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滝川一益の家紋と生涯|織田四天王の一人だった戦国武将

   

滝川一益
 

織田信長の側近として使え、織田全盛期には「織田四天王」と呼ばれるまでに力を高めた武将・滝川一益。織田信長が存命であった時代はその才能を大いに発揮し、信長が天下統一の直前まで上り詰める手伝いをしたものの、信長が「本能寺の変」で討たれたとたん勢力を削がれてしまった武将でもあります。

 

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いとこは池田恒興

滝川一益のいとこに池田恒興という人物がいるのですが、この人物が縁で一益は織田信長に仕えるようになっています。恒興が信長の家臣であったために、従兄弟の一益のことも信長に紹介し、それが信長と一益の出会いになったと言われています。

 

鉄砲の名手だったと言われる滝川一益

小さいころからやんちゃな子供だった一益ですが、どうやら鉄砲の腕前は天才的なところがあったようで、それを聞いた信長は鉄砲の腕を確かめたいと考えます。射撃の腕前を見たいと言われた一益は、信長の目の間でほぼ百発百中の腕前を見せ、これに感嘆した信長が一益を家臣に迎えました。

 

桶狭間の戦いをきっかけに次々と武勲上げた一益

一益は桶狭間の戦いにて「先駆け」という重要な位置で活躍。さらに、その後も織田勢と共に「北伊勢」に攻め入るなどの活躍を見せ、織田軍に大いに貢献しています。一益の力添えもあってか、信長は一度は将軍の座を追われた足利家を助け、足利義昭が再び将軍の地位に戻る手伝いも行い、京都入りを果たすこともできました。

こうして多くの武勲をたてた一益は、織田信長にその力を認められ「織田四天王」としての地位を確立します。織田信長にとって、なくてはならない家臣の一人でした。

 

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信長の死後に立場が悪くなってしまう

一益の運命が変わったのは、その織田信長が「本能寺の変」で討たれてからのこと。

信長を失った織田家では、羽柴秀吉(豊臣秀吉)と柴田勝家が対立するようになりました。ここで柴田勝家を推した一益は秀吉と対立することになり、法要の籍でも秀吉に「席はない」と門前払いされるなど関係はどんどん悪化。

 

秀吉と戦い敗北し出家の道へ

最後には秀吉と戦って敗北しますが、秘蔵の掛け軸を秀吉に差し出したことから命は助けられ、出家。後に秀吉に出仕をすすめられて戦に戻りますが、後に再び隠居生活へ。外交の手助けをしていましたが、62歳でこの世を去りました。

 

滝川一益の家紋は「丸に堅木瓜」

滝川一益の家紋は「丸に堅木瓜」紋。

家紋
 

木瓜紋はかなり有名な家紋で、「日本十大家紋」として知られています。ただ、この家紋の形が何を表しているのかはいまだに解っていません。

 

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 - 戦国武将の家紋