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丸に梅鉢紋(梅鉢紋)について解説!由来や意味・種類・戦国武将・有名人まとめ

   

梅を形どった可愛い家紋・梅鉢紋。

梅鉢紋
丸を五つ並べたこの家紋のイメージはどこか女性的で、梅が持つ華やかさを大変に良く表しています。
しかし、この「梅鉢紋」の由来には、とても悲しく切ない物語がありました。
梅鉢紋誕生のエピソード、そして使用していた著名人について学んでみましょう。

 

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「梅鉢紋」の由来とは?

梅と言えば、菅原道真

日本に古くからある梅の花は、いつの世も人々に愛されてきました。

梅
学問の神様と呼ばれる菅原道真も、その一人。
道真は梅を非常に愛し、庭にある梅の木をとても大切にしていたと言います。
平安時代の中で、右大臣という地位にまで上り詰めた道真は人生を謳歌していたことでしょう・
しかし、ある日彼は左遷され、九州の「大宰府」というところに追いやられてしまいます。

都を離れなければならなくなった道真は、大切にしていた梅の木を想ってこう読みました。
「東風(こち)吹かば にほひよこせよ梅の花 主なしとして 春を忘るな」

意味は「東の風が吹いたら、私のところにその香りを届けて下さい。私がいなくなっても、春を忘れずに花を咲かせてください」というもの。自分がいなくなったあとの梅の木が、咲かなくなってしまわないか…香りだけでも風に乗ってきてくれたら、という切実な気持ちが表れています。

梅が好きな道真のことを思ってか、道真を表す紋として「梅鉢」が使用されるようになったのです。
道真を祀った「太宰府天満宮」にも梅花紋が使用されており、公が好きだった梅がたくさん植えられ、訪れる人に花の美しさと道真の心を伝えています。
道真を祀った神社は全国にありますが、ほとんどが梅の紋を使用しており、東京にある湯島天神には「梅鉢」の紋が使われています。

「梅鉢紋」の名前の由来

「梅鉢紋」の「鉢」は、家紋の中央(花のおしべのようなもの)が太鼓をたたくときのバチのように見えたことからその名が付きました。
確かに、バチのように見えなくもないですね。

 

「梅鉢紋」の種類

梅の紋には「梅花紋」「梅鉢紋」の二つの種類があり、古くから使われていたのは「梅花紋」であると言われています。しかし、江戸時代になるとだんだん梅鉢紋を使う人が増えていったとか。
梅鉢紋にも、結構な種類があるので比較してみると面白いです。

梅鉢紋

菅原道真の「菅原氏」が使用していた家紋です。

梅鉢紋
梅鉢紋が誕生した流れからしても、この紋が梅鉢紋の始まりといっていいかもしれません。
梅の花の中央に、おしべとめしべが見えるような「梅そのもの」のイメージです。

加賀梅鉢紋

加賀梅鉢紋
「梅鉢紋」と比べて、中央のおしべが長く飛び出たような形になっていますね。
この家紋は、豊臣秀吉の家臣で有名な前田利家が使用していたことでも知られています。前田利家は、秀吉から「五七の桐」など格式高い家紋を下賜されていましたが、使用したのはこの「加賀梅鉢紋」のみとか。

丸に梅鉢紋

丸に梅鉢紋
梅鉢紋を、丸で囲った家紋ですね。
家紋は丸で囲むものが多くありますが、それだけで印象が全然違うものになるので驚きです。

花付き梅鉢

花付き梅鉢
梅の花のまわりに、また花がついているように見える家紋です。
一層華やかさが増しますね。

 

梅鉢紋を使用している武将・著名人

前田利家

前田利家
豊臣秀吉の重臣として知られ、加賀百万石を成し遂げたことでも知られる武将・前田利家。
秀吉亡き後は、何かと対立する石田三成とその他の豊臣家家臣の仲裁をするなど、かなりの力を持っていました。
利家が亡くなったことで、豊臣家の中の対立を仲裁する人物がいなくなり、石田三成の暗殺未遂事件が起きます。その派閥争いは、やがて「関ヶ原の戦い」へとつながりました。
家紋は「加賀梅鉢」。

 

その他の著名人

菅原道真

「梅紋」と言ったらこの人、というくらい有名な菅原道真。

菅原道真
学問の神様としても知られ、道真が祀られている太宰府天満宮には多くの学生たちが訪れ、志望校の合格を祈願しています。
道真を祀る神社は全国に数多くありますが、そのほとんどが梅紋を使用しており、道真が愛した梅の木を植えていることも。故に、その神社が各地の「梅の名所」になっていることも少なくありません。
家紋は梅鉢紋。

平賀源内

平賀源内
作家であり画家であり、陶芸家であり、また発明家でもあった天才。
天才ゆえに時代に理解されず、最期は獄中で発狂しながら亡くなったと言います…。

山下清

山下清
日本の画家。生まれつき障害を抱えながらも優れた芸術的才能を発揮し、国内を放浪しながら美しい絵をかき続けました。

岡本太郎

「太陽の塔」を作った有名な芸術家です。

太陽の塔
パリに留学したことで芸術の基礎を積み、ピカソに感銘を受け捜索を続けました。
岡本太郎の凄さは、それまでの概念にとらわれない自由な発想で作品を作り続けたことです。
当初はピカソと逆の路線を目指した岡本氏ですが、のちに「ピカソを越えたい」と中傷的な作品に取り組むようになり、その時代の作品を見るとどことなくピカソの影響を見ることができます。

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