結城秀康の家紋と生涯 -徳川家康の息子は父と不仲だった!?-

結城秀康

265年に及ぶ徳川幕府の礎を築いた徳川家康。彼の息子と言えば、家康の後に将軍となった徳川秀忠が有名です。しかし、実は家康には秀忠以外にも何人かの息子がいました。その一人が結城秀康です。実の息子でありながら、家康に冷たく当たられた人物として知られる秀康の家紋と生涯に迫ります。

スポンサードリンク

「秀康」の文字は秀吉と家康からもらった名前

徳川家康のもとに生まれた秀康。しかし、彼が生まれた戦国の世は非常に過酷でした。秀康が5歳の時、異母兄とその母が信長の命令で切腹させられるという事件が起きます。これにより、秀康は「嫡男(一番上の子)」となり、家康の跡継ぎになってもおかしくない立場だったのですが、後に家康と秀吉が戦った後に人質として豊臣家におくられました。

秀吉に人質として送られた秀康

この時、秀吉と家康の名前を一文字ずつもらって「秀康」を名乗るようになりました。当時において、「秀」の名前をもらうことは秀吉側の人間である証。つまり、家康の子ですが秀吉側の人間になった、ということになります。さらに九州征伐での成果を認められた秀康は、「豊臣」の名前を賜り、名実ともに秀吉の養子として扱われています。

秀吉に実子が生まれて急変する立場

秀吉はその生涯の中でたくさんの養子をもらっています。あの小早川秀秋や豊臣秀次も秀吉の養子でした。でも、秀吉の側室である茶々(淀殿)が実子の秀頼を生むと態度が一変。実子に跡を継がせるために、養子たちは邪魔な存在になったのです。多くの養子たちが排除されていく中、秀康は父・家康がいた関東の結城氏の娘と婚姻。これにより結城秀康に名前が変わっています。

スポンサードリンク

関ケ原では父・家康側に就く秀康

これで豊臣方とは縁が切れたようで、「関ヶ原の戦い」では父・家康のいる東軍に参加しています。この戦いの後に50万石という破格の領地を与えられています。

結城秀康像

父・家康には嫌われていた?

家康の子であった秀康ですが、双子で生まれたために「縁起が悪い」と家康に嫌われ、長く父に会うことはなかったそうです。しかし、それを良くないと思った兄の信康の進言もあり、後に面会しています。この面会も渋々だったと言われていますが、関ヶ原の戦いの後は秀康に50万石という領地を与えているところを見ても、息子を思う気持ちはどこかにあったのかもしれません。秀康は、この数年後に梅毒で亡くなりました。運命に翻弄されたものの、父に認められ、きちんと領地をもらうこともできたことは秀康の誉ではなかったでしょうか。

結城秀康の家紋は「右三つ巴」

結城秀康は、結城家が使用していた「右三つ巴紋」を使用しています。

家紋

巴は古代から世界各国に似たような文様があり、発祥は定かではないものの日本では縄文時代から存在していました。巴は元々弓を弾く際に腕を保護するための武具で、それが後に渦を巻く文様として浸透しました。文様として使われ始めたのは平安時代で、戦国時代には武家によって多く使用されます。特に現在の栃木県である下野宇都宮の一族に多用されていました。そして江戸時代になると約350の家が巴紋を使用し、全国各地で見られるようになります。巴紋の種類は豊富で、渦を巻く向きの違いや巴の数、大きさなどに違いがあります。具体的には右一つ巴、左渦巻き巴、右五つ巴、台巴などです。人気の家紋であるため、使用者は多数います。

スポンサードリンク

戦国武将117名の家紋一覧をまとめてチェックしよう

kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
kamon_r5_c2
前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

スポンサードリンク

他にもあるぞ!超人気家紋コンテンツ
「苗字から家紋」の画像検索結果 「10大家紋」の画像検索結果
「戦国武将家紋まとめ」の画像検索結果
関連画像