日本の家紋の中でも、特に美しいデザインが際立つ「木瓜紋」。実は、この「木瓜」が何かはまだ分かっていません。
そのままだと「木瓜=キュウリ」なのですが、家紋のデザインがどうみてもキュウリには見えないため、色々な説があるようです。織田信長、樋口一葉、三船敏郎など、多くの著名人が使用した「木瓜紋」の成り立ちについて紹介します。
目次
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「木瓜紋」由来とは?10大家紋の1つ
由来:中国から伝わった文様と言われています
読み方 | もっこうもん |
家紋の分類 | 植物紋 |
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「木瓜」が何なのかは実際のところ解っていませんが、中国にこの形に似た文様があるそうで、「中国から渡ってきたものなのでは?」と予想されています。
でもこの文様を使用していた形跡があり、神社にある御簾のふちをよく見てみると、木瓜紋に似た文様が描かれていることがあるそう。その縁取りに使用している布のことを「もこう」と呼ぶそうで、これが木瓜もんの始まりではないか?という説もあるようです。
この情報を整理すると、中国から日本にやってきた文様が、日本で神社の御簾に使用されるようになり、そこから「木瓜紋が生まれた」という可能性も。はっきりしたことは解りませんが、木瓜紋は日本10大家紋と呼ばれるくらい有名な家紋なので、そこに謎があるというのはミステリアスで面白いです。
10大家紋には何がある?
日本には、実に25,000以上の家紋があると言われていますが、中でもよく使用されている家紋を「日本10大家紋」と呼んでいます。
そのうち、 【藤・桐・鷹の羽・木瓜・片喰】を5大家紋と呼び、【蔦、茗荷、沢瀉、橘、柏】を加えて10大家紋と呼びます。10大家紋の解説をまとめましたので時間のある方は是非チェックしてください!
詳しくはこの記事をチェック!
藤紋 | 桐紋 | 柏紋 | 蔦紋 | 沢瀉紋 |
茗荷紋 | 鷹の羽紋 | 橘紋 | 片喰紋 | 木瓜紋 |
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木瓜紋の種類
日本10大家紋の木瓜紋には、本当にたくさんの種類があります。いくつかの種類を紹介しましょう。
五つ木瓜・織田木瓜
「木瓜紋」の中でも、とりわけ知名度が高いのが「五つ木瓜」。「織田木瓜」とも言われる家紋です。
この家紋は織田信長が使用したことから知名度が高く、現代でも良く知られる家紋のひとつになっています。
戦国武将の中でも、人気がトップと言われる信長ですから、家紋が人気なのも納得。木瓜紋の中でも、家紋全体の中でも特に知名度が高い家紋です。
大きな特徴として、他の木瓜紋が4片なのに対し、織田木瓜は5片であること。これは、当時の信長も質問を受けていたようですが、はっきりした理由は解っていません。
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木瓜
木瓜紋の基本になるのが、このデザイン。
このデザインから、木瓜紋はあらゆる形に姿を変えていきました。
丸に木瓜
こちらも、かなり知名度が高い木瓜紋です。
新選組隊士・一番組長の沖田総司が、この家紋を使用していたと言われるためです。
新選組は歴史ジャンルの中でも特に人気が高く、沖田は司馬遼太郎の「燃えよ剣」の影響もあり副長・土方と共にかなりの人気。ゆえに、家紋である「丸に木瓜」の知名度も高くなっています。
唐木瓜
木瓜紋が、ひし形のような形にアレンジされたもの。
家紋は、ひし形にアレンジされることがとても多いです。ひし形自体が人気のデザインだったのかもしれません。
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三盛り木瓜
木瓜紋が三つ重なったデザインの家紋です。
これは、室町幕府を開いた足利将軍家と深い縁のある「朝倉家」が使用していた家紋で、源頼朝より下賜されたものと言われています。織田信長は朝倉氏と縁があったため(のちに敵対し、朝倉家は滅亡)、織田木瓜は朝倉家からきたものではないか?という説もあるそう。
剣木瓜
戦国時代には、武士の象徴である「刀」と家紋を組み合わせた家紋が多くみられました。「剣木瓜」もそのひとつ。
木瓜紋の間に見える、尖ったものが「剣」です。
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面白い木瓜紋
