黒田長政の家紋と経歴 – 天才軍師・黒田官兵衛の子に迫る

織田家・豊臣家に仕えながら、軍師として活躍した黒田官兵衛(本名:黒田孝高)。大河ドラマの主人公にもなりましたね。その官兵衛の息子に当たるのが、「黒田長政」です。父が優秀だと、息子はあまり…なケースも戦国時代には多いのですが、この黒田長政は非常に聡明で「父子共に優秀な家系」のひとつ。父・官兵衛(ここでは官兵衛に統一)と息子長政の活躍と、黒田家の家紋をご紹介しましょう。

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父と子、違った才能で戦国時代を行き抜いた

黒田長政

黒田長政は、1568年に姫路城で誕生しました。父は「官兵衛」の名で知られる黒田孝高。官兵衛は織田家・豊臣家に仕えた軍師で、知略に優れた武将として良く知られている人物です。豊臣の軍師と言えば「竹中半兵衛」が非常に有名ですが、その半兵衛と並んで「両兵衛」などと呼ばれていたこともあるほどで、その名は戦国の世に轟いていました。明智光秀が本能寺で織田信長を討ったときは、官兵衛は秀吉に「中国の毛利輝元と和解して光秀を討つように」といち早く助言し、明智光秀を討つことに成功しています。

親譲りの戦の才能を見せる黒田長政

しかし、息子である長政は「勇猛な戦いぶり」で功績を挙げた武将です。父子でありながら、持っている才能は違ったものであったようで、織田信長亡き後に豊臣秀吉の家臣となってからは、朝鮮出兵にも参加しています。また、秀吉が亡くなった後は家康側に近づき、秀吉の家臣・石田三成の襲撃にも加わりました。

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関ケ原では西軍の島左近を打ち取った黒田長政

石田三成とは折り合いが本当に良くなかったようで、「関ヶ原の戦い」では福島正則と共に先頭に立って戦い、毛利軍の足止めに成功。さらに、小早川秀秋と裏で通じて寝返りをさせ、東軍勝利に大きく貢献しました。三成の有力な家臣であった島左近を打ち取ったのも、長政です。あの関ヶ原の戦いを勝利に導く大きな働きをしたこと、さらに一日で終結させた立役者であることから、家康は長政を高く評価し、福岡藩を任せています。

福岡の由来は備前国福岡

ちなみに、「福岡」という名称は黒田家に縁のある「備前国福岡」からとったもので、ここから「福岡」という名称が定着しました。その後は福岡城に居住しますが、関ヶ原の跡地を回るなどしている最中に病が悪化。56歳で生涯を閉じました。

「大阪夏の陣図屏風」の謎

さて、その長政ですが実は大きな謎を残した人物でもあります。長政は、「大阪夏の陣図屏風」という絵画を描かせており、それは今も現存しています。しかし、徳川軍に加わっていたにも拘わらず、この絵には勝利した徳川軍が乱暴狼藉を働く姿も描かれており、「なぜこのようなものを描かせたのか」は今もなお議論されています。見ると解りますが、本当に残虐そのものの記録です。

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おぼれる領民と取り囲む兵士たち

おぼれる領民と取り囲む兵士たち

兵士たちに囲まれる若い娘。

兵士たちに囲まれる若い娘

常識的に考えれば、味方の軍のこのような行いは記録に残さないようにするでしょう。なのに、あえて描かせているのはどうしてなのでしょうか?「大阪夏の陣」は、豊臣家が滅亡した戦でもあります。徳川についていたとはいえ、目の前で消えていく豊臣家になにか思うことがあったのかもしれませんね。いずれにせよ、その理由は長政にしか解りません。この絵画は、当時の戦の状況を知るうえで非常に貴重な史料にもなっています。

竹中半兵衛にもらった「黒餅紋」を使った官兵衛、そして長政

黒餅紋:黒田長政の家紋その1

黒餅紋

黒田家の家紋で有名なのが、この「黒餅」という家紋。白地に黒で丸を描いた、とてもシンプルな家紋です。ちなみに、黒地に白抜きで丸を描いたものを「白餅紋」と呼んでいます。この黒餅紋は、豊臣秀吉のもとで共に「両兵衛」と呼ばれた竹中半兵衛から譲り受けたもの。官兵衛が大層大切に使用していた家紋として知られています。

長政は幼少期に織田家の人質だった

実は、長政は幼いころに織田家の人質となっていた時期があります。ある時、父の官兵衛が敵軍を説得するために赴いたところ、逆に捉えられ幽閉されてしまいました。これを、信長は勘違いから「官兵衛の裏切り」と思い込んでしまい、嫡子である長政を殺そうとします。しかし、ここで半兵衛が素早く長政をかくまい、信長をうまくごまかしてくれたことから、長政は命をとられずに済みました。半兵衛は、官兵衛と長政を心配する手紙を遺し、若くして肺病でこの世を去ります。

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長政を信長から守り抜いた竹中半兵衛

その後に助け出された官兵衛は、竹中半兵衛が長政を守り抜いてくれたことを知って感激し、半兵衛が使っていた家紋を使用するようになりました。その後も両家の絆は継続しており、関ヶ原の戦いでは長政と半兵衛の子・竹中重門が隣同士の陣地で闘っています。互いに偉大な父を持つ二人は、父同士が互いを思いやる姿を見て多くのことを学んだのでしょう。

藤巴紋:黒田長政の家紋その2

そして、もう一つが「藤巴紋」です。官兵衛はこの家紋を替紋として使用しており、表門は「黒餅」であったことが解っていますが、黒田家の家紋というとこちらの印象が強い様です。

藤巴紋

こちらの紋は、黒田家が使えていた「小寺家」から下賜されたもの。ただ、黒田家は「家臣でありながら主君とおなじ家紋を使うのは気が引ける」という気持ちがあったようで、小寺家よりもデザインがシンプルなものを使用しています。

福岡の産業を活発化させた長政

長政の功績のひとつに、福岡の産業であった「博多人形」「博多織」などの伝統工芸を盛り上げたというものがあります。このおかげで、これらの伝統工芸品は今での博多の大切な文化として根付いており、長政がいかに福岡の工芸品を愛し後押ししてきたのかが伺えます。また、築城の才があったとされ、日光東照宮の大鳥居や石塔をはじめ、徳川の代になってからの大阪城の築城にも協力をしています。さすがにあの黒田官兵衛の息子、多くの才を持った人物であったことがわかりますね。

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kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
kamon_r5_c2
前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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