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蒲生氏郷の家紋と生涯とは|会津若松の生みの親は秀吉の朝鮮出兵でも活躍!?

   

 

蒲生氏郷
 

蒲生氏郷は、織田信長と豊臣秀吉の二人の主に仕えた武将です。「近江国」というところで生まれた氏郷の家は、もともとは「六角家」というところに仕えていました。

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六角家から信長への人質となる蒲生氏郷

その六角家が、ある日織田信長に敗北してしまいます。これにより、信長に仕えることを決めた蒲生家は、家臣となって忠誠を尽くす証として息子を織田家に人質として送り込みました。その人質が氏郷です。

 

只者ではないとの評価を信長からもらう

氏郷に会った信長は、彼の目つきを見てすぐに「これはただものではない」と判断。「氏郷は大物になるだろう」と考えた信長が起こした行動は、自分の娘を氏郷に嫁がせるということでした。

 

信長の娘を妻にする氏郷

人質としてやってきた家臣に、自分の娘を嫁がせるというのはよほどの信頼があったとみていいでしょう。こうして、氏郷は織田家の家臣として生きることになったのです。

織田信長は勢いを拡大させ「天下統一」目前まできていたため、それを果たしたのちは氏郷が織田家の重臣として活躍していくはずでした。しかし、信長は明智光秀によって本能寺で殺害されてしまいます。

 

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織田家を牽引役の秀吉に接近する

信長を失った氏郷は、信長にかわって織田家をけん引する存在となった豊臣秀吉に接近。信長の重臣であった氏郷を秀吉も信頼していたようで、伊勢(三重県)の一部・会津(今の福島県・会津)を任されるようになります。
東北は当時伊達政宗の勢いが強く、秀吉もなにかと政宗のことは警戒していたので、氏郷に会津を任せたのは伊達家がどう動くかを見張らせるためだったのでしょう(氏郷も政宗のことは嫌っていたと言われています)。

 

朝鮮出兵へ参加予定も病に倒れる

氏郷が会津にいたころ、会津の城下町は「黒川」という名称でしたが、氏政が「若松」に変更させています。だから、今でも会津の中心は「会津若松市」です。氏郷は秀吉に仕え続け朝鮮出兵にも参加する予定でしたが、参加直前に病にたおれてしまい断念。その後三年の闘病生活をしたあと、40歳で命を終えました。

 

蒲生氏郷の家紋は「向い鶴(むかいつる)」

蒲生氏郷の家紋は、二羽の鶴が向かい合った形の「向い鶴」です。

 

家紋
 

鶴には古くから「おめでたい」という意味があるので、戦国武将が使用しているのも頷けます。
また、現在でも言われていますが「長寿の証」と言われていることも、戦国武将がこの家紋を使用した理由の一つかもしれません。長寿であるということは戦に勝っていることになりますからね。
鶴の優雅さがよく表現されている、とても美しい家紋です。

 

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 - 戦国武将の家紋