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北条家4代目北条氏政の家紋「三つ鱗」と愚か者と評される彼の人生について

   

 

北条氏政
 

北条氏政は、戦国時代に関東地方の覇者として君臨した「北条家」の四代目当主です。

北条家はとても優秀な武将が多いことで知られているのですが、この氏政は良い意味では語られないことが多く、北条家のことを記した「北条記」においては「愚か者」と書かれてしまっているほど。ちなみに、氏政に対してのみ君主扱いもされていません。

どうしてこのような扱いをされてしまっているのでしょう?北条氏政の生涯についてまとめてみました。

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実際の経歴をみると、むしろ良い武将である

実は、氏政の経歴を見るとそこまで「ダメな武将」ということはありません。むしろ、結構な功績を上げています。

氏政の代には、近隣に武田信玄や上杉謙信などの猛者が活躍していましたが、氏政はこの両者としのぎを削りながらも、北条家の版図を大きく拡大させています。武田信玄や上杉謙信は、もはや語る必要もないほどの力があった武将ですから、この両者と共にありながら北条氏の力を大きくした氏政は、やり手と言ってもいいくらいです。

謙信にいたっては、氏政の影響から関東平定ができなくなったほどの影響を受けました。また、氏政は織田信長の才能を高く評価していたようで、織田家との婚姻も結んでいます。

残念ながら信長は「本能寺の変」で殺害され天下統一を果たすことはできませんでしたが、氏政は勢いのあった信長と手を組むことで北条氏の未来をより確固たるものにしようとしていました。

年貢を軽くするといった善政を敷いたことでも知られていますし、氏政は兄弟たちや妻とも仲が良くて知られているので、「そうまで言われるほど悪い武将ではない」という評価も大きくなっています。では、どうして悪評がついてしまったのでしょうか?

 

氏政の代で北条氏が滅亡してしまった

実は、氏政の代で北条氏は滅亡してしまっています。豊臣秀吉との対立を深めた氏政は、「小田原征伐」によって秀吉に敗北し、切腹でこの世を去りました。

このことと、父の貢献がなくなってから北条氏がうまくいかなくなりはじめたので「氏政はダメな武将」と言われがちなのですが、当時の豊臣軍を他の武将であれば抑えられたのか?と言ったら疑問が残ります。

それを思えば、氏政は生まれてくる時代が悪かったために悪く言われがちな武将なのかもしれません。

 

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北条氏政の家紋は「三つ鱗(みつうろこ)」

北条氏政の家紋は「三つ鱗」。この家紋は、鱗をみっつ重ねた形を表現したものです。
下の家紋は、その「三つ鱗」から派生したと思われる「北条鱗」の家紋です。

北条家の最初の当主となった北条時政が、子孫繁栄のために「江の島弁財天」に祈願をしたところ、大蛇が美女に変身し、神の言葉を伝えた後に鱗を三枚残していきました。その鱗を家紋にしたものです。

 

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