今川義元の家紋「二つ引き」について!「桶狭間の戦い」で織田信長に敗れた生涯に迫る

織田信長の名前を一気に有名にした「桶狭間の戦い」。この戦いで信長に敗北したのが今川義元です。「信長に敗北した」という印象があまりに強いため、「いい武将ではなかった」とも言われる今川義元ですが、実際はどうだったのでしょう。そんな彼の家紋とこれまでの人生をまとめました。

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意外に優秀だった?それとも部下が優秀だった?

今川家は、駿河(静岡県全域)を治めていた非常に力のある一族でした。義元は、その今川家の5男として生まれています。当時、家督は長男が継ぐものと決められていましたので、5男の義元は家督相続から遠い存在となり、仏門に入ります。ここで、後に義元を支える太原雪斉に出会っています。

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兄たちが次々亡くなり今川家当主となる義元

しかし、兄たちが次々と亡くなったために義元にも家督相続のチャンスが到来。反対派を破り、義元は今川家当主となりました。この義元ですが、商人たちを統率するために「商人頭」という役割を作って統率させたり、海運を活発化させて貿易をおこなったり、金山を開拓したり、多くの功績をのこしています。

公家とも親交を深め駿河の文化にも貢献する義元

義元と言えば公家との関係が深いと言われていますが、国にやってきた公家たちを大切に扱って公家文化を学ぶなど、駿河の文化を深めることにも貢献しています。部下の太原雪斉が優秀だったとも言われ、実際に彼が亡くなってからは義元の勢いは落ちていますが、それでも「彼自身も優秀な武将だったのではないか」というのが近年の見解です。

誰も負けると思っていなかった「桶狭間の戦い」

さて、その義元が敗れた「桶狭間の戦い」なのですが、今川義元の軍勢が25000に対し織田信長の軍勢は2000から3000あまりでした。誰もが義元の勝利を確信していましたし、負けるなんて夢にも思っていなかったはずです。

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今までの定説がひっくり返った?

「桶狭間の戦い」は、これまでは「休んでいる今川軍に奇襲をかけて、信長が勝利した」というのが定説でした。しかし、今はその説が見直され、「信長は正面突破で今川軍に勝利した」という説が有力とされているようです。

どうやって勝ったのかは諸説あるものの、いずれにせよ信長はここで義元を討ち取り、その名を国に轟かせることになりました。

今川義元の家紋について

「足利二つ引き両」紋

今川義元の家紋は「足利二つ引き両」紋です。

家紋

引き両は「引き」とも呼び、横に惹かれた太い直線を一本から三本描いたものです。発祥についてははっきりしたことがわかっておらず、「龍の姿を表したもの」や「霊を表したもの」など諸説あります。太い線の引き両紋は力強さを表現し、武家の間で好まれていました。戦場の場で旗印として使用したのが始まりで、やがて家紋として定着します。使用地域は関東かた東北地方で多く見られますが、有名なのは足利一族の「丸に二つ引き」や、新田氏の「新田一つ引き」です。直線は横に配置したものが一般的ですが、中には縦に配置したものもあり、丸に竪三つ引きや、丸に竪二つ引きなどがあります。また、互い違いに描いた喰い違い七引もあります。

「赤鳥紋」今川義元の替え紋

もうひとつ、彼が使ったとされる家紋に「赤鳥紋」があります。

家紋

女性が使用する櫛のような形をしていますが、はっきりした由来は解っていません。馬の鬣を整えるための櫛が家紋になったとも言われています。赤鳥(あかとり)とは当て字で、動物の鳥のことはでなく、化粧品の一つである櫛の「垢取り」を意味しています。家紋の中では珍しく、江戸中期までは謎の家紋とされてきましたが、寛政年間に高木元之丞という旗本の馬験にこの家紋があり、赤鳥という名であることが判明しました。家紋はとかす部分が5〜6本の櫛そのものの形をしており、駿河の今川氏一族が使用した「今川赤鳥」が有名です。今川家の祖・範国が建武4年(1337年)に受けた神託「赤い鳥と共に戦えば勝ち続ける」を信じ、赤坂の戦で赤鳥の笠験(かざじるし)を用いたのが赤鳥の家紋の始まりと言われています。

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kamon_r2_c2 織田木瓜 kamon_r2_c4大一大万大吉 kamon_r2_c6太閤桐 kamon_r2_c8水色桔梗

