車紋の意味・由来を解説!器物紋の一種の家紋

現代には移動手段の車がありますが、かつては牛を利用した「牛車」が一般的でした。特に平安貴族に用いられ、家紋には「車紋」として牛車の車輪部分が使用されるようになります。

今回は、「車紋」の由来・意味・種類や、使用ていた戦国武将、その他の乗り物紋をモチーフにした家紋についてご紹介いたします。

スポンサードリンク

車紋の意味・由来とは?

読み方 くるまもん
家紋の分類 器物紋
>>家紋辞典で他の家紋もチェック<<

車紋は牛舎の車輪をかたどったもので、牛車は平安貴族の乗り物でもあったため「栄華の象徴」ともされていました。

家紋として用いられるようになったのは鎌倉時代で、幾何学的な美しさから人気がありました。

藤原秀郷流の佐藤氏族が家紋として使用したことをきっかけに全国に普及し、武家では柳原氏が使用しています。

江戸時代になると車紋は、「源氏車紋」や「車輪紋」という名でも呼ばれていました。

スポンサードリンク

車紋の種類いろいろまとめて解説

源氏車

変わり源氏車

陰源氏車

丸に源氏車

源氏車に矢

風車

生駒車

花藤車

車紋にはたくさんのバリエーションが存在しますが、その中でいくつかピックアップしました。基本形は「源氏車」ですが、これは江戸時代に入ってからの車紋の呼び方です。

車のみを描いた車紋はどれも似たデザインですが、「源氏車に矢」矢紋を組み合わせたもの「花藤車」は植物の藤紋を組み合わせたものなど、別の家紋と合わせられることもありました。

スポンサードリンク

また、車紋の中でも珍しいものは「生駒車」です。車輪の上部のみを描いたもので、生駒氏が使用していたオリジナル家紋です。

車紋を使った戦国武将を紹介

では、車紋を使用していた戦国武将たちを何人かご紹介いたします。

榊原康政の家紋「榊原源氏車」

榊原康政の家紋「榊原源氏車」の由来とは?家康の小姓から始まった徳川家の戦国武将人生に迫る

榊原康政は、「徳川四天王」「徳川三傑」などと呼ばれる家康の重臣のひとりで、家康が天下統一を果たすまで常に傍らで支えてきた人物です。

榊原源氏車

家紋には「榊原源氏車」というオリジナルのものを使用していました。基本の車紋に似ていますが、中心部が6角になったデザインです。

スポンサードリンク

生駒正俊の家紋「生駒車」

生駒正俊の家紋「生駒車」とは?香川の丸亀城を守りたかった戦国武将

生駒正俊は香川の丸亀城を守ろうとした戦国武将で、城が外から見えないように周りに木を植えるなどして隠していたというエピソードがあります。

使用家紋は先ほど登場した「生駒車」です。下部半分は描いていない家紋で、珍しいデザインとなっています。

隠し続けた城の結末については、上記の生駒正俊についてまとめた記事で確認してみましょう!

服部半蔵の家紋「八桁車」

服部半蔵の家紋「八桁車の内堅矢」を解説|伊賀忍者を率いて秀吉を支えた戦国武将

服部半蔵は「忍者ハットリくん」のモデルである、戦国時代に「伊賀」という忍者たちが住む国のリーダーとして有名です。

genjiya

家紋には「源氏輪に並び矢」を使用していました。中心のモチーフが矢を表しており、矢は武士に欠かせない武器であったためよく用いられたモチーフです。

スポンサードリンク

 

「乗り物」を描いた家紋には他に何がある?

牛車は平安時代に荷物などを運ぶための手段であったわけですが、その牛車を描いた「車紋」以外には、どのような「乗り物紋」があるのでしょうか?

歴史は浅い「筏紋」

木材を組み合わせた平たい形状の「筏(いかだ)」は、水上での運搬手段として人々の生活を支えていました。

「筏紋」は江戸時代には信濃の飯山藩大名家の本多氏や、滝川氏によって家紋に用いらた他、文様にも用いられていましたが、家紋としての歴史は浅かったようです。

スポンサードリンク

種類豊富な「船紋」

筏よりもしっかりとした作りで水上の移動・運搬手段を支えていたのは「」です。

その船は「船紋」として名字に船の字の付く家々や、戦国時代には四国の長曽我部氏などによって家紋に用いられていました。

船紋は船全体を描いたもので、中には松紋と組み合わせた豪華な「宝船」という家紋もあります。どのような種類があるかは、下記の記事で確認してみましょう。

スポンサードリンク

まとめ

牛車の車輪を描いた「車紋」についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?

車紋以外の乗り物紋には筏や船などがあり、水陸それぞれで運搬手段となっていたものが家紋化されていることがわかりました。

時代によって使用されていた乗り物が変化していくのも面白いですね。是非乗り物にまつわるその他の家紋についてもチェックしてみてくださいね。

スポンサードリンク