足利義昭の生涯と家紋の家紋と生涯|室町幕府第15代で最後の足利家の将軍

15代にわたって幕府の将軍を務めてきた足利家の、最後の将軍となったのが足利義昭です。そんな彼の家紋とこれまでについてまとめました。

利義昭

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足利13代目将軍義輝の暗殺で一変した義昭の人生

義昭は次男として生まれたため、仏門に入り将軍の職とは離れた生活をしていました。そんな義昭の人生が一変したのは、兄であり13代目将軍でもあった足利義輝が暗殺されたときのことです。

幽閉されるも再び将軍の座に就くことを決意する義昭

義輝の暗殺で将軍職を追われてしまった足利家を復権させるために、義昭は「自分が京都に行って再び将軍の座に就く」ということを決意しました。兄の暗殺から義昭自身も幽閉されてしまいますが、協力者の力を得て脱出することに成功しています。

義昭と織田信長の出会い

「京都に行って自分が将軍になり、足利家の力を取り戻したい」と考えた義昭ですが、京都までの道中は非常に危険で、力のある誰かに護ってもらうことが必要でした。そこであちこちの大名に打診した結果、当時とても力を付けていた大名・織田信長が付きそうことになります。

信長のおかげで将軍の座に就くも無力だった義昭

信長は京都まで義昭を守り、義昭は無事に15代目将軍の座に就くことができました。しかし、上洛でさえ信長に付き添ってもらわなければ実現できなかった義昭が、将軍になったからといってなんの後ろ盾もありません。結果、引き続き信長の力を頼ることになります。

信長との関係はますます悪化する一方

力関係でいうと、将軍の義昭が信長より偉いのは当たり前なのですが、実際のところは「信長がいないと将軍の座が危うい」ということで、信長のことを無視することはできなかったのです。この危うい力関係は、二人の仲をどんどん悪化させていきました。

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信長との戦いに敗れ、京都を追放

こうなると、義昭にとって信長は邪魔な存在になります。義昭は、同じく信長を倒したいと考えていた武田信玄と結託。信長と戦いますが、途中で信玄が病気で亡くなってしまいます。これで、義昭は信長と戦うことはできなくなってしまいました。

信長からの和解を断固拒否

足利家の将軍である義昭を利用したい信長は和解を持ち掛けますが、義昭はこれを拒否。ここで和解したとしても、また信長に良い様にされるだけだと解っていたのでしょう。信長はついに二条城を焼き討ちにしますが、それでも義昭は抵抗。やがて信長は義昭の説得をあきらめ、京都を追い出してしまいました。京都を追われた義昭は、貧しい生活を余儀なくされながら毛利家を目指し、保護されます。

時代は信長から家康へ、将軍の座を断念する

その後もなんとか信長を倒そうとしていた義昭ですが、「本能寺の変」でその信長が討死。時代はもはや足利ではなく、信長の家臣・秀吉へと流れていました。この流れを読んだのか、義昭は将軍職への復帰を断念。九州の島津氏に対し、豊臣と和解するよう説得したことが評価され、京都に戻って出家しています。義昭は新しく屋敷を構え、「元将軍」という立場から格別の待遇を受け、61歳で亡くなりました。

足利義昭の家紋は「丸に二つ引両紋」

家紋

足利義昭が使用していた家紋は「丸に二引両紋」と呼ばれる家紋です。とてもシンプルな家紋ですが、この家紋は足利家が代々使用していたことから有名になり、足利家の象徴的として使用されています。引き両は「引き」とも呼び、横に惹かれた太い直線を一本から三本描いたものです。発祥についてははっきりしたことがわかっておらず、「龍の姿を表したもの」や「霊を表したもの」など諸説あります。太い線の引き両紋は力強さを表現し、武家の間で好まれていました。戦場の場で旗印として使用したのが始まりで、やがて家紋として定着します。使用地域は関東かた東北地方で多く見られますが、有名なのは足利一族の「丸に二つ引き」や、新田氏の「新田一つ引き」です。直線は横に配置したものが一般的ですが、中には縦に配置したものもあり、丸に竪三つ引きや、丸に竪二つ引きなどがあります。また、互い違いに描いた喰い違い七引もあります。

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kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
kamon_r5_c2
前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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