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陶晴賢の家紋・唐花菱を解説!毛利元就と厳島の戦いに挑んだ戦国武将

   

陶晴賢といえば、主君である大内義隆を自殺に追い込んだ武将として有名ですね。
その後に、大内氏に従っていた毛利元就と厳島の戦いに挑み、元就の三男小早川隆景率いる村上水軍に追われて自殺しました。
そんな彼のこれまでと家紋について解説します

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大内氏に生まれた陶晴賢

 

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陶晴賢は現在の山口県にあたる大内氏の家臣の家に生まれます。
晴賢は領主である大内義隆に厚い信頼を寄せられていたと言われています。

 

尼子晴久との戦いでは総大将

尼子晴久は毛利元就のライバルとして山陰地方を支配した武将です。元就とは石見銀山をめぐり激しく戦いました。

1504年に大内義隆が尼子晴久と戦うときには、陶晴賢はなんと総大将を務めるまでになりました。

 

大内義隆を自殺に追い込む陶晴賢

戦を好まなくなった大内義隆

尼子晴久との戦い以降、義隆は学問や芸能、ヨーロッパ文化に興味を持つようになり、戦を好まなくなってしまいます。
当時は尼子氏のほかに大友氏もいたりと決して文化に主軸を置いてはいけない時代。それに嫌気がでた陶晴賢は大内義隆を追いやり自殺に追い込みます。

 

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そして厳島の戦いへ

大内義隆に従っていた毛利元就と対立

大内義隆を殺害に追いやったことで調子づく陶晴賢。しかし、最も敵に回してはいけない毛利元就を敵にしてしまいます。

 

厳島の戦いで自殺

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厳島の戦いで毛利元就に奇襲をしかけるも、元就の三男・小早川隆景率いる村上水軍に追いやられて、自殺する結果となりました。

 

陶晴賢の家紋「唐花菱」

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唐花菱紋は菱紋のバリエーションの一つです。菱形を四分してそれを四弁の花にとしています。
唐花菱は中国唐朝で好まれた実在しない花を菱形にデザインしたものです。
菱紋は武田信玄の武田菱が有名ですが、武田氏は替紋として花菱も使っていました。

 

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 - 戦国武将の家紋