目次
- 1 器物紋まとめ54選
- 1.1 赤鳥紋
- 1.2 筏紋
- 1.3 錨紋
- 1.4 石紋
- 1.5 糸巻紋
- 1.6 団扇紋
- 1.7 扇紋
- 1.8 梅鉢紋
- 1.9 垣根紋
- 1.10 額紋
- 1.11 笠紋
- 1.12 金輪紋
- 1.13 兜紋
- 1.14 鎌紋
- 1.15 釜敷紋
- 1.16 鐶紋
- 1.17 木紋
- 1.18 杵紋
- 1.19 杏葉紋
- 1.20 釘抜き紋
- 1.21 轡紋
- 1.22 久留子紋
- 1.23 車紋
- 1.24 鍬形紋
- 1.25 琴柱紋
- 1.26 駒紋
- 1.27 独楽紋
- 1.28 算木紋
- 1.29 地紙紋
- 1.30 筋違紋
- 1.31 鈴紋
- 1.32 銭紋
- 1.33 宝結び紋
- 1.34 玉紋
- 1.35 千切り紋
- 1.36 提盤紋
- 1.37 槌紋紋
- 1.38 鼓紋
- 1.39 熨斗紋
- 1.40 羽子板紋
- 1.41 羽箒紋
- 1.42 袋紋
- 1.43 船紋
- 1.44 分銅紋
- 1.45 幣紋
- 1.46 瓶子紋
- 1.47 帆紋
- 1.48 枡紋
- 1.49 守・祇園守紋
- 1.50 餅紋
- 1.51 矢紋
- 1.52 立鼓紋
- 1.53 輪宝紋
- 1.54 蝋燭紋
- 1.55 綿紋
- 2 家紋を7つの分類で170種類まとめて解説!
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器物紋まとめ54選
赤鳥紋
赤鳥(あかとり)とは当て字で、動物の鳥のことはでなく、化粧品の一つである櫛の「垢取り」を意味しています。
家紋の中では珍しく、江戸中期までは謎の家紋とされてきましたが、寛政年間に高木元之丞という旗本の馬験にこの家紋があり、赤鳥という名であることが判明しました。
家紋はとかす部分が5〜6本の櫛そのものの形をしており、駿河の今川氏一族が使用した「今川赤鳥」が有名です。
今川家の祖・範国が建武4年(1337年)に受けた神託「赤い鳥と共に戦えば勝ち続ける」を信じ、赤坂の戦で赤鳥の笠験(かざじるし)を用いたのが赤鳥の家紋の始まりと言われています。
筏紋
筏は物資の運搬に使われた交通手段で、竹や木を縄などでつなぎ合わせたものです。
種類は少なく、丸で囲んだ丸に筏、そして4つの花が付いた花筏の2パターンです。丸の中に描かれた丸に花筏もあります。
どちらもよく見ると筏が上下逆さまに描かれており、花筏は春の谷川を下っている風流な様子をデザイン化したものと言われています。家紋以外にも文様として用いられました。
江戸時代には信濃の飯山藩大名家の本多氏や、滝川氏によって家紋に用いられました。筏紋の歴史は浅く、徳川時代で古い紋章ではないとされています。
錨紋
船を繋ぎとめておくための錨を使った錨紋は、錨の形状や個数を変えて様々な種類が存在しました。
「いかり」は「碇」とも書きますが、これは木製や石製のものを刺し、時代と共に鉄製に変化していったことで「錨」の字が使われるようになりました。猫の爪のような形で引っ掛けるように使用するので「錨」という漢字になりました。
明治時代以降に多く家紋に用いられるようになり、特に海運業が盛んな兵庫県や愛媛県、香川県などの瀬戸内海沿岸地方で見られます。
錨紋のアレンジは豊富で、綱付き錨や桜のモチーフが付いた海軍錨、鋭い錨が複数の二つ錨、三つ錨、錨に繋がる綱で円型の縁を作る錨丸などがあります。
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石紋
家紋に用いられる石は、丸い石ではなく石畳に使うように四角い石をしています。石畳は古くから神社に使われることが多かったため、神職の家系の家紋に用いられ、「神の子孫」「永遠の象徴」という意味も込められていました。
石紋が用いられるようになったのは平安時代です。様々な配列で石を並べた石紋は幾何学模様にも見え、市松のように連続して並んだものは「霰(あられ)」と呼ばれていました。そして、徳川期に佐野川市松という歌舞伎役者が衣装に用いたことで「市松模様」という名で広まりました。
使用家は関東地方を中心に相模の土屋氏、梶原氏などがあります。それ以外では岩手県や青森県などの東北地方、長野県や静岡県などです。
糸巻紋
糸巻は裁縫道具の一つで、縫い糸を巻いておくものです。日常的に生活の中で使われていたため、文様としても早い時期から登場しました。
江戸時代に入り家紋に用いられるようになると、糸巻をそのまま描いたものや、凧揚げなどに用いる柄の付いた枠糸巻、織物用の糸巻を描いたものなど、種類は豊富でした。
代表的な使用者は、江戸幕臣の津田氏一族です。一般的な糸巻を描いたものには、一つ糸巻や、陰重ね糸巻、六つ追い重ね糸巻があります。また、凧揚げ用の枠糸巻を描いたものには、違い小田巻、三つ枠糸巻、枠糸巻、巻き糸巻などがあります。
団扇紋
団扇は当て字で、団は「丸い」という意味を、扇は「あおぐ」という意味を表しています。
起源は、古代エジプトの壁画や古代中国の記録にあり、その頃のものは柄が長く身分が高い人がその権威を表す為に用いられ、日本では主に神事に用いられました。
