日本の家紋を紹介!5大家紋・10大家紋~由来、御三家、戦国武将の家紋、家紋ランキング、調べ方などまとめ

家紋

家紋って今では天皇や政府の紋としてしか見ることは少ないですが、苗字を付けることが許されなかった時代においては自らの家系、血統、家柄・地位を表現するものとして使われてきた紋章です。

その数は240種以上、25,000紋以上ともいわれており、名家の流派等も含めると20000紋以上あるという研究者も存在する。本記事では日本に存在する家紋から、5大家紋、10代家紋、そして家紋の由来をそれぞれの時代ごとに(飛鳥、室町、戦国、江戸、明治)改正させていただきます。

また、戦国時代に活躍した御三家と名高い、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康から戦国武将の家紋を可能な限り解説しております。さらには日本47都道府県の苗字100位ランキングをもとにどんな由来・歴史があるのかを解説。

最後に自分の家紋を調べたい人のための調べ方、家紋一覧を網羅しました。

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5大家紋とは【藤・桐・鷹の羽・木瓜・片喰】

五大紋(ごだいもん)とは、日本に存在する5000以上もの家紋のうち、世間で特に多く使われている藤紋、桐紋、鷹の羽紋、木瓜紋、片喰紋の5つの家紋のことを指します。

下り藤藤紋 五七桐桐紋 柏紋柏紋 蔦蔦紋 沢瀉紋沢瀉紋
%e5%ae%b6%e7%b4%8b茗荷紋 丸に違い鷹の羽紋鷹の羽紋 橘紋(たちばなもん)橘紋 片喰紋片喰紋 木瓜紋木瓜紋

鷹の羽紋:5大家紋その1(10大家紋その1)

丸に違い鷹の羽紋

鷹は、俊敏に飛び強さや威厳の象徴であることや、武器である矢の羽根として用いられたことから、鷹の羽紋は武家に好まれました。

また、古来から鷹狩りも行われており、その優美な印象から武家以外では公家でも用いられていた家紋です。公家の使用家に芝山家があります。

鷹の羽紋は動物紋に分類されますが、たいていの動物紋は姿全体を描いたものが多いため、鷹の羽のみをモチーフにしたこの紋は珍しいものでもありました。

鷹の羽紋の誕生は、後醍醐天皇の皇子にあたる菊池武光が用いたことと言われています。そして関ヶ原の戦いで石田三成と親しい戦国武将の大谷吉継が鷹の羽紋を用いたことをきっかけに大きく広がりました。

鷹の羽をモチーフにしたものである。鷹の羽紋の種類には並び鷹の羽、違い鷹の羽などがある。江戸時代に武士の間で流行した家紋。

丸に違い鷹の羽・並び鷹の羽など約70種類ある。

丸に違い鷹の羽紋(鷹の羽紋)について解説!由来や意味・種類・戦国武将・有名人まとめ

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片喰紋:5大家紋その2(10大家紋その2)

片喰紋

片喰はカタバミ科の多年草で、道端などに生えている小さな葉の植物です。繁殖力や生命力の強さから「子孫繁栄」の意味を持ち、古くから公家や武家の家紋に用いられていました。 鎌倉時代には家紋として車に使用されていたことがわかっています。家紋への使用例が非常に多く、特に徳川時代に急増しました。江戸時代に家康が葵紋を使用したことで、葵紋は使用が禁じられましたが、その際に葵紋から片喰紋に切り替える者も多くいました。その当時、約160家が片喰紋を使用していたこともわかっています。 公家の使用者は冷泉家、大炊御門家、武家では酒井氏、森川氏、成瀬氏、宇喜多秀家、長宗我部氏などです。

片喰紋(かたばみ)は、カタバミをモチーフにしたた植物紋である。子孫繁栄を願って作られた家紋。剣片喰・丸に片喰・片喰蝶など約120種類がある。

丸に剣片喰(片喰紋)について解説!由来や意味・戦国武将一覧

木瓜紋:5大家紋その3(10大家紋その3)

木瓜紋

木瓜とは中国で官服などに付いていた文様が、日本に伝来し社殿の御廉に用いられるようになったものが文様化したものです。木瓜は子孫繁栄を表し、縁起のよいものとされてきました。

