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西郷隆盛の家紋と生涯|薩長同盟、西南戦争を起こした英雄!2018年の大河ドラマ主役に決定!

   

西郷隆盛
 

鹿児島の英雄・西郷隆盛

幕末から明治初期にかけて、優れたリーダー力を発揮し「明治政府立ち上げ」にも貢献した西郷隆盛。265年続いた徳川幕府を倒し、明治政府立ち上げにも関わった人物でありながら、最期は故郷の鹿児島で罷業の死を遂げます。

 

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鹿児島の英雄・西郷隆盛の人生

時は幕末。西郷がいた薩摩藩(今の鹿児島)と、長州藩は先の「禁門の変」で闘ったこともあり、敵同士でした。しかし、幕末に黒船が日本にやってきてからというもの、幕府は外国のいいなりに。「このままでは国がおかしくなってしまう」と薩摩藩は考えはじめ、それは長州藩も同じだったのです。

 

薩長同盟締結の主役こそ西郷隆盛

両者の思惑が一致していることに目を付けた坂本龍馬は、薩摩藩と長州藩に「協力し合え」とアドバイスします。紆余曲折あったものの、これにより薩長は「薩長同盟」を締結。この時、同盟を組んだのが薩摩藩の代表者が西郷です。

 

勝海舟と「江戸城の無血開城」を実現

西郷は、のちに勃発した戊辰戦争でも、「江戸を火の海にしたくない」と考えた幕臣の勝海舟と話し合いを行い、「江戸城の無血開城」を実現するなど、新政府軍(薩摩と長州の軍)で存在感を高めていきます。やがて立ち上がった明治政府でも重役を任されており、間違いなく要人の一人として扱われています。

そんな西郷が、どうして非業の最期を遂げてしまったのでしょう?

 

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明治政府の開国に対して孤立する西郷

当時、日本の隣にある韓国はまだ鎖国をしている最中でした。これを開国させたい明治政府は武力を使おうとしましたが、西郷はこれに反対して「あくまで話し合いで開国させるべきだ」と考えます。これが明治政府内の反発を食らうことになり、西郷は孤立。薩摩に帰ってしまいます。

薩摩藩で大変に人気があった西郷は、士族たちを集めて学校を開くなどして生活をしていました。西郷から学びを得た学校の学生たちは、次第に力を付けて薩摩の中心人物になっていきます。

 

政府側の無断行動から西南戦争勃発

その薩摩から、政府がこっそりと武器などを運び出すという事件が勃発。いくら政府とはいえ、藩のものを勝手に持ち出すなんてことが許されるわけがありません。しかも、政府は西郷が学生たちを集めて戦争を起こすと懸念し、西郷を殺すことも考えていました。これがきっかけで勃発したのが「西南戦争」です。

学生たちも西郷も戦い抜きますが、新しい武器をたくさん持っている政府軍にはかなわず、西郷は切腹してこの世を去ります。享年49歳。

この西南戦争には、先に行われた戊辰戦争で敗北した会津の兵士も多く参加しており、この中には新選組組長・斎藤一(藤田五郎)も含まれていました。西郷は今でも鹿児島でとても愛されており、変わらぬ存在感を土地に遺しています。

 

西郷隆盛の家紋は「抱き菊の葉に菊」

 

家紋
 

西郷隆盛が使用していた家紋は、「抱き菊の葉に菊」というものです。菊の葉が、花を抱いているように見えるデザインの家紋ですね。

西郷隆盛の家は「肥後菊池氏」の流れをくむ家という言い伝えがあり、「菊池氏の菊」が家紋になっていると言われています。

 

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 - 幕末・新選組の家紋