前田利家の家紋の由来を画像付きで解説!加賀百万石の前田梅鉢紋の他に五七桐・菊紋も

前田利家

前田利家は、織田信長から豊臣秀吉に仕えた人物。「豊臣五大老」と呼ばれるほどの活躍をしただけでなく、一代で「加賀百万石」を達成した優秀な武将であることも有名ですね。そんな彼の家紋とこれまでについてまとめました。

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織田信長と前田利家

利家は、若いころは派手好きで破天荒な行動が多かったようで、決して評判はよくありませんでした。しかし、そこが「うつけ者」と呼ばれていた信長に気に入られたらしく、信長の小姓として働くことになったのです。お互いによく言われなかった者同士、気が合うところがあったのでしょう、信長は三歳年下の利家をとても可愛がり、利家も信長を主として非常に慕っていたそうです。

信長の目の前で信長の弟を斬首

しかし、利家はちょっとしたもめ事から信長の弟を斬首してしまいました。それも信長の目の前で、です。もちろん信長は激怒し、利家を家から追い出してしまいました。

弟の斬首を信長になんとか許してもらう

利家はこのことを深く反省したようで、信長の「桶狭間の戦い」では信長に許されていなかったにも関わらず参加し、敵の首を討ち取りました。しかし、弟を殺された信長の怒りは解けることがなく、その後の戦で敵の首をとってようやく許してもらうことができました。

信長が亡くなったあとは秀吉に仕える利家

その信長が「本能寺の変」で討たれたあと、利家は織田家の家督争いに巻き込まれることになります。羽柴秀吉と柴田勝家の間で起きたこの争いで、利家は「どっちにつくか」を求められました。どちらとも縁があった利家は、最初は勝家につきその後は秀吉につくという荒業をやってのけます。結果的に秀吉が織田家の実験を握ることになり、利家は以後秀吉のために働くようになります。

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秀吉の死後も、利家の影響力は絶大

「豊臣五大老」と言われるまでに秀吉のもとで力をつけた利家は、秀吉の死後もその影響力を維持しています。秀吉が亡くなったのち、豊臣家の中では石田三成とそれに反発する勢力が対立していました。石田三成は人間関係を築くのが苦手だったようで、秀吉の家臣であった加藤清正・福島正則らの彼に対する怒りは非常に大きかったといいます。

三成と秀吉の家臣・加藤清正、福島正則らの仲裁役として活躍

両者の間に立って仲裁をしていたのがこの前田利家でした。秀吉の忠臣でもあり、力もあった前田利家の存在を無視することはできなかったのです。しかし、そのさなかに利家は61歳でこの世を去ってしまいます。

利家亡き後、関ケ原の戦い勃発へ

仲介していた利家の存在がいなくなったことで、力をのばしていた家康をとめられる人間がいなくなってしまいました。そして、家康に加藤清正・福島正則らがついた「東軍」と、石田三成率いる「西軍」の間で「関ヶ原の戦い」が勃発したのです。利家がもう少し長く生きていれば、もしかしたら「関ヶ原の戦い」は避けられたかもしれません。

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実は、前田家の領地が100万石になったのは利家の死後?

「加賀百万石を実現した前田利家」と言われていますが、厳密に言うと100万石になったのは利家の死後です。豊臣政権のなかで90万石を得た利家ですが、「関ヶ原の戦い」の前に亡くなりました。100万石になったのは、その「関ヶ原の戦い」で利家の子・利長が家康率いる東軍で活躍し、加増されたために100万石になりました。実は、子供の代でさらに増やして120万石にまでなっています。

家康の次に石高のあった前田家

しかし、こうして石高が増えてよかったことばかりではなく、力があるばかりに常に徳川幕府から監視されていたとか。家康の次に石高がある家ですから、警戒されるのは当然と言えば当然です。前田家は徳川家をたてながら、明治維新で幕府が倒れるまで大名の座を守り抜きました。

前田利家と言えば、奥さんの「まつ」が超有名

前田利家と言えば、本人もさることながら妻の「まつ」がとても有名ですね。「利家とまつ」というタイトルで大河ドラマになったことでもよく知られています。まつは利家との間に11人も子供を産み、さらに秀吉の妻・ねねとも親しく、秀吉と利家の関係が悪くなりそうなときも仲介するなど、とても優秀な妻でした。利家と同じくらいまつは有名な存在で、前田家を語るときには欠かせません。まつは、秀吉が亡くなった後に家康から前田家が疑いをかけられた時も、自分が家康の人質になることで前田家を守っています。その期間、なんと14年。前田家は家康と戦うつもりだったようですが、それで負けていたら今の前田家はなかったので、まつは身を挺して前田家を守ったのです。

加賀梅鉢紋:前田利家の家紋・由来について

加賀梅鉢紋

家紋
前田利家といえば、「梅鉢紋」ですね。「梅鉢」の家紋は、学問の神様で名高い「菅原道真」がよく使用していた家紋です。利家は、自分のことを「道真の末裔」と宣言してたそうで、その関連から梅鉢紋をよく使用していました。こちらの家紋ですね。梅は、古く中国では菊・竹・蘭と並び四君子の一つとして愛でられました。四君子(しくんし)とは、菊、竹、蘭、梅の4種を草木の中の君子として称えた言葉です。その梅が中国から日本に渡り、春に先駆けて香り高く咲く梅が人々に愛でられるようになりました。万葉集には、梅を詠んだ歌が1位の萩142首に次いで119首も詠まれています。梅の紋様は、奈良時代から用いられていますが、写実的に表現された梅花紋、幾何学的に図案化された梅鉢紋があります。鉢というのは、花の真ん中の雄しべが、太鼓を叩くバチのように見えることから名づけられました。

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しかし、この家紋は時代と共に変化したようで、後に前田家では「中央の部分が刀のように見える家紋」を使用するようになっています。

家紋

よく↑が前田利家の家紋として紹介されていますが、利家が使用していたのは上の形の家紋で、こちらのものではないので注意しましょう。これは「変形星形の梅鉢紋」と呼ばれています。

秀吉から下賜された五七桐

家紋

豊臣秀吉の家紋で有名な「五七桐紋」も、前田利家が使用したもののひとつです。秀吉は、自分の家紋を家臣に多く下賜していたことで有名で、「五大老」と呼ばれるほどの忠臣・利家にももちろんこの家紋を下賜していました。日本の硬貨にも使われている非常に有名な家紋ですね。桐は高級木材として、菊紋についで天皇家や功績をあげた者の家紋として用いられました。その風習のはじまりは、後鳥羽上皇から足利尊氏が桐紋を賜ったことです。その後、桐紋が広く広まったのは皇室が臣下へ、下賜された武将が臣下へと付与したことによります。桐紋は桐の葉と花を図案化したもので、一般的には3枚の葉の上に3本の花が描かれ、その花の数によって五三桐、五七桐など呼び名が異なります。豊臣秀吉の家紋は太閤桐と呼ばれ、特定の一つの紋ではなく秀吉の遺品などに確認される桐紋のうち、独自のアレンジが入ったものの総称です。秀吉が家臣に与えたので西日本を中心に多く用いられています。

「菊紋」も使用していた利家

家紋

また、利家は「菊紋」も秀吉から下賜されていました。菊紋と言えば、現在では「天皇家が使用している家紋」ですが、この時代にはまだ大名なども使用していたようです。ただ、利家はこの菊紋はあまり使用していなかったようですね。

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戦国武将117名の家紋一覧をまとめてチェックしよう

kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
kamon_r5_c2
前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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