駒紋の意味・由来を解説!器物紋の一種の家紋

「将棋」は現代でもニュースになるほど知られ、注目されているものですが、もともとは遣唐使によって伝えられました。

将棋の「」をモチーフにした「駒紋」が存在するのですが、一体どのような紋だったのでしょうか?

今回は、「駒紋」の由来・意味・種類や、遣唐使によって伝来し、その後家紋になったものをいくつかご紹介いたします。

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駒紋の意味・由来とは?

読み方 こまもん
家紋の分類 器物紋
>>家紋辞典で他の家紋もチェック<<

駒紋は将棋の「駒」をデザイン化したものです。将棋は奈良時代に遣唐使などによって伝来し、現在の五角形の駒型になったのは室町時代と言われています。「将棋駒紋」と言われることもあります。

現代でも将棋は様々な年齢層の人に好まれていますが、室町時代末期頃には現代と同じルールになっていたようです。

しかし、家紋として用いられるようになったのは江戸時代末期頃と言われており、将棋が普及してから長い年月が経ってからです。

 使用者には、藤原家二階堂氏族の坂本氏があります。

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駒紋の種類いろいろまとめて解説

太輪に将棋駒

並び将棋駒

三つ並び駒

細輪に頭合わせ四つ駒

五つ駒

三つ盛り将棋駒

丸に並び駒

駒紋は将棋の駒のシルエットを描いたもので、飛車や歩などの文字は描かれていません。

多くて5つの駒をモチーフとした紋の種類があり、横に並べれば「◯(数)つ並び駒」と呼ばれました。

また、4つ以上の駒になると円形になるように配置され、「頭合わせ四つ駒」「五つ駒」などと呼ばれました。

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遣唐使によって伝来→家紋になったものには、こんなものも!

将棋は奈良時代に遣唐使などによって伝来し、日本にも普及したとお話しましたが、同じように遣唐使から伝来したものがその後家紋になったものが幾つかあります。

奈良時代〜平安時代に「朝顔」

朝顔は現代でも自然に咲いていたり、小学校では自分の朝顔を育てる風習もありますが、実は奈良時代から平安時代頃に遣唐使によって伝わったものの一つなのです。

始めは、種が下痢などに効く薬として使用されていましたが、その後品種改良されて綺麗な花が咲くようになると鑑賞用として親しまれるようになります。


家紋になったのは明治時代頃と遅く、朝顔のとある特徴によってあまり家紋として好まれはしなかったのです。

上記の記事では「朝顔紋」について詳しくご紹介していますので、その理由とは何だったのかチェックしてみましょう!

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奈良時代までに「梅」

続いても植物になります。現代でも春になると香りの良い花を咲かせて実を付ける「梅」です。

奈良時代までに遣唐使によって伝わったものとされており、奈良時代には既に文様として使用されていました

先ほどの「朝顔紋」は伝来→家紋化までに長い年月がかかりましたが、かつてはお花見と言えば桜ではなく梅の花であったため、紋化されるまで非常にスピーディでした。

「梅紋」は縁起の良いものとして色々な種類があり、戦国時代、徳川時代など時代を超えて好まれていた紋でした。

また、神社の神紋にも用いられるなどして、とてもポピュラーなものです。

このように、遣唐使によって伝来し、家紋になったものには様々なものがあります。特に奈良時代には、中国から入ってきたものが多かったのです。

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まとめ

将棋の駒をモチーフとした「駒紋」と、遣唐使によって伝来した紋についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?

今回は遣唐使という共通点の家紋をご紹介しましたが、駒紋のように珍しいものを家紋にしたものは多数ありますので、是非他の紋についてもチェックしてみてくださいね。

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