太田道灌の家紋を解説|初代江戸城を作ったとされる扇谷上杉家の戦国武将

太田道灌と言えば、初代江戸城を作ったことで良く知られる人物。この江戸城を改修して、後の形にしたのが徳川家康です。「江戸城の基礎を作った」というだけでも、ものすごく優秀な人物だったことが解るのですが、彼はあろうことか「直属の上司に殺される」という悲運の最期を遂げました。彼がどんな人物だったのか、家紋と一緒に見ていきましょう。

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優秀過ぎたあまり、主君に殺されてしまった太田道灌

太田道灌

なぜ太田道灌が殺されてしまったのか?それは、「優秀過ぎて、その力を主君が恐れたから」です。太田道灌は、「扇谷上杉家」というところの上杉定正に仕えていました。「扇谷上杉家」というのは、4つに分かれた上杉家のひとつ。

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四つに分かれた上杉家

上杉家には「山内」「扇谷」「宅間」「犬懸」の四つがありますが、このうち「犬懸」は山内家と争った結果、滅亡。「宅間上杉家」は「山内」「扇谷」とは距離をおき、のちに北条氏に仕えています。残ったのが「山内上杉家」「扇谷上杉家」になります。

鎌倉幕府の仕組みを整理すると

さて、ここで少し当時の鎌倉幕府について説明しましょう。鎌倉幕府では、鎌倉に「鎌倉府」という出先機関を作っていました。この「鎌倉府」のトップにあたるのが「鎌倉公方」という役職です。今でいうなら長官ですね。

上杉上杉憲忠が対立していたのが足利成氏

その鎌倉府のナンバー2に、上杉家の上杉憲忠という人物が就任します。この憲忠なのですが、鎌倉府トップとなった足利成氏と対立してしまいました。これには理由があって、憲忠の父はかつての主だった足利持氏(成氏の父)を殺害していて、このことから成氏は憲忠をかなり嫌っていたのです。

足利成氏による憲忠の暗殺

二人の関係は日に日に悪化し、とうとう成氏は憲忠を暗殺してしまいました。※余談ですが、これを予期していた憲忠の父は子供たちとともに出家し、俗世には決して戻るなと言い含めていたそうです。しかし、憲忠はそれを破ってしまいました。これがきっかけで絶縁しています。

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30年も続いた「享徳の乱」の勃発

これに激怒した上杉家は、室町幕府に応援を頼み足利家と戦を始めます。この乱を「享徳の乱」と呼んでいるのですが、なんと30年余りも続いた日本史上一番長い戦いです。

この享徳の乱の最中に、道灌は防御のために「河越城」を作り、主の定正はここに移り住みました。その後は江戸城の築城も始めるなど、上杉家を守るために色々な行動をしています。

戦のさなか長尾景春による反乱が起こる

この戦だけでも大変だったのですが、この最中に「山内上杉家」の家宰(家の中の政治を取り仕切る人)であった長尾氏の子・長尾景春が反乱を起こしてしまいました。原因は、次に家宰になるのは自分だと思っていたら、叔父が抜擢されてしまったためです。

長尾景春の上杉家への戦に待ったをかけたのが太田道灌

これに激怒した景春は上杉家に対して戦を仕掛けますが、これに待ったをかけたのが太田道灌でした。優秀な武将であった太田道灌は、景春の謀反に立ち向かい次々と攻略していきました。この最中に、足利成氏は山内上杉家に和睦を申し入れ、これが成立。「享徳の乱」はここで終結しています。道灌はさらに戦いを続け、景春との争いも終わらせました。

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「享徳の乱」を終わらせた太田道灌は一気に有名に

道灌は、上杉家が30年以上にわたってやっていた戦を終わらせた立役者であり、さらに家臣の反乱をおさめるという活躍をした道灌は、一気に名を知られる武将になります。

しかし主の定正から命を狙われる羽目に

上杉家の危機を救ったと言える道灌ですが、実はこれが主・定正の機嫌を損ねることになってしまいました。定正は、足利成氏との和睦が山内上杉家主導であったことにも怒っており、もともと戦が上手くて評価の高かった自分を差し置いて、道灌が活躍したことも面白くなかったようです。なにかにつけ道灌を冷遇するようになった定正を警戒した道灌は、自分の子供を他に預けるなどして対策をするようになりました。賢い道灌には、主が自分の命をねらっていることが分かっていたのでしょう。

風呂上りを狙われて暗殺された道灌

そして道灌は、主の屋敷で風呂から上がったところをねらわれ、暗殺されました。道灌は死ぬ直前に「当方滅亡」(自分亡きあと、扇谷上杉家は滅ぶだろう)という言葉を遺したとされています。道灌の暗殺が知れたあと、道灌の子や他の家臣たちが一斉に定正のもとを離れてしまいました。定正は山内上杉家との戦いにも乗り出しますが、驕った態度が家臣たちの反発を買いどんどん裏切られる結果に。残った家臣たちに諫められても話を聞かず、最期は49歳で落馬しこの世を去りました。道灌が言った通り、こののちに扇谷上杉家はどんどん凋落していくのです。

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太田道灌の家紋「丸に細桔梗」

丸に細桔梗

秋の七草である桔梗をモチーフにした家紋。丸みを帯びた可憐なデザインのため、女紋として使われることも多い。桔梗は、徳川時代に大名家や幕臣の多くが用いた家紋です。桔梗は秋の七草でもある花を咲かせる多年草で、家紋は全て5つの花弁が描かれています。桔梗家紋は15種類以上もあり、中でも明智光秀は特定の水色で彩色することが定められた桔梗の家紋を使用していました。その家紋の旗を立て本能寺で信長を襲い自害に追い込みました。それゆえ桔梗の家紋には「裏切り者のイメージ」が付き、武士の中には家紋を変更した者もいました。また、桔梗は清和源氏や土岐氏代表紋でもあります。鎌倉幕府御家人でもある土岐光衝は戦いの陣内で野に咲く水色の桔梗を見つけ、兜に付けたところ対勝利を得たことから縁起の良い花として好み、家紋に用いました。

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kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
kamon_r5_c2
前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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