島左近の家紋とその生涯を解説!「石田三成に過ぎたるもの」と評価された戦国武将

島左近

豊臣秀吉が亡くなったのち、豊臣家の中で存在感をあらわにした石田三成。三成は義に厚い武将で、非常に頭のいい人物だったのですが、軍事に関してはあまり得意ではなかったと言われています。そんな三成のそばで、彼の手助けをしていたのが「島左近」という武将です。本名は島清興と呼ばれる彼の家紋と三成に評価されたその人生を解説していきます。

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引く手あまただった島左近が、石田三成を主とした理由

石田三成に対する評価に、以下の言葉があります。「石田三成に過ぎたるものがふたつある。島の左近と佐和山の城」。つまり、「島左近と佐和山城(三成の居城)三成にもったいない」、と言う意味です。

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石田三成は、同じ豊臣秀吉の家臣だった福島正則らからよく思われておらず(というか、徹底的に嫌われていた)、親友の大谷吉継からも「農民から大名まで横柄だと言っている。人望がない」と言われており、当時の評価は決して良くありません。だからこのような言葉が出てきたのだと考えられますが、一方で左近の評価が非常に高かったことが解ります。

島左近の出身はよくわかっていない

その左近が、どこでどう生まれたのかについては良く解っていません。ただ、仕えた先の主と反りが合わなかったため、各地で浪人生活を送っていたことは解っています。この時からすでに左近は有名だったようで、あちこちから「うちに来てくれ」という引き合いがありましたが、左近はそれをすべて断っています。

石田三成から手厚い歓迎を受けた島左近

多くの引き合いがあった中で、他の大名と同じく彼を誘ったひとりが石田三成でした。もちろん左近は断ったのですが、三成は「自分が持っている四万石から、二万石を与える」という条件を差し出して左近を説得しました。主と家臣の禄が同じということは、当時はまずありえないことです。左近はこの三成の申し出に心を打たれ、三成に仕えることを決めました。

三成に仕え、三成と共に散った島左近

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頭が良く、それでいて武勇に関しても申し分のない島左近は、石田三成の腹心として名を知られるようになりました。その中で、左近は三成にいくつか助言をしています。

三成に家康暗殺を持ちかける島左近

ひとつは、秀吉が亡くなったあとに徳川家康の暗殺を持ちかけたこと。豊臣秀吉の晩年の行いもあり、徳川家はとても力をつけていました。だからこそ、今のうちに始末しておこうと左近は考えたのです。しかし、真面目な石田三成は「暗殺なんて卑怯な真似はできない」とこれを拒否してしまいます。

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抗瀬川の戦いでは島津義弘と一緒に家康夜襲を持ち掛ける

これと同じ様なことが、「抗瀬川の戦い」でも起きています。「関ヶ原の戦い」の前に起きた「抗瀬川の戦い」にて、左近は徳川率いる東軍を打ち負かしました。この勢いに乗って敵をさらに弱体化させようと、左近は島津義弘と共に「東軍に夜襲を仕掛ける」という案を三成に持ちかけます。「どんな手を使ってでも、家康を倒したい」という左近の気持ちがこの行動からもにじみ出ているのですが、これも三成は拒否してしまいました。「卑怯なことはしたくない」という三成の生真面目さが見えるエピソードなのですが、この時の左近の胸中はいかばかりか…と考えてしまいますね。

関ケ原の戦いで黒田長政に討たれてしまう

そして、とうとう勃発した「関ヶ原の戦い」。三成率いる西軍は、味方であったはずの小早川秀秋をはじめとする数名の裏切りにより敗北してしまいます。左近は、黒田官兵衛の息子「黒田長政」の軍と激突し、命を落としました。

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引用:https://ja.wikipedia.org/

左近は最後まで鬼人のごとく刀を振るい、その勇猛さは黒田長政の兵が語るほど。左近の「かかれー!」という言葉が耳から離れず、夢に見て飛び起きたという逸話が残っています。

島左近の家紋は「丸に三つ柏紋」

左近が使っていたのは、こちらの「丸に三つ柏紋」と伝わっています。

丸に三つ柏紋

柏紋は日本で非常に有名な家紋のひとつで、「十大家紋」としても知られています。柏の葉は厚くてしなやかであることから、食材を乗せる食器として使用されていた時期がありました。現在も宮中のお祭りにて食前として使用されているそうで、そこから「神の木」という意味を持つようになったとか。縁起の良さから、よく家紋に使われているのかもしれませんね。

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kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
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前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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