戦国時代に活躍した武将で、「築城の名手」と言われている加藤清正。彼がどんな武将だったのか、家紋と一緒にを紹介します。
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目次
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築城といったら加藤清正!関わった城は12城

加藤清正が「築城の名手」と呼ばれるのは、12もの城の築城に関わっているためです。有名なのは「熊本城」ですね。
熊本城を築いた清正
秀吉が大切にしていた部下である清正は、戦での活躍から若くして19万石5000石を与えられました。その時に清正が築いたのが「熊本城」です。残念ながら、熊本地震で大きなダメージを受けてしまった熊本城。しかし、日本中の専門家たちが一丸となり「必ず修復させてみせる」と頑張っていますので、また完全な雄々しい姿を見せてくれるでしょう。
他にも名古屋城天守閣に江戸城の石垣も
他にも、「名古屋城」の天守閣を作ったのは清正ですし、江戸城の石垣も手掛けています。他にも多くの城に関わっており、築城に関して清正が高い評価を得ていたことがうかがえます。
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豊臣秀吉の親戚だった?加藤清正

加藤清正は、豊臣秀吉の母の縁者だったと言われています。父を早くに亡くし、教育にとても熱心だった母に育てられた清正は、小さなころから寺に出入りして将来のための知識を身に着けていました。
「賤ヶ岳の戦い」では大活躍
そして、母のこともあり秀吉の小姓として働くことになったのです。秀吉と妻のねねはこの清正をとても可愛がり、清正も成長してからは二人の気持ちに応えるように功績をあげました。「賤ヶ岳の戦い」では、秀吉に「賤ヶ岳の七本槍」の一人と言われたほどの活躍をしています。
関が原では三成嫌いから東軍(家康)へ
秀吉が亡くなってからは、豊臣家の中で石田三成と対立。後に勃発した「関ヶ原の戦い」では、徳川家康の東軍に加わり、見事西軍に勝っています。
よくわかっていない!清正が亡くなった理由…
「関ヶ原の戦い」が終わった後は、家康と親しくしながらも豊臣家への恩を忘れず、秀吉の子・豊臣秀頼と家康の面会にも尽力しています。しかし、この面会を実現させた後に清正はすぐに亡くなってしまいます。
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家康の毒殺の可能性も!?
船の中で高熱を出した清正は、熊本城に戻っても体調が回復することなく、そのまま息を引き取りました。この死の理由については、梅毒や性病が原因として挙げられることもありますが、「家康が毒殺した」と考える人も少なくありません。豊臣家を越えた力を持つようになった家康ですが、いまだに豊臣家を重んじる清正の存在は面白くなかったはずですからね。ただ、これは憶測であり、今もはっきりしたことは謎のままです。
加藤清正の家紋
「蛇の目」紋
加藤清正の家紋は、「蛇の目」です。

ちょっと珍しいデザインの家紋ですよね。蛇の目に似ていることが、この家紋が生まれた由来と言われています。加藤清正は、この家紋を甲冑にもつけていました。戦国時代において、蛇は神聖なものとして扱われており、「お守り」の役目を果たすものとしてこの家紋が使用されていたと言います。また、見た目が解りやすいこととデザインに力強さがあることも、愛用されていた理由のようですね。
「桔梗紋」
もうひとつ使用していた家紋が「桔梗紋」。

