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柳生宗矩の家紋「地楡に雀」の由来とは|戦国時代に活躍した剣豪

   

柳生宗矩
 

柳生但馬守宗矩 (むねのり)は、戦国時代において「優れた剣豪」として活躍した武将です。そんな彼の家紋とこれまでについて解説します。

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柳生宗矩ってどんな人物?

もともと非常に狭い領地しか持っていなかった柳生家は、豊臣秀吉の時代には領地を失っております。彼が認められ始めたのは次の世代・徳川家康が勢力を伸ばして来てからです。家康の前で剣の技を披露した父の縁で、家康に仕えることになりました。

 

関ケ原では東軍に就くも

柳生宗矩は、「関ヶ原の戦い」において徳川家康率いる東軍に参加しています。もともと家康の家臣でしたので、宗矩が家康の味方になるのは当たり前の話しです。

 

交友のあった島左近への事情徴収に駆り出される

ただ、ここには西軍との逸話が…。宗矩は、西軍の石田三成の家臣・島左近交友があったと言われています。それを知った家康は、西軍を倒すために宗矩を左近のもとへやりました。つまり、「何か情報を聞き出してこい」ということですね。

しかし、三成に忠誠を尽くしている左近は「いくらお前でも教えることはできない」と言って、何も語らなかったそうです。左近は、この時すでに「自分は三成と死ぬ」と決めていたのでしょう。何も聞くことができなかった宗矩は、そのまま東軍へと返りました。

 

大坂の陣ではじめて人を斬った

柳生宗矩像
 

剣豪で知られた柳生宗矩ですが、彼が人を斬ったのは大阪の陣がはじめてだったそうです。大坂の陣で、家康の息子・徳川秀忠を守っていた宗矩は、豊臣側の兵が迫ったとたん七人もの兵を斬り倒したとか。宗矩がどれだけ剣術に優れていたのかが解るエピソードです。

 

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剣だけではなく知識も豊富だった宗矩

また、宗矩は剣の腕前だけでなく知識も豊富ば武将だったそうで、秀忠やその子・家光に剣を教えると同時に、禅の大切さなどを説いて「心を育てる」ことにも力を注いでいたとか。

そのこともあり、秀忠はこの宗矩をとても慕っていたようで、主からの信頼が厚い側面も宗矩にはあったようです。

 

柳生宗矩が使っていた家紋は複数あります

柳生宗矩が使っていた家紋の中で、特に有名なものが「地楡(ちゆ)に雀」(吾亦紅に雀)という家紋です。

 

家紋
 

「地楡」というのは、バラ科の植物の一種で「吾亦紅(われもこう)」とも呼ばれています。あまりに可憐で可愛らしい花なので、「われもこうありたい」という言葉からその名が付いたと言われ、家紋自体も花の美しさがよくあらわれていますね。

ほかの武将ではあまり見ない家紋です。

 

二階笠

もうひとつが、「二階笠」。

家紋
 

こちらは、坂崎出羽守という武将からもらった家紋です。

 

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 - 戦国武将の家紋