黒田官兵衛(孝高・如水)の家紋と生涯 – 豊臣秀吉に仕えた天才軍師 –

黒田官兵衛

天下統一を果たした豊臣秀吉に仕えた天才軍師・黒田官兵衛。同じく、秀吉に仕えていた軍師の「竹中半兵衛」と共に、「両兵衛」とも言われていたとても有名な武将です。2014年には、大河ドラマの主人公にもなり、V6 の岡田准一くんが官兵衛を演じました。現代でもその優れた知性への評価が高い、黒田官兵衛の生涯と家紋について見ていきましょう。

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明智光秀を討つための「中国大返し」を進言した黒田孝高

黒田官兵衛
「官兵衛」という名前は通称で、実際の名前は「黒田孝高」と言います。ここでは「孝高」の名前の方で彼をご紹介します。

黒田官兵衛の生まれ

黒田孝高は、播磨(現在の兵庫近隣)にある姫路に生まれました。父が小寺家という家に仕えていたため、孝高もそれに倣って小寺家のもとで働くようになりました。父は小寺家の家老という地位に上り詰め、家老として小寺家に忠義を尽くしています。

毛利家と小田家に挟まれる官兵衛

そんな孝高でしたが、播磨の国が当時力のあった武将・毛利家と織田家に挟まれてしまうという事態に陥ります。毛利と織田、どちらにつくのか選択を余儀なくされた孝高は、主君の小寺家に「織田家についたほうがいい」と進言。当時の織田信長の勢いはすさまじいものがあったので、それを評価した形で織田を選んだのでしょう。織田信長への忠義を示すために、孝高は息子・黒田長政を人質として彼に差し出し、織田家に仕えるようになります。

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本能寺の変で暗殺される信長

しかし、本能寺にて信長は明智光秀に殺されてしまいます。この時、孝高は信長の家臣であった秀吉に「毛利と和解し光秀を討つように」と進言。これを聞き入れた秀吉は、素早く中国・毛利家との和睦を決め、「中国大返し」という大移動を強行して明智光秀を討ちます。※ただ、信長がいた京都から200キロ離れた場所にいた秀吉が、どうやって一日で信長の死を知ったのか?という疑問もあります。

豊臣秀吉に仕えた黒田孝高

さて、孝高はここから豊臣秀吉に仕えることになります。豊臣秀吉のために大阪城の築城にも協力していますし、毛利家を臣下にすることにも成功。四国の長曾我部家との戦いにも勝利しています。長曾我部家については、のちに宇喜多家と協力して降伏させました。誰もが認める武勲を立てる一方で、キリスト教に入信しキリシタンとしての道を歩むことに。その後も島津家を降伏させるなどの活躍を見せ、秀吉から「豊前国」を与えられ「中津城」を築城しています。

秀吉との関係性が悪化していく

ところが、その後に孝高と秀吉の関係は悪化してしまいます。あまりに孝高が優秀すぎたせいか、それとも他に何かがあったからなのか、孝高は豊臣秀吉から「謀反を起こすのではないか」と疑いをかけられるようになってしまいました。

名前を「孝高」から「如水」に変更し隠居生活へ

これまで懸命に仕えていた主君に疑われる日々は、孝高の心を深く傷つけたに違いありません。孝高は息子の長政に家督を継がせると、名前を「孝高」から「如水」に変え、隠居生活を送るようになります。とはいえ、相変わらず秀吉に仕え続け、秀吉の天下統一に大きく貢献しています。

結局秀吉との完成は修復できず・・・

それでも、秀吉との関係は修復できなかったようです。秀吉の家臣であった石田三成と対立した如水は、そのことで秀吉に強く責められました。これでもう駄目だと考えたのか、如水は出家。秀吉が亡くなった後に起きた「関ヶ原の戦い」でも、如水は豊臣率いる西軍ではなく、徳川率いる東軍へと参加しています。よほど石田三成が気に入らなかったのでしょう。如水の後継者として戦い抜いた息子の長政は、その活躍ぶりを家康に認められて福岡藩の藩主に上り詰めています。如水はそのまま隠居生活を続け、59歳でその生涯を閉じました。

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竹中半兵衛との信頼関係

竹中半兵衛

共に天才軍師として知られ、人から見れば「ライバル」に見えてもおかしくなかった竹中半兵衛(本名:竹中重治)。しかし、竹中半兵衛は黒田孝高を非常に気に入っていた様で、信頼関係を示すエピソードが残っています。孝高が織田信長に仕えていた時のこと、荒木村重が信長を裏切るという行為を犯しました。これに小寺家も追従しようとしていたため、孝高は荒木家を説得するために1人で村重のもとに向かいます。しかし、あろうことか村重は孝高をとらえ、幽閉してしまいました。

信長から裏切りと勘違いされる官兵衛

信長は、この孝高の行動を「裏切り」と勘違いし、人質として預かっていた長男・黒田長政を殺すことを決意します。が、ここで竹中半兵衛がいち早く長政を匿い「もう殺した」と信長をごまかします。

感謝の思いから自らの家紋を黒餅にする官兵衛

一年後、織田家に小寺家らが滅ぼされたころに官兵衛は救い出され、竹中半兵衛が長政を助けてくれたことを聞かされます。半兵衛の心遣いに大いに感激した孝高でしたが、身体が弱かった半兵衛は既にこの世を去ったあと…。そこで孝高は、彼の気持ちへの感謝を示すために家紋を「竹中家が使用していた黒餅紋」に変えました。共に戦国の世の軍師として生きた二人の、信頼関係を示すエピソードです。なお、この時に孝高は「小寺」から名前を「黒田」に改めています。

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黒田孝高の家紋は2種類!「藤巴」と「黒餅」

「藤巴」:黒田官兵衛の家紋その1

黒田家が使用していた家紋は、2種類が確認されています。小寺家に仕えていた時に、小寺家側から下賜された「藤巴」がひとつ。

藤巴紋
小寺家の家紋はもう入り組んだデザインだったのですが、下賜された時に「主君と同じ家紋を使用するのは恐れ多い」とした黒田家は、簡略化されたものを使用するようになりました。

「黒餅」:黒田官兵衛の家紋その2

もうひとつが「黒餅」の家紋です。これは、白地に黒い丸を描いただけの本当にシンプルなデザインの家紋ですね。逆に、黒地に白抜きで「丸」を描いたものを「白餅」と呼んでいます。

黒餅紋

 

これは、孝高の息子・長政を助けてくれた竹中半兵衛が使用していた家紋です。息子を助けてくれた半兵衛に敬意をはらい、孝高はこの家紋を黒田家の表紋にしました。明治時代まで黒田家はこの黒餅紋を使い続けますが、日本の国旗となった「日の丸」に非常に似た家紋であることから「藤紋」の方を表紋に復活させています。また、かつてこの藤紋黒田家に下賜した小寺家の裏切りから時間が経過したということも理由のひとつのようです。

なぜか銅像がない黒田孝高・長政親子

豊臣から徳川まで、とても多くの功績を残し、それを認められている黒田孝高・長政親子なのですが、なぜか彼らの銅像が作られていません。有名な戦国武将であれば、銅像が作られるのが常。それがないというのはとても不思議ですよね。大河ドラマにもなったことですし、孝高や長政の銅像が作られることを願いたいものです。

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戦国武将117名の家紋一覧をまとめてチェックしよう

kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
kamon_r5_c2
前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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