竹中半兵衛が使った2つの家紋の由来と人物像に迫る

戦国時代きっての天才軍師と言われる、竹中半兵衛。ゲームキャラクターの影響で、その名前と存在が飛躍的に知られるようになりました。竹中半兵衛を語るうえでどうしても外せないのが黒田官兵衛の存在です。今回は

  • 竹中半兵衛が天才軍師と呼ばれた戦術について
  • 黒田官兵衛との感動エピソード
  • 竹中半兵衛の2つの家紋について

の順にみていきたいと思います。

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織田信長を撃退!天才軍師と呼ばれた「十面埋伏陣」

1544年に美濃斎藤氏のもとに生まれた半兵衛。1560年(もしくは1562年)に、父が亡くなったことをきっかけに家督を継ぐことになります。

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半兵衛の才能が発揮されたのは、美濃を度々攻めていた織田信長との戦い。攻め入る織田軍を「十面埋伏陣」という方法で迎え討ち、見事撃退を果たしています。この戦術は、攻め入ってきた敵をまずは通過させ、両脇・背後の三方向から攻撃するというもの。当時にはなかった画期的な戦術は、織田軍を圧倒しました。

豊臣秀吉にも認められる力量

この力量をかわれて、後に半兵衛は信長の臣下であった木下籐吉郎(のちの豊臣秀吉)に従うようになり、生涯彼の参謀として力を発揮することになります。

若くして亡くなった竹中半兵衛威

これほどまでに有能だった半兵衛ですが、36歳という若さでこの世を去ってしまいます。秀吉は彼の体のことを知り療養させましたが、すでに自分に死が迫っていることを悟っていた半兵衛は病をおして秀吉の陣中に戻り、そこで息を引き取りました。死因は肺の病であったと考えられています。もし半兵衛が生きていれば、その後の秀吉の生き方もまた違ったものになったかもしれません。

黒田官兵衛との信頼関係

半兵衛ともう一人、秀吉にはとても優れた軍師がついていました。黒田官兵衛の存在です。

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同じ軍師という立場なので、普通に考えればいがみ合ってもおかしくないのですが、半兵衛と官兵衛はとても仲が良く、親しい関係だったようです。2人は「両兵衛」と呼ばれることも。

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織田信長に息子を殺されかける官兵衛

この2人の信頼を伺わせるエピソードがあります。ある時、官兵衛は敵軍に交渉をしにいきましたが、逆に捉えられて水老に入れられてしまいました。しかし、これを織田信長は「敵軍に寝返った」と勘違いしてしまい、激高します。官兵衛には息子がおり、このままでは信長に殺されてしまうところでした。しかし、半兵衛が偽者の首を息子と偽って差出し、守り抜きました。その後、官兵衛は無事に帰還しそこで息子を守ってくれた半兵衛の話を聞きます。しかし、若くして半兵衛はこの世を去ってしまったために、官兵衛は半兵衛に敬愛を込めて家紋を半兵衛の家のものに変えました。半兵衛に関しては謎も多いので、このエピソードも異説がありますが、本当だったら素敵ですね。

竹中半兵衛の家紋

九枚笹:竹中半兵衛の家紋その1

竹中半兵衛の家紋は2つが確認されています。ひとつは「九枚笹」。

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笹と竹は同じ植物で、大きいものを「竹」、小さいものを「笹」と呼んでいます。竹はとても高く伸びることもあり、「猛々しい」の意味に通じるとも言われ、神さまと人間をつないでくれる植物でもあると言われてきました。このため、竹と笹は多くの武将たちが使っている家紋のひとつです。笹は、縁起が良く神事に使われることの多い植物でした。地鎮祭や七夕がその例です。文様としては源氏物語の絵巻物などで古くから用いられてきましたが、家紋として用いられるようになったのは室町時代以降です。はじめは公家の家紋となり、積雪にも耐える強い植物の象徴として家紋に採用する家が増えました。中でも有名なのは上杉家の「竹に雀」や上杉家から贈られた紋を少し変化させた「仙台笹」です。今でも馴染みあるものとして、笹型をした仙台名物の笹かまぼこは、この家紋を由来に誕生しました。他の使用家には、武家では伊達氏、鳥居氏、竹中半兵衛、公家では冷泉家などがあります。

黒餅:竹中半兵衛の家紋その2

そして、もう一つがこちらですね。「黒餅」という家紋です。この家紋は、黒田官兵衛から譲り受けた家紋です。

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「餅」には「おめでたい」という意味があるため、そこから家紋に使用されるようになりました。また、簡単に描くことができる形であること、「黒餅」が「石持」と似たような呼び方であることから、武将にとって非常に重要な「石高が増える」という意味もあると言われるようになったのです。半兵衛も、それにあやかってかこちらの家紋を使用していました。

半兵衛がもう少し長く生きていれば…

竹中半兵衛は非常に優れた軍師であり、それを秀吉も高く評価していました。だからこそ、もう少し長く生きていれば秀吉のその後もまた違ったのかもしれないと思わざるをえません。秀吉は、実子の秀頼ができてからは「息子可愛さ」に精彩を欠き、養子の秀次切腹事件をはじめ諸大名から怨みを買うようなことを次々と起こしていきます。そのことが、結果として豊臣の滅亡にもつながりました。それを思えば、半兵衛が長く生きた豊臣政権を見たかったような気もしますね。

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kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
kamon_r5_c2
前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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