団扇は大きく分けて3種類あり、今のような団扇、2つ目は天狗などが持っている羽団扇、3つ目は戦場で指揮を示す為に用いた団扇です。今でも相撲の行司が勝負の判定を示す時に見られます。
使用家は、藤原氏支流の野田氏、江戸時代大名の米津氏など数多く。駿河浅間神社では神紋としても用いられています。
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扇紋
扇は中国から日本に伝わったものですが、扇子は日本で発明され、中国からヨーロッパまで広がりました。
扇は、風を送って涼を得るのが主な役目ですが、日本では神を招く手段として、扇が使われていました。
扇の語源は、あふぎで、神を仰ぐ(跪いて立つ人を見上げる)意味から、転じて、風を送り神を引き寄せる、おうぎになりました。
扇の末広がりの形も、縁起が良いとされています。
扇紋は、開き扇、たたみ扇があります。また、骨の数によって、三本骨、五本扇、七本扇などにも分けられ、数多くのデザインがあります。
武将佐竹義重の佐竹家では、黒い扇に白の日の丸をほどこした家紋が用いられていました。
梅鉢紋
梅は、古く中国では菊・竹・蘭と並び四君子の一つとして愛でられました。
四君子(しくんし)とは、菊、竹、蘭、梅の4種を草木の中の君子として称えた言葉です。その梅が中国から日本に渡り、春に先駆けて香り高く咲く梅が人々に愛でられるようになりました。
万葉集には、梅を詠んだ歌が1位の萩142首に次いで119首も詠まれています。
梅の紋様は、奈良時代から用いられていますが
、写実的に表現された梅花紋、幾何学的に図案化された梅鉢紋があります。
鉢というのは、花の真ん中の雄しべが、太鼓を叩くバチのように見えることから名づけられました。
垣根紋
垣根は神社の周りに張り巡らされたもので、俗世と神聖な区域を区別するものでした。神域を囲むことから、「神垣」や「玉垣」とも言われていました。
紋としては信仰的な意味合いを持つため、神社に関係のある家をメインに使用されていました。
時が経つと、「竹垣」や「常盤垣」といった変形も見られるようになります。竹垣は竹が綺麗に並んだデザインで、玉垣は板と板の間に隙間のあるデザインです。垣根紋には変形版もありますが、基本的には木製の垣根がベースになっていたと言われています。
使用地域は愛知県が多く、武家では大岡氏が使用していました。大岡氏の紋は大岡玉垣と呼ばれ、木製の垣根が丸に囲まれたデザインでした。
額紋
額紋は、廟や神社、仏閣などに奉納される額をデザイン化したもので、現代の絵などを入れるような額ではありません。
額は神聖なものとして扱われていました。紋としては縦長の長方形が基本で、2種類しかありませんでした。そして使用者も多くりませんでした。
額紋は、丸の中に黒い額が入った「園部額」と、黒い額の中に白字で二八も描かれた「額に二八」の2種類です。園部額は園部藩の小出氏が使用していました。
家紋の中では珍しく、他の紋に比べると情報量も少ないものです。
笠紋
笠は日よけや雨よけのために頭に被るものを指します。一番多く用いられていたのは女性用の市女笠で、他に編み笠や花笠、陣笠などが使用されていました。ここで言う笠は、取っての付いた「傘」とは異なります。
はじめて笠のモチーフを家紋に用いたのは、物部氏属の末裔たちでした。その後一族が神職として全国各地に移住したことで笠紋の使用地域も広がります。
笠紋を用いているうちの約7割を高橋氏が占めています。また、将軍家指南役である大和柳生家の紋は「吾亦紅に雀」でしたが、裏の家紋には柳生笠が用いられていたことも有名です。笠紋は笠を1つだけ使用したモチーフのものもあれば、3つ重なった三階笠、頭合わせ三つ笠など様々です。
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金輪紋
金輪は金属製の輪のことで、金輪紋はこれをデザイン化したものです。似た家紋に「輪違紋」がありますが、金輪紋はこれとは別物になります。
3つ以上の輪か絡むように構成され、知恵の輪のようにも見える金輪は紋は幾何学的です。バリエーションは豊富にあるものの、実際に家紋に用いた家は少ないようです。
金輪紋には、三つ繋ぎ金輪、四つ組み金輪、七つ金輪釜敷、金輪木瓜、細輪に金輪結び、六つ金輪崩し、糸輪に十曜金輪などがあります。デザインのほとんどは全ての輪が絡み繋がっていますが、中には絡み合った輪から一つだけ外れて描かれた守山金輪というものもあります。
兜紋
戦いの場の必需品でもある頭を守る兜は、武士の威厳を示すための家紋として用いられていました。兜紋が誕生したばかりの時は非常に簡素なデザインでしたが、平安末期から戦国時代にかけて徐々に変化し洗練され、使用されることも多くなりました。
今井氏や武者氏に使用され、梅の花が入った梅兜や鋭い剣が付いた剣兜、長い角のある角立て兜などがあり、兜の向きも斜めや正面のものなど様々です。
中でも武将クラスになると戦いの中で自分の強さを主張することを目的として、デザイン性が高く豪華なものとなりました。
鎌紋
