雑賀孫一の家紋「八咫烏」を解説!鉄砲軍団で信長を苦しめた戦国武将

「雑賀集」という言葉を聞いたことはありませんか?戦国時代には、鉄砲を操り軍を勝利に導く奇跡の軍団がいました。それが「雑賀衆」と呼ばれる集団で、その雑賀衆を率いていたのが雑賀孫市です。ゲーム「戦国BASARA」だと、両手に銃を持った女性キャラになって登場しているので、名前は割と知られているようです。「雑賀衆を味方にすれば勝ち、敵にすれば負ける」とまで言われた雑賀衆の長・雑賀孫市の人物像に迫ります。

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雑賀衆ってどんな集団なの?

ここで、雑賀衆がどんな集団なのかを紹介しましょう。日本には「紀伊半島」という地域がありますよね。紀伊半島にある和歌山県には、「紀の川」という川が流れているのですが、かつてこのあたりを拠点として活動していたのが「雑賀衆」という集団です。解りにくいのですが、雑賀衆というのはひとつの集団ではなく、いくつかの小さな集団が集まったもの。紀伊半島は瀬戸内海と太平洋に近いことから漁業や貿易に適していましたし、山には自然がたくさんあったので農業もさかんに行われていました。これらの集団を、それぞれまとめていたトップが集ったものが「雑賀衆」と考えて下さい。

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一丁の鉄砲が雑賀衆の運命を変える

そんな雑賀衆の運命を変えたのは、一丁の鉄砲でした。鉄砲は、ポルトガルから種子島にやってきたのが初とされていますが、この時に入ってきた鉄砲は2丁。※なんと、種子島側がが買った時は一丁一億円!高すぎますよね。そのうち一丁が、とある人物から雑賀衆の一員に渡されたことが「雑賀衆と鉄砲」のはじまりでした。

鉄砲の貿易で大成功

持ち込まれた鉄砲を参考にしながら、雑賀衆は鉄砲をつくることに成功。貿易によって「鉄砲の弾」の材料となる硝石を手に入れることにも成功し、鉄砲を量産していくのです。もともと、各国の大名の依頼を受けては戦の手伝いをしてきた雑賀衆ですが、鉄砲を持ってからはさらにその名声が強まり、あらゆる戦で頼られる存在になるのです。

「本願寺」と一緒に織田信長と戦った雑賀衆・雑賀孫市

では、雑賀孫市はどういう人物なのでしょうか?孫市の名前は「鈴木孫一」で、これは「雑賀衆」のなかの「雑賀党鈴木氏」という一族の有力者が継承していく名前だったようです。また、「鈴木重秀」という武将であったとも言われていますが(これについては茂秀自身の自著に書いてある)、定かではありません。謎が多い人物です。雑賀衆のリーダーかのように言われることも多いのですが、前述したように雑賀衆自体がいろいろな衆の集まりでしたので、どうやら「トップで率いていた」ということではないようですね。「雑賀孫市」「鈴木孫一」「雑賀孫一」など、呼ばれ方も多々ありますが、ここでは「孫市」で統一しています。

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信長との本願寺の戦いに臨む

雑賀孫市を有名にしたのは織田信長と「本願寺」の戦いです。織田信長は、京都にある「本願寺」と戦うことになるのですが、この時に雑賀衆は本願寺側、織田信長の二手に分かれてそれぞれを支援しました。なぜ双方についたのか?に関しては、どうやら内部で分裂があったようです。でも、さすがに仲間と戦うことに躊躇いがあったのか、信長側についた雑賀衆は積極的に戦おうとしませんでした。対して、本願寺側についた雑賀衆は遠慮なく信長と戦ったようで、銃を用いた雑賀衆の戦闘能力に信長はかなりの手を焼いたと言われています。

本願寺側につく孫市

この、「本願寺側についた雑賀衆にいたのが孫市。雑賀衆が本願寺に協力したことが、信長VS本願寺の戦いを10年にも長引かせた要因にもなりました。あの信長を10年手こずらせたところからも、雑賀衆がいかに優れた先頭集団だったのかが解ります。分裂した雑賀衆は、それぞれ「信長革」「本願寺側」に分かれて戦うのですが、戦いが長引くにつれて雑賀衆同士の対立は決定的なものに。

信長も、いい加減10年も戦っていることにうんざりしたようで、「本願寺の味方をしている雑賀孫市を倒す」と決意。10万の大軍を率いて、孫市に襲い掛かりました。孫市も負けずに織田軍を迎え撃つものの、10万という数は「敵を討っても討ってもわいてくる」という状態なので、結局は敗北。そして、雑賀衆自体もふたつに分かれて争う状態が続きました。

豊臣政権下での雑賀衆滅亡

織田信長に負けてからの孫市の動向は、はっきりしていませんが、「本能寺の変」で織田信長が討ち死にすると、ふたたび表舞台に名前が出てくるようになります。どうやら、「本能寺の変」のあとには豊臣秀吉のもとで働くようになったようですね。そして、どうやら雑賀衆たちとは別行動を取るようになっていたフシがあります。一方で、秀吉は雑賀衆の根本を揺るがすような改革を行います。「太閤検地」を知っていますか?これは、各地でどのくらいのコメがとれるのかを記録し、それに応じた税金を納めるというシステムのことです。今の税金の形と似たようなものですね。

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太閤検地に困った孫市

しかし、これをやられてしまうと雑賀衆は困ってしまうのです。なぜなら、雑賀衆はこれらのルールを自分たちで決めて運営してきたからこそ、やってこれた民族だからです。秀吉に勝手にルールを作られて、税金を納めるなんてとんでもない話でした。でも、秀吉は自分が作ったルールで統治をすすめていたため、雑賀衆が独自に国を運営することは認めませんでした。それはそうです、今の日本の中に、もうひとつ国ができるようなものですからね。対立していた雑賀衆たちも、これには団結して反発。

小牧・長久手の戦いにて

そんな時、秀吉と対立していた徳川家康と戦いをはじめ(「小牧・長久手の戦い」ですね)、雑賀衆は家康の側について秀吉軍とたたかいました。この時、孫一は秀吉の側についていたことが解っています。戦の途中、家康は秀吉と講和を結んでしまい、雑賀衆は取り残される形になってしまいます。秀吉は今度こそ雑賀衆を滅ぼすため、かつての信長と同じ10万の軍で進軍。これにはさすがの雑賀衆も勝てず、次々と敗北していきました。途中、秀吉は部下となった雑賀孫市を雑賀衆に向かわせて説得を試みますが、もはや雑賀衆たちは孫市の言うことを聞き入れませんでした。孫市と雑賀衆は完全に断絶状態となり、そして雑賀衆は秀吉の軍に負けて滅亡するのです。孫市は、雑賀衆の説得に行く直前に「秀吉を裏切らない」という証として、子供を置いていきました。その子供は秀吉のもとで働くようになり、孫市自体がどうなったのかははっきりしていません。おそらく秀吉がいる大阪にいたものと考えられていますが、雑賀に戻って暮らしたなど様々な説があります。

雑賀孫市の家紋

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孫市の家紋は「八咫烏紋」で「やたがらすもん」と読みます。雑賀孫市の「雑賀」は、彼が住んでいた土地のことであって、本名は「鈴木」と考えられているため、この家紋は鈴木氏がしようしていた家紋ということになります。信長、秀吉という二人の名武将と戦った孫市は、晩年はどう過ごしていたのでしょう。

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戦国武将117名の家紋一覧をまとめてチェックしよう

kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
kamon_r5_c2
前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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