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北条氏康から始まった家紋「三つ鱗」の由来とは?領民に慕われた戦国武将

   

北条氏康
 

戦国時代が幕を開けるきっかけになったのは、北条早雲という人物の存在と言われています。戦国時代を語るときには欠かせない「後北条家」の祖に当たる人物ですね。この早雲の孫にあたるのが、北条氏康です。そんな彼の家紋について解説します。

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武田信玄、上杉謙信と並ぶ実力者だった氏康

北条氏康は、信長がまだ「うつけ者」と呼ばれ、天下統一争いに加わっていなかった頃にかなりのちからを持っていました。「あの武田信玄や上杉謙信と同じくらいの力を持っていた」といえば、その勢いが伝わるでしょうか。
信玄と謙信はライバル争いでかなり有名になりましたが、力関係ではこの時代の北条家も負けていなかったのです。

 

善政で有名な北条氏康

北条氏康は、善政で有名な武将です。このころの日本は、藩ごとに「どうやって税金を納めるか」が違っていましたが、氏康は自分が治めていた関東に対して「四公六民」という制度を取り入れていました。この方法は、「税金のうち、六割を民のために使う」というもので、民のことを最優先に考えたものです。

 

民意を積極的に取り入れる工夫を行なった

さらに、飢饉が襲った際は民が納める税率を下げ、出来る限り民が豊かに暮らせるように工夫していました。
目安箱を設置し、民の意見を積極的に取り入れようとするなど、民の声を聞くための努力もしていたとか。

 

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民衆思いの氏康

水を引いてくるためのシステムを取り入れたり、城下町を清潔に保つための整備を行ったり、氏康は土地を豊かにするためにも力を尽くしており、だからこそ領地の人々からは慕われていたと言います。常に民衆のことを考え、民衆のために住みやすい土地をと考えていた氏康だからこそでしょう。

武勇にも優れ、さらに文化人で和歌も堪能だった北条氏康は、祖父の代から続いた北条家の勢いを維持することに成功しています。

 

北条氏康の家紋は「三つ鱗」

家紋
北条氏康が使用していた家紋は「三つ盛鱗」と呼ばれるものです。少しつぶれた三角が、三つ重なっている様な家紋ですね。この三角に見えるものは「鱗」です。
この家紋は、北条家の祖である早雲は使用しておらず、氏康の父の代から使うようになりました。由来は、鎌倉時代に大変な勢力を誇っていた北条家が使用していた家紋「三つ鱗」から。

この北条家と区別されて「後北条家」と呼ばれた氏康らの一族は、「鎌倉時代に栄えた北条家のように、自分たちも反映したい」という気持ちを持ってこの家紋を使用しはじめたようです。

ただ、早雲からはじまったこの後北条家は、氏康の息子・北条氏政の代で滅亡してしまいます。
大変な勢力を誇った北条家も、時の権力者・豊臣秀吉に勝つことはできませんでした。

 

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