鎌は農具の一つで、湾曲している刃を持っています。農業を営む家には欠かせない道具でした。
但馬地方では、かつてから稲の収穫後に「鎌祝い」という清めた鎌を供える行事がありました。
鎌は農具でもあり、邪気を祓う意味も持っていました。そのため鎌は神社の神紋にも用いられ、神格化されたと言われています。
鎌紋は一本から複数の鎌を描いたものなど様々で、シンプルな一つ鎌、丸に違い鎌、複数の鎌で円形を描いた四つ追い鎌や、五つ鎌車などがあります、また、四角形をした四つ鎌角というものもあり、鎌紋は鎌のみをモチーフにしているにも関わらず、バリエーションは多彩です。信濃の諏訪神社や、戸隠神社が神紋に用いています。
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釜敷紋
釜敷は、火から下ろした銅釜の下に敷く道具です。家紋としては、3つ以上の輪を使って花弁状に配置し整った文様で、いくつもの幾何学的なパターンがあります。
よく似た家紋に「金輪紋」という金属製の輪をモチーフにしたものがありますが、釜敷紋とは別ものになります。
一本の線で構成された5枚の花弁を持つ花のような五つ釜敷、六つ釜敷、輪をいくつも使用した変わり釜敷七曜や、籠のように複雑な籠目七つ釜敷きなど様々です。
児島氏などが家紋として用いていましたが、釜敷紋はあまりポピュラーではなく使用家は少なかったようです。
鐶紋
鐶は、タンスや茶釜、手箱などの引き手部分に用いられる金具を指します。紋としての誕生は不明とされ、幾つかの鐶を組み合わせて構成されています。
鐶には内側と外側、それぞれ向きが異なる2パターンが存在します。鐶一つではシンプルなモチーフですが、複数使用することで円形や四角形、菱形、花形など非常に多くのバリエーションに富んでいます。
鐶紋には外三つ鐶、木瓜型四つ鐶、外五つ鐶、六條鐶、中輪に鐶片喰、外鐶桜などの種類があり、内向きと外向きそれぞれ多数あります。
藤原氏流の松波氏や、清和源氏流の北村氏などが使用していました。
木紋
木紋は、算盤が発明される以前に使われていたと考えられている古代中国の計算用の道具である「算木紋」と同じ部類の家紋です。算木紋のモチーフは全て同じサイズの太い長方形が使用されていました。
それに対して木紋は、細い長方形や歪んだものを使用し、紋の名前にも「算木」と付かず、丹羽違い木、六つ組木、丸に木の字、三つ組み筋違、四つ組み違い木、くの字木菱筋違などの種類がありました。
使用者は今村氏、寒河江氏、加藤氏、滝川氏などで、木紋よりも算木紋の方がより用いられていたようです。
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杵紋
杵は餅をつくための道具で、かつては祝い事の際に杵を使って餅をついていました。杵には槌型のものと、中央がくびれたものがありますが、家紋として用いられたのは中央がくびれた「手杵」というものです。かつては「き」と呼ばれていました。
祝い事にちなんで慶祝を意味し、縁起が良いことから家紋となり、一つや複数の杵がモチーフになっています。一番シンプルな手杵をはじめ、三本杵、丸に並び杵、杵を交差して描いた丸に違い杵、月と合わせた月に杵など、杵紋のアレンジは様々です。
使用者は、藤原秀郷流の伊藤氏や武田氏流の折井氏などです。
杏葉紋
杏葉は、馬にかける金属や革製の装飾品のことで、日本でも古くから使用されてきました。杏葉紋は「茗荷紋」にも似ていますが、杏葉紋は植物ではないため葉や花が無いので、見分けのポイントとなっています。
九州を中心とする大名家の他、武家では現在の大分県である豊後の大友氏、公家では中御門家や持明院家などに用いられました。
杏葉紋は歴史が古いものの使用例は少なく、家紋としては2枚の葉が向かい合う「抱き」のデザインが多く存在しています、他には、丸の中に重なる杏葉を描いた丸に違い杏葉、花のように見える高野杏葉、円形のような三つ割り杏葉などがあります。
釘抜き紋
釘抜きは大工道具の一つで、「九城(くぎ)を抜く」の語呂合わせとして家紋に用いられました。そのため戦いの連勝を祈願して、武士の間をメインにで使用されました。
もともとの大工道具である釘抜きは「座金」と「梃」の2つの道具を合わせて使うものの、家紋上ではそのほとんどが梃が省略された状態のものです。
釘抜き紋には、二つを絡ませた違い釘抜き、重ね合わせた重ね釘抜き、釘の中に梃を入れた木々抜きに梃子、丸の中に変わった形の梃を入れた丸に一梃釘抜きなどがあり、全国的に普及しました。
使用者は、江戸時代では久留米藩の有馬家、飯田藩の堀家などの大名や、武家である一柳氏、太田原氏などです。
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轡紋
轡は、馬の口に装着する金具を指します。手で引く縄を付けるための道具で、「口輪(くちわ)」が変化して「轡(くつわ)」になったと言われています。
轡紋は平安時代頃の轡をデザイン化したもので、そのほとんどに十字型が入っています。そのため「十字紋」にも見えますが、全く別物になります。家紋としては尚武的な意味合いを持っても良いられることが多く、遠江の内田氏や、足利氏に仕えた大草氏が代表的な使用者です。また、大草氏と同じ一族である下田氏、後藤氏、浅井氏も使用していました。
