片倉小十郎の家紋「ばら藤に井桁」について|伊達政宗の忠臣・白石城主の生涯に迫る

片倉小十郎は、伊達家16代目当主・伊達輝宗と、その息子政宗の二代にわたって仕えた武将です。特に政宗の忠臣として知られ、政宗を語るときに小十郎の存在は欠かせません。

※「小十郎」という名前は通称で、本名は「片倉景綱」ですが、ここでは小十郎で統一していきます。

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喜多家に育てられた幼少期

小十郎は神職の息子として生まれ、両親が早くに亡くなったことから姉の喜多に育てられました。その喜多が、伊達輝宗のもとに生まれた子供の乳母に任命されたことが、小十郎と伊達家をつなげる縁となります。のちに、小十郎は輝宗の小姓に採用されています。輝宗の死後は息子の政宗に仕えました。

伊達政宗に忠誠を尽くす小十郎

小十郎がいかに政宗に忠誠を尽くしていたのか、よくわかるエピソードが残っています。政宗が幼い時に片目に毒が入ってしまい、それが悪化して眼球が垂れ下がった状態になり、失明してしまいました。あまりの容貌にショックを受けた政宗は、ショックを受けて人目を避けるようになります。このままでは政宗にとってよくないと考えた小十郎は、自ら政宗の失明した目を取り去りました。以後、政宗は小十郎を一番の家臣として頼るようになり、小十郎も生涯その信頼にこたえています。

秀吉の打診も断り政宗に仕え続けた

小十郎は頭脳明晰な武将であったと言われ、その才能を認めた豊臣秀吉が「自分の家臣にしたい」と申し出たと言われています。しかし小十郎はこれを固辞。変わらず政宗に仕え続けることを選んでいます。

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小十郎を有名にした「小田原征伐」の存在

小十郎は伊達家の多くの戦に参加し、戦果をあげています。中でも彼を有名にしたのは、豊臣秀吉と北条氏の間で勃発した「小田原征伐」という戦でした。この小田原征伐は、豊臣秀吉の天下統一がかかっていた戦いです。

小田原征伐で豊臣側につく英断

当初、伊達家は北条家のほうに味方しようと考えていましたが、時勢をみた小十郎が「豊臣側につくべき」と助言したことから豊臣軍に参加。その結果、豊臣秀吉が勝利し天下統一を果たしました。ここで伊達家が北条氏についていれば、伊達家は秀吉に滅ぼされていたでしょう。また、小十郎の進言だからこそ伊達家も豊臣秀吉を選んだはずです。小十郎の優秀さ、そして両家のつながりの深さがよく伺える出来事です。

小十郎の居城「白石城」の存在

小十郎は、「白石城」というお城を持っています。政宗が仙台藩主となったときに、江戸幕府は「一国一城」の令をだしており、本来であれば政宗の家臣が城を持ちつづけることは許されないはずでした。しかし、この白石城だけは特例で残され、変わらず片倉家が居住しています。片倉家では小十郎が亡くなったあとも息子の重長が政宗と子らに仕え、両家は世代を超えて強い結びつきを維持しました。現在も、政宗を祀るために作られた「青葉神社」の神主は片倉家が務めています。

片倉小十郎の家紋は「ばら藤に井桁」

片倉小十郎の家紋は「ばら藤に井桁(ばらふじにいげた)」。

 

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ちょっとわかりにくいですが、「藤紋」のひとつです。この家紋は他の家で使用している例がないことから、片倉家のみがしようしていた家紋と言われています。片倉家の菩提寺でも、この家紋を使用しているとか。

政宗から与えられた「九曜紋」

さらに、政宗から「九曜紋」を与えられて使用していたことも解っています。

家紋

九曜紋は星を家紋にしたもので、政宗自身も愛用していました。占星術で疲れる9つの星を家紋にしたものです。星は、運命を司るものとして信仰されてきました。決まった軌道で移動するため、狩猟や航海の際には位置がわかるものとして、農業では季節がわかるものとして古くから人々に活用されてきました。星は文様として扱われるようになり、やがて家紋にも用いられるようになりました。星といえば★型が現代では一般的ですが、当時の星模様は●で表されます。一つではなく複数の●で構成されたものが主流でした。武家の使用者として代表的なのは千葉氏で、月星紋を使用していました。星紋は全国的に広まって庶民の間でも用いられたそうです。また、三つ星=勝ち星を表し、戦いに挑む武家の間でも人気の紋となっていました。

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kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
kamon_r5_c2
前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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