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上杉景勝の家紋と生涯|「越後の名称」と呼ばれた上杉謙信の後継者

   

上杉景勝
 

武田信玄のライバルとして知られ、かつ「越後の名称」とも呼ばれる偉大な上杉謙信の子・上杉景勝。

といっても、謙信には実子がおりませんでしたので、景勝は「重臣の子」になります。上杉家の家臣であった父が38歳という若さで亡くなり、さらに兄も10歳でこの世を去ったため、景勝は9歳にして家を継がなければならなくなりました。

 

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38歳で亡くなった父の主である上杉謙信が景勝を育てる

しかし、9歳の子供が家督を継ぐことができるわけもありません。そこで、父の主であった上杉謙信が景勝を引き取り、育てることにしたのです。このために景勝の家は途絶えてしまいましたが、妻子のなかった謙信は景勝のことをまるで実子のようにかわいがったと言います。

 

謙信の死後、景勝が上杉家の家督となる

謙信の死後、上杉家では家督相続をめぐって争いが起きますが、この景勝が勝利して上杉家の家督を継ぎ、上杉家当主となりました。稀代の名称・上杉謙信のあとに当主となった景勝には、相当のプレッシャーがあったと想像できます。

 

時代は信長・秀吉時代!どんどん弱まっていく上杉家

その上、時代は織田信長や羽柴秀吉と言った新しい勢いを持つ武将が活躍するようになっており、上杉家はかなり疲弊した状態でした。その隙を狙って織田信長などに攻め込まれ、上杉家はどんどん力をなくしていったのです。

 

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本能寺の変の後は秀吉に仕えて上杉家を存続

信長が「本能寺の変」にて討たれたあと、秀吉の勢力を警戒した景勝は秀吉に仕えて家を存続させることを決意。
豊臣秀吉のもとで働くようになった景勝は、秀吉のもとで優秀な手腕を発揮するようになり、秀吉の軍を勝利に導く働きぶりをみせています。このこともあり、上杉家は一気に90万石を所有する大名となり、上杉景勝の名は戦国の世に知れ渡りました。

 

関ケ原では三成率いる西軍につき90万石→30万石へ

しかし、秀吉亡き後の「関ヶ原の戦い」にて石田三成の西軍についた景勝は、東軍の徳川家康に敗北。景勝は家康に謝罪しますが、上杉の領地は30万石にまで減らされ、さらに米沢城へと移されてしまいました。米沢では家臣たちとともに困窮を極めた生活を送り、その後に息子が将軍・徳川秀忠に謁見したのを見届けたのち、息を引き取りました。

 

上杉景勝の家紋は「竹に雀」

上杉景勝の家紋は「竹に雀」です。竹の中に雀が二羽いるデザインの家紋になります。

 

竹に雀
 

この家紋には逸話があって、上杉氏は奥州の伊達氏と婚姻を結ぼうとしていえた時期がありました。その縁から、家紋を伊達氏に譲っています。伊達氏はそこから家紋を発展させ、オリジナルの「伊達笹」と呼ばれる家紋を作り上げました。伊達家はたくさんの家紋を所有していますが、中でもこの「伊達笹」は独特なものとなっているようです。

 

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 - 戦国武将の家紋