轡紋には十字が入っていることから、キリシタン弾圧の際にカモフラージュとして使用した家もありました。
久留子紋
久留子紋は別名「十字架紋」で、その名前の通り十字架をモチーフとした紋です。「くるす」という名前は、ポルトガル語で十字架を「クルス」と言うことに由来しています。
キリスト教の伝来と共に武士の間でも改宗する者が増え、それと同時に家紋として用いられるようになりました。久留子紋に似ている十字の入った「轡(くつわ)紋」をキリシタンがアレンジして誕生したのが久留子紋です。
しかし、キリシタンの弾圧により使用が禁止されましたが、他のモチーフと組み合わせて使用し続けるものもいたようです。
天草四郎や小西氏、小見川藩の内田氏などに使用されていました。
車紋
車紋は牛舎の車輪をかたどったもので、牛舎は平安貴族の乗り物でもあったため「栄華の象徴」ともされていました。
家紋として用いられるようになったのは鎌倉時代で、幾何学的な美しさから人気がありました。
藤原秀郷流の佐藤氏族が家紋として使用したことをきっかけに全国に普及し、武家では柳原氏が使用しています。
江戸時代には車紋が「源氏車紋」や「車輪紋」と呼ばれていました。見て車輪とわかるようなデザインのものが多く、源氏車、榊原車、三つ割り重ね源氏車、陰源氏車などがあります。また、中には車輪全体を描いたものではなく、半分だけの生駒車という珍しいものも存在しています。
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鍬形紋
鍬形とは、兜の正面に立てられた2本の金属飾りのことを指します。形状が農具の鍬に似ていることから鍬形と名付けられました。
武士シンボルとして家紋に用いられるようになり、中でも紀伊の徳川氏が使用したことが有名です。他に、藤原氏流の豊川氏や、伊予西条の松平氏も使用していました。
鍬形紋は、そのままの形状をデザインしたものが多く、複数の鍬形で構成されたものが主流でした。三つ鍬形や、五つ鍬形崩し、鍬形に二つ巴紋、丸に三つ星付き鍬形などがあります。三つ星は「勝ち星」を表現していたため、「丸に三つ星付き鍬形」は武士の間で用いられたものと思われます。
琴柱紋
琴柱は、琴の弦を支えて音階を調節する道具です。形状の面白さが特徴で、文様としても人気がありました。
室町時代中期には、馬に押す印の紋章に使用されるようになり、その後家紋として用いられました。
基本的には丸の中に一つの琴柱を入れた「丸に琴柱」が用いられ、その他には個数や向きの異なるものが多数ありました。二つ描いた並び琴柱や。花のように配置した五つ琴柱、三つの琴柱を絡ませた三つ組み琴柱などがあります。
東北地方で多く見られ、藤原氏流の後藤氏や中村氏、村上源氏の秋間氏などが使用しました。
駒紋
駒紋は将棋の「駒」をデザイン化したものです。将棋は奈良時代に遣唐使などによって伝来し、現在の五角形の駒型になったのは室町時代と言われています。室町時代末期頃には現代と同じルールになっていたようです。
しかし家紋として用いられるようになったのは、江戸時代末期頃と言われており、将棋が普及してから長い年月が経ってからです。駒紋には、平面に描いたものや立体に描いたものがあり、どれも五角形のシルエットです。
並び将棋駒や、三つ盛り将棋駒、丸に並び駒、細輪に頭合わせ四つ駒などの種類があり、一つまたは複数の駒によって構成されています。
使用者には、藤原家二階堂氏族の坂本氏があります。
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独楽紋
独楽は回しのコマで、日本へは中国から伝来しました。男児の遊びとして平安時代に広く普及したことで文様にも使用されるようになりました。中国の高麗から伝来したのですが、「高麗」が「独楽」の語源になっていると言われています。
家紋になったのは遅く、江戸時代以降と言われています。豊臣秀吉の家臣である木下氏や里村氏が家紋に用いていました。
独楽紋には2タイプで、現代で一般的に知られる芯棒のある独楽と、団栗のような形をした芯棒のない独楽があります。木下氏が用いていた家紋は「木下独楽」とそのまま名字が付けられていました。他に、並び独楽、丸に三つ独楽などがあり、主に豊臣家にゆかりのある家が使用していました。
算木紋
算木は、算盤が発明される以前に使われていたと考えられている古代中国の計算用の道具です。計算道具でありながら、占いにも用いられたことから神聖なものとして扱われていました。
算木は横長の長方形が3つ並んだものでした。算木紋には、丸に一つ算木、丸に十字算木、隅切り角に三木、組み合わせ枡に算木、石持ち地抜き算木などバリエーションは豊富です。
文様紋の「引き両」にも似ていますが、算木紋は長方形の長さが全て一緒という特徴があるので区別できます。菅原氏族の大脇氏や、藤原氏族の加藤氏などによって家紋に用いられていました。
地紙紋
地紙は、扇の骨に貼る紙を指します。江戸時代には自分の好みの地紙を貼る風習があり、家紋としては扇紋のアレンジ版として誕生しました。