五大紋の一つでもあり、北陸地方や東北地方で多く見られます。家紋として取り入れた家は多く、様々な種類の木瓜紋が考案されました。

シンプルな木瓜をベースに、剣と合わせた剣木瓜、丸に木瓜、庵の中に入れた庵木瓜、縦に描いた立ち木瓜、菱形をした木瓜菱などバリエーションは豊富です。

公家では徳大寺家、武家では新撰組の沖田総司や佐倉藩の堀田氏、岡田藩の伊東氏、出羽の遊佐氏などが使用しています。

木瓜紋(もっこうもん)は、瓜の切り口や瓜自体をモチーフにしたものとする説、鳥の巣とする説など由来が諸説ある家紋。織田信長が使った織田木瓜紋もある。剣片喰・丸に片喰・片喰蝶など約120種類ある。

丸に木瓜(丸に横木瓜)について解説!由来や意味・種類・戦国武将・有名人まとめ

藤紋:5大家紋その4(10大家紋その4)

下り藤

藤はマメ科のつる性落葉木本で、淡い紫色の花を咲かせ華やかな藤棚を作ります。古くから観賞用の花として親しまれ、繁殖力の強さから、めでだいとされる縁起の良い植物です。

藤原氏が藤紋を用いたことで武家や庶民の家紋にも使用され、江戸時代には幕臣約160の家紋となったほど代表的な家紋です。石田三成や大久保利通も藤紋を使用していました。

使用者は、公家では一条家、二条家、九条家、武家では本願寺氏、大久保氏、片倉氏、黒田氏、新庄氏です。また、「藤」の付く名字にちなんで安藤氏、加藤氏、内藤氏、藤井氏、佐藤氏なども使用しています。

特に藤の葉を左右に伸ばし円型に描く藤丸や、十字形の八つ藤が人気となっていました。

藤紋は、藤の花、藤の葉をモチーフにした家紋です。源流には藤原家がある。現在では名前に「藤」のある苗字(佐藤、加藤、斉藤、伊藤など)で使われている家紋。上がり藤・下がり藤・九条藤・六条藤・黒田藤巴など約130種類が存在する

下り藤と上がり藤など藤家紋の由来・意味を解説!戦国武将などもまとめました

桐紋:5大家紋その5(10大家紋その5)

五七桐

桐は高級木材として、菊紋についで天皇家や功績をあげた者の家紋として用いられました。その風習のはじまりは、後鳥羽上皇から足利尊氏が桐紋を賜ったことです。その後、桐紋が広く広まったのは皇室が臣下へ、下賜された武将が臣下へと付与したことによります。

桐紋は桐の葉と花を図案化したもので、一般的には3枚の葉の上に3本の花が描かれ、その花の数によって五三桐、五七桐など呼び名が異なります。

豊臣秀吉の家紋は太閤桐と呼ばれ、特定の一つの紋ではなく秀吉の遺品などに確認される桐紋のうち、独自のアレンジが入ったものの総称です。秀吉が家臣に与えたので西日本を中心に多く用いられています。

桐の花や、桐の葉をモチーフにしたものである。菊紋と同様で皇室で使われる家紋である。豊臣秀吉が使った太閤紋(五七桐)も桐紋の家紋。五三桐・五七桐・太閤桐など約150種類ある。

五三桐・五七桐、丸に五七桐の違いって何?桐紋を使った戦国武将などまとめ

10大家紋とは

上記にて解説させていただいた五大紋(藤紋、桐紋、鷹の羽紋、木瓜紋、片喰紋)、に加えて、「蔦紋」、「茗荷紋」、「沢瀉紋」、「橘紋」、「柏紋」の5つを加えて十大紋と呼ばれています。

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蔦紋:10大家紋その6

蔦

蔦はブドウ科のつる性落葉木で、十大家紋の一つでもあります。蔦の文様は、平安時代から絵巻物や調度品に多く用いられるようになり、優美な姿と繁殖力が強いことから家紋として人気が出ます。 蔦はつるが特徴的な植物ですが、蔦紋は葉の部分が描かれることが多く、丸に蔦、鬼蔦、結び蔦、割り蔦、丸に三つ鬼蔦、菱に覗く蔦などバリエーションが豊富です。 使用地域は石川県新潟県、富山県などの北陸地方に多く、八代将軍吉宗が好んだ家紋として有名です。他には松平松井氏、松平大給氏、松永久秀、藤堂氏、椎名氏、高安氏などが使用しました。

