬助 沖田総司
nagakura4石持ちに松皮菱 家紋丸に九枚笹 家紋蔦紋
永倉新八 斉藤一 藤堂平助
家紋丸に一つ引き
原田左之助    

スポンサードリンク

戦国武将117名の家紋一覧をまとめてチェックしよう

kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
kamon_r5_c2
前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

スポンサードリンク

他にもあるぞ!超人気家紋コンテンツ
「苗字から家紋」の画像検索結果 「10大家紋」の画像検索結果
「戦国武将家紋まとめ」の画像検索結果
関連画像