末広がりの形をしていることから瑞祥的な意味を持つ家紋です。地紙単体をモチーフにしたものは少なく、地紙の上に他の紋を組み合わせたデザインの紋が多く存在しています。
丸の中に描いた丸に地紙、地紙の中央に巴を描いた地紙に地抜き巴、三つの地紙を使用した丸に頭合わせ三つ地紙、細輪に地紙に蔦などがあります。
全国的に見られる家紋ですが、特に西日本で多く見られ、源氏流の徳山氏や吉田氏、藤原氏流の中村氏や徳永氏が使用していました。
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筋違紋
筋違は二本の直線を交差した幾何学的なもので、「直違」とも書きます。もともとは、建物の強度を高めるために柱と柱の間に対角線に入れる材料のことです。
そのような建材を指す筋違ですが、家紋としても筋違は模様として扱われています。意味としては家や城を守るということで家紋に使用されました。
武家では丹羽氏が丹羽筋違を用いており、戦場で血の付いた刀を拭った跡が由来となっていると言われています。
筋違紋には他に、三つ組み筋違、四つ組み筋違、丸に筋違、六つ組み筋違などがあり、どれも直線が交差したデザインです。直線は細いものや太いものなど、紋によってそれぞれ異なります。
鈴紋
鈴は、その音が邪気を祓うとして魔除けの道具として使用されていました。神聖なものであった鈴は、その後祭りの際などにも広く使用されるようになり、やがて家紋として用いられるようになります。
熊野神社の神主である鈴木氏が家紋として使用しましたが、苗字に「鈴」が入っているという理由よりも信仰的な意味で用いられたと言われています。他には鈴木氏の一族である亀井氏や木村氏が使用しています。
また、鈴紋は1〜3個の鈴をモチーフにしたものが多く、一つ鈴、三つ鈴、丸に三盛の鈴などの種類がありますが、中には多数の鈴をモチーフにした五つ鈴や10個の鈴を使用した十曜鈴、15個の鈴を使用した神楽鈴というものもあります。
銭紋
銭紋は通過を図案化したもので、縁起が良いものとして採用する家が多くありました。もともと銭は中国から伝来し、通過に縁起の良い文字が刻まれていました。
はじめは文字の無い銭紋でしたが、徐々に文字入りが主流となりました。長野県に接する地域で使用が多く見られますが、中でも有名なのは真田氏です。
真田氏の家紋は「真田銭」と言い、文字が無く四角い穴が空いたシンプルな銭が上下に3枚ずつ並べられたものでした。この銭紋は、仏教的な信仰の意味を持っており、それぞれ六つが死後の道にいる地蔵に渡す六道銭であるとされたため、「三途の川渡し銭」とも呼ばれていました。
他には、青山氏、仙石氏、織田氏などが使用しました。
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宝結び紋
宝結びとは紐の結び方のことで、宝を結ぶ時に使用したり、仏閣の欄間に使用する荘厳具というものに付いているものです。紐を絡めて菱形のような形にしており、現在でもご祝儀袋などに付けられています。
縁起の良いものとして扱われたため家紋として用いられた説や、信仰的な意味があり家紋に用いられた説があり、長寿や永遠の繁栄を表す紋でした。
宝結び紋はどれも複雑に絡んだ紐をモチーフにしており、一番シンプルな宝結び、蝶の形に見せた宝結び蝶、曲線の無い角宝結び、二重の輪に入った陰輪に宝結び、立体的な三つ寄せ角宝結びなどの種類があります。珍しい家紋ですが、織原氏、吉田氏、後藤氏が使用していました。
玉紋
玉は「宝珠」や「如意宝珠」とも言い、仏教における宝玉を指し仏や仏の教えの象徴とされていました。仏教ではこの玉を得ることによって願望を成就できるとの言い伝えがあり、古くから縁起の良いものとして扱われていました。
玉は目に見えるものや形あるものではありませんが、紋としては玉のような形や火炎を出している形のものがあり、稲荷玉、尻合わせ五つ玉、丸に頭合わせ三つ玉、三つ割り玉などの種類があります。紋の名前からもわかる通り、玉一つだけではなく複数の玉をモチーフにしたものも多数ありました。
使用者には、倉持氏、須佐氏、船木氏、前島氏、船橋氏、藁科氏などがあります。
千切り紋
千切とは、織り機に付ける糸巻きのことを指します。また、石や木などを繋げる填め木も「ちきり」と言い、2つのものを繋げることから男女の仲を結んだり、愛を交わしたりすることから「契り」と掛けて縁起が良いものとされていました。
千切は平安時代に文様としてよく使われるようになり、足利時代頃には家紋に用いられたと言われています。
千切紋は幾つかの四角を線で繋いだデザインのものが多く、千切菱、隅切り千切、四方千切、千切崩しなどがあります。
使用者には、足利時代では二木氏、江戸時代では藤原利仁流の川口氏、清和源氏系の松平氏、千村氏、岩波氏、小城氏、良峯氏流の丹羽氏などがあります。
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提盤紋
提盤は青銅製の楽器で、鎌倉時代に中国から伝来しました。「打板」「朝板」「雲板」とも書きますが、家紋としては提盤や打板と記載されることが多いです。禅寺では起床や就寝、食事の合図の呼び鈴として使用されていました。