織田信長織田信雄

石田三成 豊臣秀吉 明智光秀山県昌景
kamon_r3_c2 竹に二羽飛び雀/上杉笹 kamon_r3_c4武田菱 kamon_r3_c6真田六文銭 kamon_r3_c8竹に雀/仙台笹
 上杉謙信上杉景勝伊達成実  武田信玄武田信繁武田勝頼安国寺恵瓊  真田幸村真田昌幸 伊達政宗
kamon_r4_c2蛇の目 kamon_r4_c4徳川葵 kamon_r4_c6黒田藤巴 kamon_r4_c8向い蝶
 加藤清正  徳川家康徳川秀忠  黒田官兵衛黒田長政 大谷 吉継
kamon_r5_c2
前田梅鉢/剣梅鉢
kamon_r5_c4一文字三星 kamon_r5_c6池田蝶 kamon_r5_c8足利二つ引き
 前田利家前田慶次  毛利元就毛利輝元  池田恒興池田輝政 今川義元
kamon_r6_c2丸に立ち葵 kamon_r6_c4九枚笹 kamon_r6_c6二頭立波 kamon_r6_c8 二つ雁金
本多忠勝 竹中半兵衛 斎藤道三 柴田勝家
040丸に竪木瓜 mori3三つ盛木瓜に剣花菱 hukushima福島沢瀉 069井伊橘
滝川一益 直江兼続 福島正則 井伊直虎井伊直政
turumaru鶴丸 丸に細桔梗丸に細桔梗 030丸に七つ片喰 067剣片喰
森蘭丸森長可 太田道灌 長宗我部元親 宇喜多秀家
073土佐柏 mitsukashiwa三つ柏 082.fw八咫烏 037平四つ目結
山内一豊 島左近 雑賀孫一 尼子晴久京極高次
barahujiniばら藤に井桁 家紋丸に違い鎌 029.fw 056大友抱き花杏葉
片倉小十郎 小早川秀秋 藤堂高虎松永久秀 大友宗麟高橋紹運立花道雪
yukinaga中結び祇園守 祇園守紋祇園守 042足利二つ引き 065対い鶴
小西行長 立花宗茂 足利尊氏足利義昭 蒲生氏郷
角立て七つ割り四ツ目結紋七つ割り隅立て四つ目 054細川九曜 家紋笹龍胆 039.fw丹羽直違
佐々成政 細川忠興
細川藤孝
源頼朝 丹羽長秀
丸に丸に片喰 070榊原源氏車 43.fw三つ盛り木瓜 katagiri
違い鷹の羽
酒井忠次 榊原康政 朝倉義景 片桐且元
家紋下がり藤 黒餅紋黒餅 家紋北条対い蝶 丸に二つ引き紋丸に二つ引き
加藤嘉明 黒田長政 北条早雲 最上義光
mittsu3三つ盛り亀甲に花菱 juji丸に十文字 047蜂須賀卍 家紋七曜
浅井長政 島津義弘島津貴久島津貴久島津義久 蜂須賀 小六(正勝) 高山右近九鬼嘉隆
tugarubotan津軽牡丹 033.fw北条鱗 046丸に上の字 tomoe右三つ巴
津軽為信 北条氏康北条氏政 村上義清村上武吉 結城秀康清水宗治山本勘助小早川隆景
家紋永楽銭 umehachi2梅鉢 050変わり十二日足 mitsuhiki丸に三つ引き
仙石秀久 筒井順慶 龍造寺隆信 吉川広家
家紋丸に違い鷹の羽 goshichikiri五七桐 ikomaguruma生駒車 083九条下がり藤
浅野幸長浅野長政 豊臣秀次斎藤義龍豊臣秀長 生駒正俊 本願寺顕如
ageha丸に揚羽蝶 tiyunisuzume吾亦紅/地楡に雀 家紋丸に三つ葵 家紋輪違い
平清盛 柳生宗矩 松平忠吉 脇坂安治
051鍋島花杏葉 家紋結城巴 ageha揚羽蝶 karahana唐花紋
鍋島勝茂 松平忠直 吉川元春 陶晴賢
%e5%ae%b6%e7%b4%8b抱き茗荷 satakekamon五本骨扇に月丸    
堀尾吉晴  佐竹義重    

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