坂本龍馬の家紋【組あい角に桔梗紋】を解説!幕末の志士で薩長同盟を結んだ国民的ヒーロー

幕末に活躍した志士たちの中でも、とりわけ人気も知名度も高いのが坂本龍馬。龍馬は土佐(高知県)に生まれた人物で、33歳で亡くなるまでに数多くの功績を遺しています。

龍馬の名前は有名でも、「何をやったのか」についてはあまり知らない人もいるようなので、彼の家紋とその人生について解説をしてみたいと思います。

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仲の悪い薩摩と長州が手を組んだ「薩長同盟」

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江戸時代後期、日本の政治を行っていたのは徳川幕府です。ですが、黒船来航で日本が混乱したこともあり、幕府の力は日に日に弱まっている状態でした。この中で、「倒幕」を掲げて過激な活動をしていたのが長州藩(今の山口県)です。長州藩は天皇を支持するあまり過激な行動をあちこちで起こしており、その天皇からも「武器を買ってはいけない」と言われていたほどでした。

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長州藩を何とかつぶしたい幕府軍

もちろん、幕府としては長州藩をつぶしたい。そこで幕府は、長州藩と長く対立していた薩摩藩(今の鹿児島県)に「長州を倒せ」と命じました。これで困ったのが薩摩藩です。薩摩藩はイギリスや琉球(沖縄)と貿易をしていたため、豊富な資金を持っていました。幕府側はこれ以上薩摩藩が力をつけることを警戒しており、「長州と戦をさせて薩摩藩を弱体化させたい」という狙いもあったのです。戦をすれば、お金も人材も減りますからね。ここで長州と倒したとしても、藩が弱体化したところを幕府に攻められれば確実に負けます。そして何より、薩摩藩も幕府側に不満がないわけではありませんでした。外国からたびたびもたらされる脅威に、凛とした決断ができない幕府にいら立ちを感じていたのです。

薩長同盟の締結に動き出す龍馬

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そこで、動いたのが坂本龍馬です。龍馬は、薩摩藩・長州藩の両者に「薩摩で武器を購入し、長州に流せばいい」という提案をしました。もちろん、提案をしたからすぐに締結したわけではありませんし、一度は両者の会談そのものが流れてしまっています。そのくらい、薩摩と長州が手を結ぶというのは現実的な話ではありませんでした。しかし、幕府への不満があること、お互いに追い込まれた立場であることは疑いようもなく、坂本龍馬の仲介でもう一度行われた会合にて「薩長同盟」を締結しました。この同盟が、後の明治維新へとつながります。この薩長同盟こそが、坂本龍馬が行った最大の功績と言われています。

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幕府が政治を朝廷に返した「大政奉還」

幕府を倒して、新しい世の中をつくりたい。薩摩と長州が共通して抱えていた思いはこれです。倒幕にむけて、大きな戦いがはじまろうとしていました。もちろんこの流れは幕府も承知しており、「どうにかして大きな戦いを避けたい」という思いを持っていました。

徳川慶喜「将軍職」を返上

そこで、坂本龍馬は土佐藩の後藤象二郎に「幕府が将軍という職を朝廷に返せばいい」と進言します。倒幕の理由は「幕府に政治を辞めてほしい」という理由なので、政治さえしなければ大きな戦いは回避できるだろう、という理屈です。これに賛同した後藤は、当時の将軍・徳川慶喜に伝え、慶喜はこれを吞み将軍職を返上。ここで、日本の政治を取り仕切ってきた徳川幕府は、実質消滅することになります。

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明治政府の方針「船中八策」を考えた龍馬

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日に日に幕府の力が弱まっていく中で、同時に新しい時代の足音が聞こえ始めていました。龍馬はその足音を聞きながら、船の中で8つの政治方針を考えました。これは「船中八策」と呼ばれるもので、のちの明治政府の基本方針にもなりました。

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「船中八策」について

1.大政奉還

2.上下両院の設置による議会政治

3.有能な人材の政治への登用

4.不平等条約の改定

5.憲法制定

6.海軍力の増強

7.御親兵の設置

8.金銀の交換レートの変更

この様に、坂本龍馬は「明治維新」の魁となる功績を挙げている非常に優れた人物です。常に先を読み、新しい時代を作るために積極的な行動をしてきた坂本龍馬だからこそ、今の時代でも人気なのでしょう。

坂本龍馬の家紋は「桔梗紋」

その坂本龍馬の家紋は「桔梗紋」。龍馬人気から、この家紋は非常に有名です。

しかし、戦国時代に同じ桔梗紋を使っていた明智光秀が「裏切り者」と呼ばれていたことなどから、桔梗紋は「あまり縁起が良くない」と言われていたこともあったそうです。光秀は織田信長を討ってすぐに豊臣秀吉に滅ぼされていますし、龍馬も33歳という若さで暗殺されてしまいますので、桔梗紋が悲劇の家紋のように語られるのは解らなくもありません。ただ、桔梗紋自体は「戦勝を重ねることができ、魔よけの意味がある」という非常に縁起のいい家紋です。使っていた人が悲劇的な亡くなり方をすると、どうしても本来の意味からかけ離れた考え方をされてしまうのでしょう。

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kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
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前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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