提盤紋は左右対称なのが特徴で、はじめは衣服の文様として使用され、やがて家紋にも用いられるようになりました。しかし家紋としての使用例は少なく、あまり普及しませんでした。使用者には桓武平氏流の杉原氏、、藤原氏流の安藤氏や松波氏、清和源氏流の小菅氏などがあり、地域としては山梨県や長野県などの甲斐地域に見られます。
提盤紋には丸に提盤、吊り提盤、三つ盛り提盤、陰提盤などの種類があります。
槌紋紋
槌はものを叩くための道具で、木製のものと金製のものがありますが、家紋として使用されたのは木製の槌でした。
かつてから「打ち出の小槌」は縁起の良いものであったため、それにあやかって家紋に用いられたり、「敵を討つ」という意味から武家にも用いられていました。また、本当であれば「水車紋」のところを勘違いして槌紋と呼ばれていたケースも多いようです。
使用者には土井氏、南条氏、田沢氏などがあり、一つや複数の槌をモチーフとした紋の種類がありました。一番シンプルな槌、木目の入った木目槌、丸に三つ槌、槌で円形を描いた六つ槌車や、八つ槌車などの種類があります。
鼓紋
鼓は小さな太鼓のことを指します。歌舞伎、能楽や長唄の囃子の際に使用される日本では伝統的な楽器で、身近なところでは雛飾りの五人囃子も持っています。鼓は中央がくびれた形をしており、全体がわかるよう立体的に描かれたものや、鼓を打つ部分でもある横側を描いたものなどがあり、真向き鼓や、二枚鼓、置き鼓、房鼓、調べ鼓、三つ並び鼓胴などの種類があります。
このように様々なバリエーションがあるものの、実際に家紋として使用していた家は少なく、具体的な使用家ははっきりとしていません。
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熨斗紋
熨斗は、現代でも使われている贈答品に付ける飾りのことで、延寿の象徴で縁起物とされてきました。
もともと熨斗はこの熨斗ではなく、貝であるアワビの薄く剥いで引き伸ばした鮑熨斗(あわびのし)のことを指していました。このアワビを「伸ばす」行為が「長寿」に繋がって贈答品に添えるようになり、やがて紙の熨斗が使われるようになりました。
熨斗は長方形のイメージがありますが、熨斗紋は熨斗で円形を作ったものが多く、抱き熨斗や、束ね熨斗の丸、熨斗輪に高の羽などがあります。
「芦名物語」では関柴備中守が、「二つ鳥に束ね熨斗」の描かれた旗を持ち伊達陣を攻めたとの記録があります。他の使用者は、奈佐氏や河野氏などです。
羽子板紋
羽子板は日本の伝統的なお正月の遊具で、板で羽を突く遊びです。遊びの用途だけではなく、厄除けの意味も誕生し、お正月には女性に贈る風習もありました。
羽子板は室町時代から公家の間で親しまれ、中世には文様になった記録は残っていません。江戸時代になると庶民の間でも羽子板が普及し、それに伴い家紋として扱われるようになりました。しかし実際の使用例は少なく、家紋の中ではポピュラーではありません。
羽子板紋には、丸に並び羽子板、五つの羽子板で五角形の輪を構成した五つ追いかけ羽子板、放射状に八つ並べた八つ羽子板、三つ羽子板などの種類があります。
羽箒紋
羽箒は、本物の鳥の羽を使用して作られた小さな箒のことを指します。茶器や漆器のほこりを払うために使われていました。
家紋としては珍しく、一本から三本ほどの羽箒がモチーフになっています。デザインは羽箒そのもので、シンプルな一つ羽箒、向かい合って重なった違い羽箒、円形を作るように描かれた二つ置い羽箒や、三つ置い羽箒羽箒の丸、抱き羽箒、外向き立ち羽箒
などの種類があります。
羽箒紋は、小幡氏や山本氏などによって用いられていました。
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袋紋
袋は、宝物やお守り、お金など大切なものを入れる布製の袋を指します。また、七福神の大黒天も袋を持っているように、袋には無形の福を入れるものでもありました。そのため、縁起の良いものとして家紋に用いられていました。
袋紋は「砂金袋紋」と呼ぶこともあります。使用例の記録は少ないものも、江戸時代頃に家紋として用いられ、長岡氏や谷氏、宇佐美氏、宮永氏などの家紋に用いられていました。
また、袋紋は現在の豊島区にある大鳥神社の神紋でもあります。袋紋には大きな袋を一つ描いたデザインの「袋」や、二つの袋を上下に配置しまるで囲んだ「丸に二つ袋」などの種類があります。
船紋
船紋は、かつても使用されていた水上用の乗り物をそのまま描いたものです。船全体を描いた紋で、船の帆のみをモチーフにしたものは「帆紋」と言います。
隠岐島から後醍醐天皇を助け出したと言われる名和氏が、その功績を称えられ船紋を下賜されたと言われています。また、戦国時代には四国の長曽我部氏が家紋に用いていました。その他では、苗字に「船」の付いた船木氏、船倉氏、船井氏も使用していました。
船紋の種類は、素朴な笹船を描いたものや大きな宝船を描いたものなど様々で、他に丸に帆掛船や糸輪に帆掛け船などがあります。また、船の向きも正面や斜めのものなどがありました。
分銅紋
