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柴田勝家の2つの家紋の由来に迫まる!25歳の年の差婚を実現させた魅力とは

   

織田四天王の一人、猛将・柴田勝家

柴田勝家といえば「鬼柴田」「かかれ柴田」との評価を受けるほど、織田信長からの厚い信頼を受けた人物。

信長の死後は秀吉との関係性がこじれてたことから自害を選んでしまいますが、後世に語り継がれる立派な戦国武将の一人です。

今回は織田四天王の一人である柴田勝家の家紋にまつわる話や、人物像に迫っていきます。

 

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最初から信長の家臣ではなかった柴田勝家

織田信長の家臣の中で最も勇猛と言われ、彼が重用した武将2人のうちの1人と言われる柴田勝家。

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信長が行った天下統一への事業を手伝い、かなりの実績を残した「織田四天王」の1人にも数えられています。※柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀

そんな柴田勝家ですが、勝家の代から有名になった家なので、それ以前のことが詳しく解っていません。
生まれに関しても、1522年生まれ、1526年生まれと諸説があり、謎が多い人物です。両親についても諸説ありますが、はっきりしたことは謎のままです。

 

信長の父「織田信秀」に仕えていた勝家

勝家は、若い頃に信長の父・織田信秀に仕えていました。1551年に信秀が亡くなってからは、信長の弟・信勝に仕えるようになります。
そう、勝家は最初から信長に仕えていたわけではないのです。しかも、この信勝は兄・信長を排除するために戦を起こし、その兵の中に勝家もいました。

 

信長の弟「信勝」に仕えるも信長に惹かれる勝家

相手が織田信長ですので、信勝は負けてしまいます。本来であれば家臣ともども斬首させられても仕方がないのですが、信勝自身が信長に謝罪したこと・信勝の母が尽力したことで信長は許したそう。
このあたりは、織田信長のただものではない人物像が見えるエピソードになりますね。

しかし、これで話は終わりませんでした。そのまま信勝に仕え続けた勝家でしたが、心は信長の方に動いていた様です。

信勝は信長に対し二度目の謀反を企てますが、この計画を信長に知らせたの勝家と言われています。計画を知った信長は、病気になったふりをして信勝を見舞いに来させ、家臣に暗殺させました。これにより勝家は信長と手を結び、信勝の代わりに未盛城主となりました。

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信長の信頼を得た勝家は筆頭家老へ

こうして信長の信頼を得た勝家は、信長のために働くようになります。戦場では勇猛果敢に戦い、それゆえに「鬼柴田」「かかれ柴田」などと言われるほどの評価を得る様になりました。

浅井長政と織田家の同盟が破棄された時も、苦しい立場ながらも敵を撃退。浅井長政との戦いや長篠の戦いでも活躍し、名実ともに織田家の筆頭家老として地位を確立していきます。

しかし、ここで大きな事件が。信長の家臣であった明智光秀が、本能寺で信長を討ったのです(1582年)。これにより織田家では羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)を実力者としてたてるようになりました。

 

信長の妹であるお市の方との結婚

織田信長が浅井家を滅亡させたあと、浅井長政に嫁いでいた信長の妹・お市の方が織田家に戻りました。勝家は、秀吉のとりなしによりこのお市の方と結婚しています。

 

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後に対立することになる勝家と秀吉ですが、織田信長が討たれた直後までは関係も良く、このように結婚のとりなしをしてくれるほどの関係を築いていた様です。

 

妻お市との年齢差はナント25歳

勝家とお市の方は年の差が25歳も離れており、夫婦仲については良く解っていませんが、お市の方は勝家が敗戦した時にともに自害しているため「円満な関係だったのでは」と言われています。主君の妹ということで、勝家も丁寧に厚かったのでしょう。

勝家とお市の方は、死ぬ前にお市の娘(浅井長政との子)である茶々・お江・お初を秀吉のもとへ行かせています。このうちの茶々が、のちに秀吉の後継ぎとなる豊臣秀頼を産んだ淀殿であるのは有名な話ですね。

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秀吉との確執から自害を決意する勝家

信長からはかなりの信頼を得ていた勝家ですが、秀吉とはそりが合わなかったようで、織田家の方針を巡って対立をするようになってしまいます。ついに秀吉は勝家排除を決意し、信長の三男・織田信孝を筆頭にして迎え討ちますが、味方であった前田利家らの離反により敗北。自害しました。

 

 

柴田勝家の家紋「二つ雁金紋(ふたつかりがねもん)」

さて、柴田勝家の家紋は「二つ雁金紋」と呼ばれるものです。

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この家紋は、渡り鳥である「雁(かり)」をデザインしたもの。なぜこの家紋なのかは、勝家の出自がはっきりしないために良く解っていません。

ただ、この「二つ雁金紋」は通常両方の雁の口が開いているのに対し、柴田勝家が使用したものは上のみが口を開けているという違いが見られます。

 

柴田勝家の家紋「五瓜に唐花紋(ごかにとうかもん)」

さらに、もうひとつの紋が「五瓜に唐花紋」。

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こちらは八坂神社が「神紋」として使用している紋です。こちらも、どうして勝家が使用しているのかは解っていません。

 

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勇猛果敢な柴田勝家、しかしとても優しい人物だった

非常に勇猛果敢な武将として知られる柴田勝家ですが、部下のことを思いやる優しい一面も見られました。羽柴秀吉と闘っていたとき、味方だった前田利家が先に撤退し裏切ります。

しかし、利家と対面した勝家は一言も責めず、秀吉と利家の仲の良さを挙げて「秀吉のところにいきなさい」「私のような過ちは二度と起こさないように」と言いました。

また、家臣たちには生き延びる様にと言葉をかけたと言われています。

織田信長が勝家を信頼したのは、彼が優秀な人物だからというだけではなく、このような優しさをもつ一面があったからなのかもしれません。

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