五月の子供の日に食べる「柏餅」でもおなじみの「柏」。柏の葉はとても厚みがあって丈夫で、しかも柔らかさもあるために「食べものを盛るときに使われる葉」として使用されていた過去があります。
しかも今ではこの柏紋は日本の10大家紋として定着しています。人々の生活の中で使用されてきた「柏」の葉が、どうして家紋として使用されるようになったのでしょうか?
今回は、柏紋の由来について、柏紋の種類、柏紋を使った戦国武将の山内一豊、島左近、中川清秀や他の有名人などを詳しく解説していきます。
目次
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「柏紋」も由来は?
人々に「食器」として使われていた柏は、「神の膳」にも
読み方 | かしわもん |
家紋の分類 | 植物紋 |
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10大家紋には何がある?
日本には、実に25,000以上の家紋があると言われていますが、中でもよく使用されている家紋を「日本10大家紋」と呼んでいます。
そのうち、 【藤・桐・鷹の羽・木瓜・片喰】を5大家紋と呼び、【蔦、茗荷、沢瀉、橘、柏】を加えて10大家紋と呼びます。10大家紋の解説をまとめましたので時間のある方は是非チェックしてください!
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藤紋 | 桐紋 | 柏紋 | 蔦紋 | 沢瀉紋 |
茗荷紋 | 鷹の羽紋 | 橘紋 | 片喰紋 | 木瓜紋 |
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古くは食器の代わりに使用されていた「柏」の葉。
柏はいつしか「特別なもの」として扱われるようになり、現在の宮中行事でも「神様に捧げる食器」として柏の葉が用いられています。
ここから、柏は「神様の木」として扱われるようになり、それがのちに家紋として使用される理由にもなりました。
また、柏は木々の葉を守る「葉守の神」としても知られ、「神が宿っている木」としても知られています。神様に対して、手を叩くことを「柏手を打つ」と言いますので、この言葉も、柏の木の神聖さから生まれました。
このように、何かと神に縁がある柏が、家紋として使用されるのはある意味当たり前なのかもしれませんね。
柏紋の種類
三つ柏
柏の葉を、三枚つなげた形の家紋。
これが柏紋の基本になります。全ての柏紋のなかで、この紋を使用している人がいちばん多いですね。
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中輪に土佐柏
土佐(高知)の城主・山内一豊が使用していた家紋です。
山内一豊の3つの家紋の由来とは?内助の功で有名な千代の夫の人生録 |
この家紋には逸話があって、一豊の父が戦に出ていた時、馬印がなくなってしまいました。馬印とは、自分の陣中に立てる家紋入りの旗のことです。
「これがなくては大変」と考えた父は、すぐそこにあった柏の木から枝をとって、馬印の代わりにします。そして戦に勝ったとき、柏の葉はほとんどが飛び散って三枚しか残っていなかったそう。それが、そのまま山内家の家紋になったのです。
「土佐柏」とも「山内柏」とも呼ばれています。
抱き柏
「三つ柏」の次に、使用している人が多いのはこちらの家紋。
柏の二枚の葉が、中央を抱きしめるかのように描かれています。
抱き柏に違い鷹の羽
家紋の中には、違い種類の家紋を合体させたものがしばしば見受けられるのですが、こちらも家紋は「柏紋」「鷹の羽紋」のふたつを重ねています。
「鷹の羽紋」は、鷹の力強さから武家に大層大事にされていましたので、柏紋と合わせることでより多くのご利益を、と考えたのかもしれません。
柏桐紋
当時の天皇や、豊臣秀吉が使用していた「五七の桐」という桐紋に、とても良く似た形の柏紋です。
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柏蝶
蝶は、優雅さと美しさから人々に大変愛されてきた生き物です。
それだけに蝶の家紋は人気があり、他の家紋でも蝶の形にアレンジしたものがよく見受けられます。また、蝶は平家の象徴とも言われていたため、平氏にあやかって蝶の家紋を使用する人も多かったとか。
こちらは、柏の葉を蝶の紋にしているユニークな家紋ですね。
柏紋まとめ
丸に一枚柏 | 総陰三つ柏 | 丸に結び柏 | 柏枝丸 | 片手蔓柏 |
丸に折れ柏 | 四つ蔓柏 | 片手蔓柏 | 隅切り角に三つ柏 | 丸に七つ柏 |
一重亀甲に三つ柏 | 丸に鬼三つ柏 | 丸に三つ追い柏 | 丸に蔓柏 | |
抱き柏 | 五瓜に三つ柏 | 中川柏 | 柏蝶 | 三つ割り三つ柏 |
柏紋を使用している戦国武将・有名人は?