分銅は、天秤で金銀などを測量する際の重りとして使用していた道具で、家紋としては新しい部類です。
正確にものを測れることや、その形状の面白さから家紋に用いられるようになったと言われています。
分銅紋は円形をしたものが多く、二つ並べた並び分銅、輪の中に三つ入った細輪に三つ分銅、花分銅や五つ分銅、宝分銅などがあります。
江戸時代には、両替所に分銅を描いた看板が登場し、家紋には商人が使用したとされています。また、使用地域は兵庫県や大阪府、徳島県などに見られています。使用者は、松平氏や近藤氏などがあります。
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幣紋
弊は神具の一種で、神に供えたりお祓いに使ったりするものです。現在でも地鎮祭などの行事で紙の付いた棒を振る姿を見ることがあるかと思いますが、この道具を指します。
用途によって素材が異なり、神に供えるものは木綿や麻などの布製、お祓いに使用するものは紙製でした。
この弊を手にして振ると神霊が宿るとされており、弊紋は神社関係の家に用いられていました。熊野神社神官の鈴木氏や亀井氏が使用したそうです。
弊は一つだけでボリュームがありますが、弊紋の中には三つの弊を用いた三つ盛り幣というものもありました。他には、神宮弊、丸に幣、一つ松葉の丸に御幣、変わり違い幣、祭礼幣帛などがあり様々です。
瓶子紋
瓶子とは、酒を入れるための細長い器のことを指します。御神酒を入れて神に備えたことから、神具の一種とも言われています。そのため、瓶子紋は神社関係の家に用いられました。
瓶子紋は一つの瓶子を用いたものや、六つほどの複数の瓶子を用いたものなど個数はそれぞれです。丸の中に二つの瓶子を描いた丸に並び瓶子、三つの瓶子で円形を作った三つ瓶子、六つの瓶子を合わせた六つ瓶子などの名前が付けられています、
使用者には、藤原氏南家為憲流の宇佐美氏や、藤原利仁流の都筑氏、橘氏流の紅林氏や小野氏、平氏支流の大岩氏などがあります。
帆紋
帆とは船の舵をための帆のことで、家紋としては船そのものとは区別され、帆をメインに描かれています。
見てすぐに船の帆とわかるデザインのものが多く、海関連の家の紋に用いられていました。これには「航海を祈願」する想いが込められていたとされています。
帆紋は、帆の数がそれぞれ異なり、丸に一つ帆や、一つの帆の丸、浪に三つ帆、二つ帆の丸、抱き帆、水に帆などの種類があります。
たいては船は描かれず、帆のみがモチーフとなっていますが、中には帆掛け船など全体が描かれたものもあります。
名字が船に関係している船戸氏や船村氏、布施氏や大井氏などが使用しました。
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枡紋
枡は体積を計量するための木製の四角い器のことで、「増」や「益」の字に掛けて縁起ものとされていまいした。
枡紋は1つから3つの枡を用いて作られており、方形の対角線には直線が引かれたものが多いのが特徴です。枡1つでは非常にシンプルな紋ですが、個数や向きを変えたり、立体的に描くことで様々なバリエーションが誕生しました。
枡紋には、丸に隅立て入れ子枡や、三つの枡を離して描いた三つ盛り枡、大きさの異なる三つの枡を上に重ねた三階枡、枡の中に枡を描いた三枡などがあります。
使用者は「ます」にちなんだ増田氏や益田氏、枡井氏、金子氏や服部氏です。また、歌舞伎役者である市川團十郎の定紋としても用いられています。
守・祇園守紋
祇園守とは、京都の八坂神社が発行するお守りのことを指します。2本の巻物が十字に描かれており、家紋を使用できなくなった多くのキリシタンたちが江戸時代に使用したと言われています。
祇園守には巻物が描かれているものとないものがあり、扇子や銀杏の葉などを組み合わせたものなど、様々な種類が存在しています。基本の祇園守の他に、柳川守、立花守、御札守丸、筒守菱などがあります。
祇園守は芸能と関係のある祇園社や、八坂神社の信仰から梨園に多く見られる家紋です。
餅紋
餅は保存性の良さから軍人の食糧に用いられ、また朝廷の式典にも使用されました。「もち」は餅と書きますが、「持」や「保」にも通ずることから縁起の良い食べ物として扱われました。
餅紋は餅を図案化したもので、一般的にはシンプルに円形で描かれ、白餅や黒餅などがあります。中には菱形で描かれた桃の節句にも供える菱餅や、円形に切れ込みの入った雪餅、輪の中に入った細輪に重ね餅などもあります。
餅紋の使用者は黒田氏が有名で、はじめは白餅だったものが、黒田氏が用いたことで後に黒餅に変化しました。そして餅紋のほとんどは黒で表すようになりました。
餅紋の使用者には、五十嵐氏、竹中氏、安信氏、浅野氏などがあります。
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矢紋
矢は、古代より狩猟の道具として使われていました。また、武器としても邪気を払う神器としても使われていました。「破魔矢」は今でもお正月に見られるものです。
鉄砲が日本に伝来するまで矢は武士にとって重要なものだったため、武士が家紋として矢を多く使用していました。
