お役立ち!季節の耳より情報局

暮らしに役立つ様々な情報を厳選してお届けします!

宮本武蔵の家紋と生涯|巌流島で佐々木小次郎を破った剣客

   

宮本武蔵
 

「巌流島」で佐々木小次郎を破った相手として知られる宮本武蔵。彼が描いた絵画や、自ら執筆したと伝えられる「五輪書」が残されているものの、その生涯については謎に包まれています。

佐々木小次郎も謎が多い人物ですが、宮本武蔵に関してもそうなのですね。そんな彼の家紋と生涯について解説します。

スポンサードリンク


武蔵の出自ははっきりしない

宮本武蔵がどこで生まれたのかははっきりしていません。「美作(みまさか)」というところで生まれたとも言われていますし、「播磨」が出生地だという説もあります。

ともあれ、武蔵は「関ヶ原の戦い」が終わったあとくらいから決闘で勝利し、名を挙げていったと言われています。そのひとつが、「巌流島の戦い」というわけですね。この「巌流島の戦い」で、武蔵は佐々木小次郎を倒しています。

 

大阪の陣にも参加していた武蔵

武蔵に関しては、実在していたことは確かで「大坂の陣」に参加したことも解っています。ただ、そのあとに特定の誰かに仕えたという話しはなく、「島原の乱」で再び戦に参加したことが解っています。

晩年は熊本藩主の世話になりつつ、「五輪書」をしたため、絵を描くなどしてのんびりと暮らしていたとか。

 

巌流島の戦いもよく解っていない!?

宮本武蔵の名前を有名にしたのは、佐々木小次郎との「巌流島の戦い」でしょう。

佐々木小次郎と宮本武蔵が巌流島で戦い、武蔵が勝ったというこの逸話が、何よりも武蔵を有名にしました。
しかし、この巌流島の戦いについてもよく解っていません。

武蔵はわざと遅れて戦いの場に行き、小次郎を怒らせたうえで戦って勝ったと言われていますが、あまりにも色々な説があり過ぎて「どれが本当か解らない」というのが現実です。

 

スポンサードリンク

 

小次郎を倒した説も曖昧になっている

勝ち方についても、武蔵が小次郎の「燕返し」を破って勝ったという説もあれば、小次郎は実は死んでおらず「息を吹き返したところを、武蔵の部下たちが攻撃して殺した」という説もあり、死んでいないという説もあります。

小次郎に関しては本当に資料が少なく、「本当に存在したのか」という声もあるくらいなので、この戦いについてはもっと新しい資料がほしいところですね。

 

宮本武蔵の家紋

家紋
宮本武蔵の家紋は「九曜巴」と呼ばれるものです。

この家紋は、星を表す九曜紋に勾玉の「巴」を合わせたもの。また、弓を射るときに使用する「鞆」をかけたとも言われています。

不明な点は多いものの、剣術の腕は認められていたようで、大坂の陣などにも参加していたと言われる宮本武蔵。今後、彼に関する新しい発見を待ちたいところです。

 

スポンサードリンク

 

 - 幕末・新選組の家紋