足利尊氏の家紋「足利二つ引き」と五七桐、五七花桐について

室町幕府を開いた足利尊氏ですが、はじめは高氏という名前でした。 まだ高氏だった頃、天皇に応じて鎌倉幕府を裏切り、倒幕に功をなしたとして、天皇から「尊」の字をもらい高氏から「尊氏」と改名したのです。そんな尊氏が出た足利氏は、清和源氏よりでた河内源氏の流れをくむ名家でした。そして、鎌倉時代には幕府の御家人として活躍した一族でもあります。

足利尊氏

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足利の名字のルーツ

足利尊氏が出た足利氏は、清和源氏より出た河内源氏の流れをくんでおり、その祖は八幡太郎とも呼ばれた源義家の孫の義康で、本拠地である下野国足利荘にちなんで「足利」を名乗ったのが始まりとされています。尊氏を初代将軍とした室町幕府ですが、15代の義明のときに滅亡します。そして、足利氏の直系はここで滅ぶこととなったのです。なお、分家は紆余曲折があったものの現在まで続いています。

足利尊氏の家紋「足利二つ引き」

家紋

足利将軍家の公式の代表紋は、「足利二つ引き」です。これは、5本に張られる陣幕の布の2本目と4本目を黒く染めて自陣の目印としていたことより、のちに、旗に横棒を2本並べたものが家紋になったと言われています。引き両は「引き」とも呼び、横に惹かれた太い直線を一本から三本描いたものです。発祥についてははっきりしたことがわかっておらず、「龍の姿を表したもの」や「霊を表したもの」など諸説あります。太い線の引き両紋は力強さを表現し、武家の間で好まれていました。戦場の場で旗印として使用したのが始まりで、やがて家紋として定着します。使用地域は関東かた東北地方で多く見られますが、有名なのは足利一族の「丸に二つ引き」や、新田氏の「新田一つ引き」です。直線は横に配置したものが一般的ですが、中には縦に配置したものもあり、丸に竪三つ引きや、丸に竪二つ引きなどがあります。また、互い違いに描いた喰い違い七引もあります。

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謎が多いといわれる引き両紋

なお、「丸の内に二つ引き」という丸に二本の線を引いたシンプルなデザインの家紋がありますが、この二本線の太いのが「足利二つ引き」です。引き両紋は謎の多い紋といわれており、その成り立ちは諸説入り乱れています。ちなみに、室町幕府が開かれたあとは、斯波氏や今川氏などの足利一族も「丸の内に二つ引き」を使用しています。

丸の内に二つ引きは衣服に使用

「丸の内に二つ引き」の紋は、衣服の紋などで使用する際の見た目を考えてできたものです。しかし、足利将軍家の家紋とされている「足利二つ引き」だけは違うデザインになっています。

後醍醐天皇からもらった五七桐紋

 

五七桐

「二つ引き」と並ぶ足利氏の家紋も存在しております。それは「桐紋」です。「桐紋」は、後醍醐天皇から「菊の紋」と一緒にもらったものです。ですが、のちに二人は対立することになります。尊氏は北朝を擁して室町幕府を開き、後醍醐天皇は吉野に逃れて南朝を樹立します。こうして、後醍醐天皇に背いたかたちとなった尊氏ですが、紋は返上しませんでした。そのため、桐紋は二つ引きと並んで、足利氏の家紋として認知されていくのです。

独自にアレンジをした五七桐「五七花桐」

家紋

実は、尊氏は桐紋にこだわりがあったようです。そもそも尊氏がもらった桐紋は「五七桐」だと考えられていますが、後に桐の花が咲いたデザインにアレンジした、専用の「五七花桐」を作っています。こうすることで、他家の桐紋との差別化を図り、「五七花紋」を独占紋にしたのです。なお、花の数は五七桐と同じです。

配下の武将に与えた「丸の内に二つ引き」と「五七桐」

足利氏は配下の武将に「丸の内に二つ引き」と「五七桐」の家紋を授けました。その中の「丸の内に二つ引き」は清和源氏系に好まれ、斯波氏や最上氏は定紋として使用するようになりました。また、桐紋は足利氏以降、桐紋を授かった武将がさらに配下に与えていったため無数に増えていきました。そんなこの2つの家紋は、武家によく使用されており、武家紋のルーツになったともいわれています。

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丸の内に二つ引き

 

家紋

そもそも足利氏が「足利二つ引き」を使用し始めたのは、鎌倉時代に源頼朝の白旗と違いをつけるために、旗に二つ線を入れたのが始まりという説もあります。足利氏は室町幕府を開いたあと、畠山氏、斯波氏、吉良氏、細川氏、織田氏などにこの「丸の内に二つ引き」の家紋を授けていきました。

五七桐

家紋

桐紋に使用されている桐は、鳳凰が止まる木として神聖視されており、「五七桐」は皇室の家紋として使用されてきました。これが武家に与えられると、一気に庶民まで広まり、現在では全国各地で使用されています。また、桐紋は日本政府の紋章としても使用されています。

室町幕府創設に貢献した武将

足利尊氏は、後醍醐天皇の新政に失望した武士たちの期待を担い、新政権に反旗を翻しました。そして、激戦ののち京都を制圧して幕府を開くことになりました。そんな尊氏と一緒に戦った武将と家紋を少し紹介いたします。

高師直の七宝に花角

家紋

高師直(?~1351)は、尊氏の側近として、室町幕府成立後は執事を務めていました。そんな高師直が使用していた家紋が、「七宝に花角」です。

赤松則村の二つ引きに三つ巴

家紋

赤松則村(1277~1350)は、尊氏とともに後醍醐天皇の新政に反旗を翻しました。そんな赤松則村が使用していた家紋が、「二つ引きに三つ巴」です。

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戦国武将117名の家紋一覧をまとめてチェックしよう

kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
kamon_r5_c2
前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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