矢には家を守るという信仰的な意味があり、矢紋を用いる家は多かったようです。中でも有名なのは服部氏で、古くから伊賀の国に勢力を持っていました。服部氏のある者が功労賞として矢を賜ったことから、矢を家紋にした言われています。
また、矢紋は矢全体をモチーフにしたものもあれば、矢の先端や矢尻、矢羽根など部分的に家紋に用いた家もありました。
立鼓紋
立鼓は「輪鼓」とも書き、くびれた銅の鼓状を張った糸の間で回す玩具です。中国の唐時代に人気があり、日本へは平安時代に伝来しました。日本でも徐々に人気が出て、鎌倉時代には庶民の遊びとして広く普及します。江戸時代で一旦人気が弱まるものの、明治時代に再び人気の出た、長い期間愛されていた玩具です。
文様としては呪術的な意味があるとされ、家紋には反り立鼓、丸に立鼓、三つ立鼓、三つ寄せ立鼓、丸に中陰立鼓などの種類があります。
松永安左エ門や宇野雪村が家紋に用いていた他、内藤氏や滝氏、田中氏が使用していたこともわかっています。
輪宝紋
輪宝は、仏教の伝来と共に仏具として伝わった寺院のシンボルのような存在です。仏具ではあるものの想像上の武具で、古代インドの進行の中で伝えられました。
「チャクラム」とも言われた輪宝には、煩悩を取り除く効果があったと言われています。また王の行くところに先行して四方を制するとされ、「聖王」とも呼ばれていました。
仏教に関する家紋のため寺紋として用いられることの多かった輪宝紋は、根本氏、山田氏、三宅氏、加納氏などに使用されました。
綺麗な車輪型の紋で、基本的な輪宝の他に丸に三つ輪宝、六つ輪宝、変わり六つ輪宝、筆形輪宝、大日輪宝、菊形輪宝などの種類があります。
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蝋燭紋
蝋燭紋は、火を灯して明るくするための蝋燭をデザイン化したもので、蝋燭そのものがそのまま描かれています。
蝋燭という漢字をそれぞれ見てみると、「蝋」は植物などから採取できる脂に似た物質を、「燭」は灯りを意味しており、漢字を合わせると、どのようなものなのか直ぐにわかります。
蝋燭紋は丸の中に描かれたものが多く、本数は1本から3本が一般的です。丸に一本蝋燭や、丸に違い蝋燭、三つ割り蝋燭、丸に三つ違い蝋燭などの種類があります。
江戸時代以降に商人が家紋に使用し、それまで武家が使用した例はなど記録として残っていません。
綿紋
綿紋は「結綿紋」とも言い、普通の綿ではなく祝い事の神物として扱われていたものをデザイン化したものです。
神聖さや慶事のシンボルとされいたため、縁起の良い家紋でもありました。5つに束ねた基本的な結綿紋が主流でしたが、他に丸に綿の花、二つの綿が上下に配置された二つ結綿、丸の中に向かい合った綿を描いた丸に対い結綿、菱形をした結綿菱、円形をした三つ割り結綿、束の向きが異なって円形を作る三つ寄せ結綿など様々な種類があります。
使用者は、佐野氏、大橋氏、石渡氏などで、武家の中岡慎太郎は「丸に綿の花」を家紋としていました。
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家紋を7つの分類で170種類まとめて解説!
家紋は25,000以上あるとも言われますが、実際には替紋や女紋などが出てきて以降は正確な数が計測不可能になってきています。代表的な7つの分類で170種類を解説していきます。
植物をモチーフにした家紋(66種類)
葵紋/麻紋/朝顔紋/葦紋/菖蒲紋/虎杖紋/銀杏紋/稲紋/梅紋/梅鉢紋/瓜紋/車前草紋/沢瀉紋/杜若紋/梶の葉紋/柏紋/片喰紋/唐草紋/唐花紋/桔梗紋/菊紋/桐紋/葛紋/梔子紋/胡桃紋/河骨紋/桜紋/笹紋/棕櫚紋/水仙紋/杉紋/芒紋/菫紋/大根紋/竹紋/橘紋/茶の実紋/丁子紋/蔦紋/椿紋/鉄仙紋/梛紋/梨紋/薺紋/撫子紋/南天紋/萩家紋/蓮紋/花角紋/花菱紋/上りバラ藤紋/柊紋/瓢紋/瓢箪家紋/藤紋/牡丹紋/松紋/茗荷紋木瓜紋/楓紋/桃紋/百合紋/蘭紋/龍胆紋/連翹紋
動物をモチーフにした家紋(16種類)
板屋貝/兎紋/馬紋/蟹紋/亀紋/雁金紋/雀紋/鷹の羽紋/千鳥紋/蝶紋/角紋/鶴紋/蜻蛉紋/鳩紋/鳳凰紋/龍紋
器物をモチーフにした家紋(54種類)
赤鳥紋/筏紋/錨家紋/石紋/糸巻紋/団扇紋/扇紋/垣根紋/額紋/笠紋/金輪紋/兜紋/鎌紋/釜敷紋/鐶紋/木紋/杵紋/杏葉紋/釘抜き紋/轡紋/久留子紋/車紋/鍬形紋/琴柱家紋/駒紋/独楽紋/算木紋/地紙紋/筋違紋/鈴紋/銭紋/宝結び紋/玉紋/千切り紋/提盤紋/槌紋/鼓紋/熨斗紋/羽子板紋/羽箒紋/袋紋/船家紋/分銅紋/幣紋/瓶子家紋/帆紋/枡紋/守紋/餅家紋/矢紋・矢筈紋/立鼓紋/輪宝紋/蝋燭紋/綿紋
幾何学模様をモチーフにした家紋(15種類)
糸輪紋/鱗紋/角紋/亀甲紋/源氏香紋/七宝紋/蛇の目紋/巴紋/引両紋/菱紋/松皮菱/村濃紋/目結紋/輪紋/輪違い紋
自然をモチーフにした家紋(11種類)
稲妻紋/朧紋/霞紋/雲紋/州浜紋/月紋/浪紋/日足紋/星紋/山紋・山形紋/雪紋・雪輪紋
建築をモチーフにした家紋(4種類)
文字をモチーフにした家紋(4種類)
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