森長可の家紋「鶴丸」を解説!父に森可成、弟に森蘭丸をもつ戦国武将

織田信長の小姓として有名な森蘭丸。その蘭丸の兄にあたるのが「森長可」です。「もり ながよし」と読みます。有名すぎる蘭丸と比べると、知名度が低めの森長可ですが、個性派揃いの信長の家臣だけあって、彼もまた面白い逸話を遺しています。

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信長にめちゃくちゃ可愛がられた森長可・その破天荒な人柄に迫る

森長可は、信長の家臣・森可成(よしなり)の次男として生まれました。次男なので、当初は家督相続をせず長男が森家を継いでいたのですが、父・兄が相次いで戦で亡くなってしまったため、森家の当主となりました。

長可の「長は」信長からもらったもの

父が優秀な家臣であったことから、信長は遺された子供たちのことを大層可愛がります。弟の蘭丸は信長の小姓となり、長可は織田家の嫡男・織田信忠に仕えるなど、破格の扱いを受けました。

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弟の蘭丸はインテリに対して長可はやんちゃ

弟の森蘭丸は大層頭が良く、その優秀さを信長が買っていたのは有名ですが、この長可はとにかく「やんちゃ」。どのくらいやんちゃなのかというと、関所で止められれば止めた人間を切り殺し、橋を通ろうとしたときに止められれば相手を殺す、という逸話が残るくらいです。。信長も信長で、「橋の上で人を斬るのは武蔵坊弁慶を思わせる。武蔵守と名乗ればいい」というわけのわからない言葉だけで済ませたそうなので、やっぱりお気に入りだったのでしょうね。このやんちゃさに比例するように、戦も巧くて戦果もよく挙げていたようです。ただ、甘やかされたせいかもともとの資質か、軍のルールを守らずに勝手に行動することも多かったので、さすがに信長も怒ったといいます。この長可は信長と蘭丸が「本能寺の変」で討ち死したあとも生き続けました。

信長亡き後は秀吉につく~しかし27歳で討ち死

信長が亡くなったのち、織田家では当主争いが勃発。信長の次男・信雄を推す羽柴秀吉と、三男・信孝を推す柴田勝家が対立してしまいます。当主を決めるために「清須会議」では、信忠の嫡男・三法師を当主にすることが決まったものの、両者の溝は埋まりませんでした。

賤ケ岳の戦いで敗れる柴田勝家

秀吉は「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家・織田信孝を自害に追い込み勝利します。しかし、もはや織田家をしのぐほどの力を得た秀吉は、残された信雄を必要としていませんでした。

小牧長久手の戦いで秀吉軍に就く長可

信雄は、徳川家康と共に秀吉を討つべく挙兵し、秀吉も戦うことを決意(「小牧長久手の戦い」)。長可は秀吉軍に加わって戦いますが、戦はなかなか決着がつかない状態でした。事態を動かすために、秀吉の甥・豊臣秀次が総大将になって軍を率いますが、この軍の第2軍を率いたのが長可です。死を覚悟していた長可は、鎧の上から白装束を着て戦に挑み、敵軍の将を討ち取るなど大きな活躍を見せます。しかし、徳川家康軍の井伊直政軍と戦っているときに眉間を討たれ、27歳でこの世を去りました。

長可が遺した遺書から見える、また別の人柄

長可自身が持つエピソードや、戦上手という評判から「猛将」という印象ばかりが強いですが、一方で書を愛し、戦にも紙や筆を持ち込んでいたそうです。何か報告しなければならないことがあると、自分で筆をとって書を書いたとか。それもあって、長可は「小牧長久手の戦い」の中で妻にあてた遺書をしたため、自分が死んだあとの森家について指示もしています。

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遺書には子供にはお医者さんを勧める

この遺書の中に幼い子供たちについて書かれているのですが、娘については「武士の妻ではなく、庶民の嫁になってほしい。できればお医者さんがいい」と書き遺しています。父と兄を早くに亡くし、その後は可愛がってくれた信長と弟の蘭丸を亡くし…「猛将」として勇ましいエピソードを遺しながらも、子供たちには自分と同じような目にあってほしくなかったのでしょう。この遺言状は内容が「異様」ともいえるものだったため、秀吉も扱いに困ったそうなのですが、自分亡き後の家のことを慮る長可の心が透けて見えます。ただ、さすがに武家の娘が庶民の嫁に…というのは考えられないことで、遺言は守られることなく娘は武家に嫁ぎました。

森長可の家紋とは

turumaru鶴丸

森長可が使用していた家紋は「鶴丸」です。鶴が二つの羽を広げたような、とても鮮やかな家紋ですね。

「鶴」は長寿の動物であること、姿も鳴き声も美しいことから、家紋に使用されるようになりました。森家では、この鶴丸の家紋を代々使っていたようですね。

鶴丸紋の逸話

この「鶴丸紋」ですが、有名な逸話があります。日本航空が、フランスの著名なアーティストに「会社のロゴを作ってもらえないか」と頼んだところ、「日本の伝統をみなさい。素晴らしいものがあるではありませんか」と言われました。そこで、鶴丸の家紋に似たデザインのロゴを作り上げたのです。日本の奥ゆかしい伝統が産みだした、とても美しい家紋ですね。

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kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
kamon_r5_c2
前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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