高山右近(彦五郎)の家紋「七曜」と生涯|フィリピン・マニラに渡った異色の戦国武将

キリシタンだった戦国武将はたくさんいるのですが、その中でもフィリピンのマニラに渡ったという驚異の経歴を持つのが高山右近です。右近は私的な呼び名で通称は彦五郎です。なぜ彼がフィリピンのマニラにわたることになったのでしょうか?そんな彼の家紋と生涯にスポット当てます。

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秀吉の家臣から家康の家臣へ~二度に渡るキリスト教弾圧の末

高山右近は、もともとは織田信長の家臣だった人物です。もともと仕えていた主君荒木村重が信長と対立するようになったため、右近のいた高山家でも「主と織田信長、どちらにつくのか」の話し合いが行われましたが、右近は信長を選びました。その結果信長が勝利し、高山家の領地は守られることになりました。

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右近の運命を変えた秀吉の「バテレン追放令」

ところが、織田信長は「本能寺の変」で明智光秀に討たれてしまいます。これにより右近は織田家の中で有力者となった羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)につくようになり、秀吉のもとで四国攻めなどにも参加しています。右近の運命が変わったのは、その秀吉が「バテレン追放令」を出したことでした。

バテレン追放令後は前田利家を頼る

バテレン追放令とは、簡単に言えば「キリスト教は禁止」ということ。時の権力者となった秀吉の命令ですから、多くのキリシタン大名がキリシタンをやめました。しかし、この右近だけはキリシタンをやめることなく「それまで持っていた財産のすべてを捨てて出家」という行動に出ました。その後は、前田利家などを頼って生活したようです。

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やがて秀吉が亡くなり、時代は「関ヶ原の戦い」→家康に仕えるが、、

右近はここで東軍の徳川家康について戦い、東軍勝利に貢献しました。しかし、この家康も「キリスト禁止令」を出したため、右近は日本を出てフィリピンのマニラへ向かいました。秀吉に続き、家康もキリスト教を弾圧し始めたのを見て、「もう日本に自分の居場所はない」と考えたのかもしれませんね。

フィリピンでは熱烈な歓迎を受ける高山右近

無事にフィリピンにたどり着いた右近は限定で熱烈な歓迎を受けましたが、64歳で亡くなりました。死後、彼はキリスト教の殉教者として認められ、2012年に「福者」となっています。このための式典が、2017年に日本で開催されるそうです。右近のキリスト教への信仰が、時を超えて認められたのです。

高山右近の家紋は「七曜」

高山右近の家紋は「七曜紋」です。この紋の丸は星をイメージしたもので、戦国武将の多くがこの星を使った家紋を使用しています。

家紋

星は、運命を司るものとして信仰されてきました。決まった軌道で移動するため、狩猟や航海の際には位置がわかるものとして、農業では季節がわかるものとして古くから人々に活用されてきました。

星は文様として扱われるようになり、やがて家紋にも用いられるようになりました。星といえば★型が現代では一般的ですが、当時の星模様は●で表されます。一つではなく複数の●で構成されたものが主流でした。武家の使用者として代表的なのは千葉氏で、月星紋を使用していました。星紋は全国的に広まって庶民の間でも用いられたそうです。また、三つ星=勝ち星を表し、戦いに挑む武家の間でも人気の紋となっていました。

「十字架」紋

また、もう一つの家紋が「十字架」。

家紋

日本を捨ててまで、キリスト教への信仰を守り続けた右近の気持ちが込められた家紋です。こちらの方が、右近の生涯の生きざまをよく表しているかもしれません。

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戦国武将117名の家紋一覧をまとめてチェックしよう

kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
kamon_r5_c2
前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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