山内一豊の土佐柏
四国の大名・長曾我部家のあとに、土佐を任された大名です。
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山内一豊よりも妻の千代が有名で、「功名が辻」のタイトルで大河ドラマにもなりました。
山内一豊の馬揃えのエピソード
一豊は織田信長に仕えていたことがあるのですが、この時はあまりお金がなく、苦労をしていました。そんな時、「馬揃えを行う」と言います。
馬揃えとは、簡単にいえば「パレード」のことで、信長は帝に馬揃えを見せようとしていました。もちろん、家臣たちはそれぞれ立派な馬を用意します。一豊は、この「馬揃え」のために馬を買おうとしますが、そのためのお金がありません…。
そこで千代は、自分が嫁ぐときに渡された10両を一豊に渡し、そのお金で馬を買うようにと言いました。このおかげで一豊は立派な馬を購入することができ、信長はその馬を大層褒めたとか。
それが一豊の評判を高めることとなり、織田信長→豊臣秀吉→徳川家康のもとで地位を高めていきます。
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島左近の丸に三つ柏紋
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石田三成の家臣だった戦国武将です。もともとは他の主に仕えていた左近ですが、そこをやめてからはどこにも仕官することなく、生活していました。
左近は頭もよく、剣の腕前も優れていたために、多くの大名から誘いがあったものの、すべてを断っています。しかし、石田三成が彼のもとを訪れ「自分が持っている四万石のうち、二万石をやるから仕えてほしい」と言った時、その心にうたれ家臣として仕えることを決めました。
主と家臣の石が同じであるというのは、戦国時代ではありえないことです。そうまでして自分を家臣にと言った三成だからこそ、左近は仕えることを決めたのでしょう。
三成が「関ヶ原の戦い」を起こそうとしたとき、左近は「戦っても勝てない」と早々に見抜いており、三成に家康を暗殺するようにとアドバイスを送っています。
しかし、三成は暗殺という卑怯な手を使うことをよしとせず、そのまま「関ヶ原の戦い」に。左近は、その時の声を聞いた敵兵が後に夢にみるほど勇ましく闘い、戦場で命を落とします。三成は捕らえられ、斬首でこの世を去りました。
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中川清秀
もともとは織田信長の家臣、その後は豊臣秀吉に仕えた武将です。
この中川清秀が使っている家紋は「中川柏」と言って特別なもの。他の柏紋とはちょっとデザインが違いますよね。
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その他の有名人
久坂玄瑞
くさかげんすい、と読みます。幕末の志士。
吉田松陰の松下村塾で学び、高杉晋作・吉田稔麿(よしだとしまろ)と共に「三秀」と呼ばれました。吉田松陰が死んだあとは、尊王攘夷派の先頭に立って戦うようになりますが、「禁門の変」にて追い詰められ自害。まだ24歳という若さでした。
森鴎外
日本の文豪。
「舞姫」などの作品が有名ですね。家紋は「乱れ追い重ね九枚柏」です。
まとめ
神様の木として崇められていた柏。その柏が世間にも広がりを見せているので、職場やクラスの中に一人くらいは柏紋を使っている方もいるはずです。ぜひチェックしてみてください。家紋についてもっと知りたい、という方は下の画像に戦国武将の家紋を一覧できるリンクや戦国武将の合戦の記事のリンクを張っておりますのでご興味ある方はぜひご覧ください。
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