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浅井長政の家紋について|織田信長の妹・お市と結婚し美人三姉妹を生んだ戦国武将

   

浅井長政
 

織田信長の妹と結婚するなど、将来を期待されていた武将であったにも関わらず、29歳という若さでこの世を去った浅井長政。そんな彼の家紋とこれまでについて見ていきましょう。

 

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戦国一の美女と呼ばれた「お市」との結婚

浅井長政と言えば、織田信長の妹「お市」と結婚した人物として知られています。織田信長もたいそうな美形だったと伝えられていますが、お市の方もかなりの美人だったそうで「戦国一の美女」とも呼ばれるほど。

長政と結婚した年齢がすこし高かったため「二度目の結婚ではないか」と言われることもあるそうですが、どちらにしても長政とお市は非常に仲睦まじい夫婦だったとか。

 

お市との間に生まれた三姉妹

長女「茶々」

また、長政とお市の間に生まれた三姉妹も有名です。一番上の茶々は、豊臣秀吉の側室となり、跡取りの秀頼を生みました。

 

次女「初」

次女の初は、京極高次という武将に嫁いでいます。高次は周囲の七光りにより蛍大名とも呼ばれていますが、関ヶ原の戦いに先立つ大津城の戦いでは1万人を超える西軍の大軍勢を食い止め強者です。

 

三女「江」

そして末娘の江は、徳川家康の息子・徳川秀忠に嫁ぎました。秀忠は徳川家の二代目将軍ですので、江は茶々に続き将軍の妻にのし上がったのです。

三姉妹のうち二人が「天下人の妻」になっているところは、さすがお市の娘です。そう考えると、浅井家は滅亡しても天下人にその血は受け継がれたとも言えますね。

 

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とても強い武将だった浅井長政…どうして死ぬことになったのでしょう

浅井長政は武勇に優れた武将としてよく知られており、それを織田信長も認めていました。長政の方も、信長のことを慕っており「信長の長」を名前につけたほどです。両者の関係はとても良好で、だからこそ信長の妹のお市は長政のところに嫁ぎました。

 

織田家と朝倉家がもめて朝倉家側の見方をした長政

しかし、織田家と朝倉家というところがもめたとき、朝倉家と長く付き合いがあった長政は朝倉家の味方をするほうを選びました。

 

結果、浅井家は滅亡へ

戦国時代は義理を果たすことが良しとされていましたから、長く縁のある朝倉家を選ばざるをえなかったのでしょう(この時の朝倉家の当主がイマイチなのですが、それでも…)。結果、浅井長政は織田信長に敗れ、浅井家は滅亡。

お市と三姉妹は織田家に戻り、信長は妹とその娘たちを大切に扱ったそうです。その後、お市は柴田勝家のところに嫁ぎました。

 

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諸説ある浅井長政の家紋

浅井長政の家紋は、「三つ盛亀甲」というものであることが濃厚です。
こちらの家紋ですね。

家紋 この家紋は、平安時代に流行した「亀甲柄」というデザインから来ているとも言われています。
また、「北の守護神」といわれる玄武にちなんでいる可能性もあるとか。

この家紋は浅井家でも長政しか使用していないとも言われ、なにか理由があって長政が取り入れたのかもしれませんね。

 

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 - 戦国武将の家紋