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佐々木小次郎の家紋と生涯|「巌流島」で武蔵に負けたとされる謎だらけの剣客

   

佐々木小次郎
 

「巌流島」で宮本武蔵と戦って敗北したと言われる佐々木小次郎。しかし、実は彼は謎が多く、生まれた年すら解っていません。そんな彼の家紋と生涯についてまとめました。

 

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謎過ぎて、名前すら本当か分かっていない

佐々木小次郎は、その存在が謎過ぎて名前すら本当か分かっていません。生まれた年もはっきりしておらず、生まれに関しても福井もしくは福岡のふたつの説があり、はっきりしていないのです。

 

毛利家に仕えていたともいわれている小次郎

ただ、小次郎は何かの縁で毛利家(安芸/広島)に仕えていたと言われ、そのあとに日本のあちこちを回って剣術の腕を磨いたと伝えられています。

小次郎は剣術の腕前がとても優れていると言われていますし、もし毛利家に仕えていたのなら、放浪するよりも毛利家で武勲がたてられてたのでは…という気もしますが、なにせ彼の存在が謎だらけなので、何とも言えません。

彼が編み出したという「燕返し」という剣の技は有名ですよね。

 

もちろん「巌流島」についても謎だらけ…

宮本武蔵と一騎打ちをして負けたと言われる小次郎なのですが、もちろんこれについても謎が満載です。そもそも、この「巌流島の戦い」で小次郎は70歳、武蔵は20代だったと言われ、戦いが成り立つのか?という指摘もあります。もちろん、この説さえもただの一説であり、他にもいろんな説があります。

 

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武蔵に負けた?死亡説まで諸々

また、負け方に関しても「武蔵に剣技の燕返しを破られ、頭を攻撃されたために負けた→亡くなった」という説から、「武蔵は小次郎のことを殺してはおらず、あとで息を吹き返したところを武蔵の部下たちが殺した」という説、そして「負けたけれどしんではいない」という説まであり、どれが本当なのか分かりません。

 

「敗者」の記録はいいようには残されない現実

正直言って、小次郎に関しては実在したのかどうかも分かりません。ただ、実在したとしてもこの時代は「勝ったものが良く描かれる」ということが多いので、敗者である小次郎のことが曲げられて伝えられている可能性も否定できないのです。

いつの日か、小次郎に関する新しい資料が出てくることを願うばかりです。

 

佐々木小次郎の家紋は「隅四ツ目結」紋

 

家紋
 

佐々木小次郎が使用していた家紋は、「隅四ツ目結」という家紋です。

これは、「鹿子絞り」と呼ばれる染め方でできるデザインを家紋にしたもの。こうして家紋が伝わっているということは、小次郎が実在した可能性の大きなヒントになります。

「佐々木」という名字の人の多くが、この家紋を使用しているそうすが、小次郎は果たしてどこで生まれたのでしょうか。

 

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 - 幕末・新選組の家紋