古来より文様して使われてきた蔦をモチーフにした家紋。戦国武将の松永久秀が使ったのが有名です。藤堂蔦・鬼蔦・三河蔦など約80種類ある。

丸に蔦(蔦の家紋)について解説!由来や意味・種類・戦国武将・有名人まとめ

茗荷紋:10大家紋その7

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茗荷は日本原産で、物忘れの妙薬とされたショウガ科の秋の草花です。麻酔作用があり、邪気を払う草花としても知られていました。 日本十大家紋の一つで、茗荷紋は同じショウガ科の多年草である「茗荷の花」を図案化したものです。 ミョウガという音が神仏の加護を意味する冥加に通じており、縁起が良くご加護を享けられると進行されていました。 茗荷紋の誕生は、煩悩を解説させるとして民間進行の対象であった摩陀羅神のシンボルが茗荷であったためと言われています。そのため神社や寺などに多く用いられました。 使用者は徳川時代には志磨鳥羽氏、近江板垣氏、他に小沢氏、国領氏、堀氏、中根氏などがあります。

縁起の良い植物とされる冥加(ミョウガ)をモチーフにした家紋。抱き茗荷、立ち茗荷などが有名で種類も豊富な家紋。抱き茗荷・立ち茗荷など約60種類ある。

抱き茗荷紋の家紋を持つ武将、著名人まとめ!新選組によく見られた家紋をチェック

沢瀉紋:10大家紋その8

沢瀉紋

沢瀉(おもだか)の「瀉」は見慣れない字ですが、水が流れ落ちる、そそぐという意味です。

沢瀉は水田や池や沢に自生する水草で、夏には三弁の白い花を咲かせます。葉は、Yの字を逆さにしたような形でくっきりと葉脈が見え、人の顔の形に似ていることから面高と呼ばれ、そこから面目が立つという意味を連想したとも言われています。

また、葉が矢尻の形に似ていることから、別名「勝ち草」「勝軍草」とも呼ばれ武士の家紋として広く使われました。平治物語の中には沢瀉鎧が源氏八領の鎧の一つと記載されています。袖に描かれた三角形の模様が沢瀉に似ていることからそう呼ばれています。

水辺に自生おり、夏に白くきれない花が咲く沢瀉(おもだか)という植物をモチーフにした家紋。毛利家や福島正則が使用した。立ち沢瀉・水野沢瀉など約80種類ある。

丸に立ち沢瀉紋(沢瀉紋)について解説!由来や意味・戦国武将・有名人まとめ

橘紋:10大家紋その9

橘紋(たちばなもん)

橘はミカン科の常緑小高木で、「右近の橘、左近の桜」と称される日本固有の植物です。小さく香りの強い実を付け、桃の節句には桃と共に飾られます。この風習は奈良時代頃から始まったようです。 家紋としては平安時代末期頃から用いられるようになり、特に西日本で多く用いられました。橘紋は、十大家紋の一つでもある代表的な家紋です。 橘一族の家々や、武家の井伊氏、薬師寺氏、土田氏、小寺氏、安芸氏などが使用していました。井伊氏が使用していたものは井伊橘、薬師寺氏のものは薬師寺橘と呼ばれています。 他に、一つの橘の花をモチーフにしたシンプルな橘や、二つの橘を使った抱き橘、沢山の花を使った花橘などがあります。

柑橘類の橘(たちばな)をモチーフにした家紋。葛城王が当時の天皇から与えられた「橘」という姓が使った家紋。薬師寺、小寺、井伊家が使用した。丸に橘・薬師寺橘など約80種類ある。

丸に橘紋(橘紋)について解説!由来や意味・種類・戦国武将まとめ

柏紋:10大家紋その10

柏紋

柏はブナ科の落葉高木で、古代から神への供物として食物を盛る器代わりとして使用されてきました。柏は「神聖な木」として見られるようになり、やがて家紋として使用されるようになります。柏紋は約500種もあり多様なバリーエションがあります。

申請の木とされてた柏をモチーフにした家紋。柏の葉を司った家紋は神職家で使われていた。戦国武将島左近が使用した。三つ柏・丸に三つ柏など約120種類ある。

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家紋の歴史・由来について

源平藤橘時代の名字誕生→家の出自を示す標識として発展した家紋

4大氏の源平藤橘(げんぺいとうきつ)」と呼ばれる源氏、平氏、藤原氏、橘氏。彼らが覇権を制した時代、地方に移り住んだ一族が同じ一族を区別するために生まれた名字。後の鎌倉時代に始まった「氏姓(うじかばね)制度」を元に名字はさらに広がった。戦国時代には名字の固定化が進み、名字の由来となった土地や官職のかかわりが希薄化したことから「家の出自を示す標識」として家紋が広がった。

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