加藤清正の主だった秀吉は、九州征伐をしたときに失態を犯した尾藤知宣の領地を取り上げました。その尾藤から没収した家具を清正に与えたのですが、それらにはこの桔梗紋がついていました。そこで、秀吉は桔梗紋を清正に与えています。そのため、清正は桔梗紋も持っていたのです。桔梗は、徳川時代に大名家や幕臣の多くが用いた家紋です。桔梗は秋の七草でもある花を咲かせる多年草で、家紋は全て5つの花弁が描かれています。桔梗家紋は15種類以上もあり、中でも明智光秀は特定の水色で彩色することが定められた桔梗の家紋を使用していました。その家紋の旗を立て本能寺で信長を襲い自害に追い込みました。それゆえ桔梗の家紋には「裏切り者のイメージ」が付き、武士の中には家紋を変更した者もいました。また、桔梗は清和源氏や土岐氏代表紋でもあります。鎌倉幕府御家人でもある土岐光衝は戦いの陣内で野に咲く水色の桔梗を見つけ、兜に付けたところ対勝利を得たことから縁起の良い花として好み、家紋に用いました。”
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戦国武将117名の家紋一覧をまとめてチェックしよう
織田木瓜 |
大一大万大吉 |
太閤桐 |
水色桔梗 |
| 石田三成 | 豊臣秀吉 | 明智光秀/山県昌景 |
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竹に二羽飛び雀/上杉笹 |
武田菱 |
真田六文銭 |
竹に雀/仙台笹 |
| 上杉謙信/上杉景勝/伊達成実 | 武田信玄/武田信繁/武田勝頼/安国寺恵瓊 | 真田幸村/真田昌幸 | 伊達政宗 |
蛇の目 |
徳川葵 |
黒田藤巴 |
向い蝶 |
| 加藤清正 | 徳川家康/徳川秀忠 | 黒田官兵衛/黒田長政 | 大谷 吉継 |
![]() 前田梅鉢/剣梅鉢 |
一文字三星 |
池田蝶 |
足利二つ引き |
| 前田利家/前田慶次 | 毛利元就/毛利輝元 | 池田恒興/池田輝政 | 今川義元 |
丸に立ち葵 |
九枚笹 |
二頭立波 |
二つ雁金 |
| 本多忠勝 | 竹中半兵衛 | 斎藤道三 | 柴田勝家 |
丸に竪木瓜 |
三つ盛木瓜に剣花菱 |
福島沢瀉 |
井伊橘 |
| 滝川一益 | 直江兼続 | 福島正則 | 井伊直虎/井伊直政 |
鶴丸 |
丸に細桔梗 |
丸に七つ片喰 |
剣片喰 |
| 森蘭丸/森長可 | 太田道灌 | 長宗我部元親 | 宇喜多秀家 |
土佐柏 |
三つ柏 |
八咫烏 |
平四つ目結 |
| 山内一豊 | 島左近 | 雑賀孫一 | 尼子晴久/京極高次 |
ばら藤に井桁 |
丸に違い鎌 |
蔦 |
大友抱き花杏葉 |
| 片倉小十郎 | 小早川秀秋 | 藤堂高虎/松永久秀 | 大友宗麟/高橋紹運/立花道雪 |
中結び祇園守 |
祇園守 |
足利二つ引き |
対い鶴 |
| 小西行長 | 立花宗茂 | 足利尊氏/足利義昭 | 蒲生氏郷 |
七つ割り隅立て四つ目 |
細川九曜 |
笹龍胆 |
丹羽直違 |
| 佐々成政 | 細川忠興 細川藤孝 |
源頼朝 | 丹羽長秀 |
丸に片喰 |
榊原源氏車 |
三つ盛り木瓜 |
![]() 違い鷹の羽 |
| 酒井忠次 | 榊原康政 | 朝倉義景 | 片桐且元 |
下がり藤 |
黒餅 |
北条対い蝶 |
丸に二つ引き |
| 加藤嘉明 | 黒田長政 | 北条早雲 | 最上義光 |
三つ盛り亀甲に花菱 |
丸に十文字 |
蜂須賀卍 |
七曜 |
| 浅井長政 | 島津義弘/島津貴久/島津貴久/島津義久 | 蜂須賀 小六(正勝) | 高山右近/九鬼嘉隆 |
津軽牡丹 |
北条鱗 |
丸に上の字 |
右三つ巴 |
| 津軽為信 | 北条氏康/北条氏政 | 村上義清/村上武吉 | 結城秀康/清水宗治/山本勘助/小早川隆景 |
永楽銭 |
梅鉢 |
変わり十二日足 |
丸に三つ引き |
| 仙石秀久 | 筒井順慶 | 龍造寺隆信 | 吉川広家 |
丸に違い鷹の羽 |
五七桐 |
生駒車 |
九条下がり藤 |
| 浅野幸長/浅野長政 | 豊臣秀次/斎藤義龍/豊臣秀長 | 生駒正俊 | 本願寺顕如 |
丸に揚羽蝶 |
吾亦紅/地楡に雀 |
丸に三つ葵 |
輪違い |
| 平清盛 | 柳生宗矩 | 松平忠吉 | 脇坂安治 |
鍋島花杏葉 |
結城巴 |
揚羽蝶 |
唐花紋 |
| 鍋島勝茂 | 松平忠直 | 吉川元春 | 陶晴賢 |
抱き茗荷 |
五本骨扇に月丸 |
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| 堀尾吉晴 | 佐竹義重 |
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大一大万大吉
太閤桐
水色桔梗
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武田菱
真田六文銭
竹に雀/仙台笹
蛇の目
徳川葵
黒田藤巴
向い蝶
一文字三星
池田蝶
足利二つ引き
丸に立ち葵
九枚笹
二頭立波
二つ雁金
丸に竪木瓜
三つ盛木瓜に剣花菱
福島沢瀉
井伊橘
鶴丸
丸に細桔梗
丸に七つ片喰
剣片喰
土佐柏
三つ柏
八咫烏
平四つ目結
ばら藤に井桁
丸に違い鎌
蔦
大友抱き花杏葉
中結び祇園守
祇園守
足利二つ引き
対い鶴
七つ割り隅立て四つ目
細川九曜
笹龍胆
丹羽直違
丸に片喰
榊原源氏車
三つ盛り木瓜
下がり藤
黒餅
北条対い蝶
丸に二つ引き
三つ盛り亀甲に花菱
丸に十文字
蜂須賀卍
七曜
津軽牡丹
北条鱗
丸に上の字
右三つ巴
永楽銭
梅鉢
変わり十二日足
丸に三つ引き
丸に違い鷹の羽
五七桐
生駒車
九条下がり藤
丸に揚羽蝶
吾亦紅/地楡に雀
丸に三つ葵
輪違い
鍋島花杏葉
結城巴
揚羽蝶
唐花紋
抱き茗荷
五本骨扇に月丸








