小西行長の家紋とは?キリシタン大名の壮絶な人生も解説

武将でありながらキリシタンでもあった、そんな異色の経歴を持つのが小西行長です。キリシタンであることが良く知られているため、そちらばかりがクローズアップされがちなのですが、実は彼は経歴も異例。なんと、彼はもともとは武士ではなく堺ではたらく商人でした。そんな小西行長の家紋について、また彼の壮絶と言える人生について解説していきます。

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当時の堺は、日本有数の商業都市

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その堺で、九州との貿易を積極的におこなっていたのが「日比屋家」という家です。この日比屋家と小西家は婚姻関係でつながりがあり、大変に豊かな生活をしていたことが想像できます。大都市で貿易を営む家が、貧しいはずがないですからね。そして、貿易という生業がそうさせたのか両家ともキリシタンでした。もちろん、そこで生まれた行長もキリシタンです。さらに、行長はキリシタンという立場を利用しつつ、「キリシタンしか使うことができない独自の貿易」も行っていた様で、かなり深いつながりをもっていたと考えられています。

豊臣秀吉と出会う行長

その行長が、どうして豊臣秀吉と出会ったのかはよくわかっていません。もともとは宇喜多家に仕えていたことが解っているので、そこで秀吉と何らかの縁があったのではないか?とも言われています。とにかく、秀吉の命を受けた行長は、25歳で小豆島を管轄することになりました。その後も秀吉と共に四国に攻め入るなど、豊臣軍として武勲をあげています。

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秀吉のバテレン追放令でキリシタンが一蹴される!?

秀吉は後に「バテレン追放令」を出してキリシタンを一蹴することを考えますが、行長は秀吉に仕えつつも、キリシタンをかくまって貿易を続けました。当時のイエスズ会は日本の貿易市場を独占している状態だったので、行長はそのつながりを守ることでこれまでの貿易を存続させたのです。このような努力が認められ、行長は加藤清正と共に肥後の国を与えられ、12万石を所有する武将となっています。仲が悪かった清正と共に…というところに因果を感じますね。生まれた時の環境から、彼がキリシタンになるのは当たり前の流れでした。しかし、彼は親兄弟に言われたからキリシタンになったのではなく、自らがその教えに惹かれていたのだと思わせるエピソードがあります。

関ケ原の戦いでは西軍に就く行長

秀吉亡き後に勃発した関ヶ原の戦いで、行長は石田三成率いる西軍に参加します。しかし、味方の裏切り行為もあり徳川家康率いる東軍が勝利し、西軍は敗北してしまいました。武将であれば、たとえ敵将に捕まっても切腹を選んで死ぬことが美徳とされています。しかし、キリシタンだった彼は自ら死ぬことを拒み、斬首で命を終えました。神に仕える彼は、武将としてではなくキリシタンとして死ぬことを選んだのかもしれませんね。

キリシタン大名・小西行長の家紋とは?

中結祇園守紋:小西行長の家紋その1

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キリシタンの印象が強い小西行長ですが、彼にもちゃんと家紋があります。彼の家紋は「中結祇園守(なかむすびぎおんまもり)」。とても美しく、どことなく行長の誠実な人柄が伝わってくるような気がしますね。こちらの「祇園守」は八坂神社が作ったお守りがもとになっているそう。中央に見える棒のようなものは巻物です。

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華久留子紋:小西行長の家紋その2

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そして、もうひとつが「華久留子」。「久留子」は、当時のキリシタンの言葉で「クロス」を意味しました。見てのとおり、十字架の形をした家紋です。キリシタンとしての生き方を通した行長らしい家紋ですね。キリシタンは弾圧された時代があり、表だって布教活動などはできませんでしたが、それでもキリシタンたちはこうして家紋に十字架を取り入れることでキリスト教を守り続けたと言います。なんとも行長らしい、彼の人生がそのまま形になった様な家紋ですね。

最期の死に方はとても武将らしい行長と、その人生

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キリシタンとしての人生を歩みながら、同時に武将として生きた行長。最期に彼は切腹を拒んで斬首となりましたが、直前まで凛とした視線を忘れず、その姿に誰もが敬意を抱いたと語られています。それが武将としての在り方であったのか、キリシタンとして神のためにという信仰からだったのかは解りませんが、行長が誇り高き武将であったことはよくわかります。嫡子も一緒に処刑されてしまったため、小西家は断絶となってしまっています。しかし、商人から武将にまでのぼりつめ、さらにキリシタンとしての生き方を全うした彼の人生は、後世で長く語られることなります。

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kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
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前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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