木瓜形
木瓜紋の縁取りだけを残した家紋。
縁取りだけなので「あれ?中身は?」と思ってしまいそうですね。言われないと木瓜紋とは解らないという意味で、ユニークな家紋です。
五つ木瓜胡蝶
昔から、「蝶」の美しさと優雅さは人々を虜にしてきたと言います。
そのためか、家紋の図案を蝶に変化させたものがあちこちに見られます。「蝶」は平氏の象徴でもあったそうなので、それも関係しているのかもしれません。これは、木瓜紋を蝶の形に変化させた美しい家紋です。
三つ割り木瓜崩し
こちらも、一見すると木瓜紋とは解らないデザインの家紋。
木瓜紋を使っていた戦国武将・有名人
織田信長
木瓜紋と言ったら、真っ先に名前が挙がるのは織田信長です。
天下統一を目前にして「本能寺の変」で明智光秀に討たれたことはあまりにも有名。歴史を調べてみると、信長が死んでしまったことが時代に大きく影響したのが良く解ります。冷酷なイメージが強い信長ですが、家臣の秀吉の妻・ねねと手紙のやりとりをしたり、上京する途中にあった村の障害者に目をかけ、村の者に布20反を渡して「金に換えて家を建ててやるように」と命じたり、優しいふるまいもしています。
言われてみれば、もともとは農民という低い身分だった秀吉に目をかけ、身分を与えて部下をつけたのも信長でした。
信長は母親から良く思われておらず、それに反抗してか街で同い年くらいの子供と遊ぶことも多かったようで、身分にとらわれずに相手を見る・手を差し伸べることができたのかもしれません。
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現在だと家紋は「一つの家庭に1つの家紋」というイメージですが、実は織田信長は7つ家紋をもっていました。
織田木瓜 | 菊紋 | 揚羽蝶 | 永楽通宝銭 |
五三桐 | 二つ引両紋 | 無の字 |
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直江兼続
「直江状」で有名な直江兼続。
「愛」の文字が入った兜をかぶっていたことでも有名です。大河ドラマ「天地人」はこの直江兼続が主人公でした。
上杉家に仕えていた忠臣ですが、秀吉が亡くなった後に謀反を疑った家康からの手紙に「直江状」と呼ばれるとんでもない返事を書いたことはあまりにも有名。これに家康は大激怒し、関ヶ原の戦いを決意したと言われるほどです。
直江状の内容がどんなだったかというと、「上杉家は武器を集めてるみたいだけど、謀反を考えているとしか思えないよ?」という家康に対し「皆さんが茶器を集めるのが趣味なように、うちは武器を集めてるだけです」という具合。これでは家康も怒りますね…。
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朝倉義景
室町幕府の将軍・足利家に縁のあった朝倉家の大名です。
義景の「義」の文字は、13代将軍・足利義輝からもらったもの。
その義輝が暗殺され、弟の義昭が将軍になるために京都に行くと決めた時、真っ先に頼りにされたのが朝倉義景でした。しかし、義景は義昭を大事にもてなしても後ろ盾にならなかったため、義昭は朝倉家の家臣・明智光秀を通して織田信長を頼ることになります。ここから、信長が一気に力を持ち始めるのです。
義昭が将軍になったのち、あいさつのために上京を命じられても断り、これに怒った信長に滅ぼされてしまいました。ちなみに、朝倉家と一緒に信長と戦ったのが浅井長政。信長の妹・お市の旦那さんです。
家紋は三つ盛木瓜紋。
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滝川一益
「織田四天王」と言われる、織田信長の重臣の一人。
四天王は、柴田勝家・丹波長秀・明智光秀・滝川一益。信長が行った戦のほぼすべてに参加しており、かなり信用された家臣であったことが解ります。
信長の死後に、秀吉と対立した勝家の味方になったことから大名の座を奪われますが、のちに秀吉に赦されています。家紋は丸に縦木瓜紋。
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武将以外の有名人
沖田総司
幕末に京都で活躍した「新選組」の一番組長。
局長・近藤勇と副長・土方歳三が江戸にいたころからの知り合いで、近藤が開いていた道場の門人でもありました。新選組随一の剣の腕前をもち、近藤らを助けますが、のちに「労咳」という肺の病を発病。
近藤が板橋で捕らえられたことを知らされないまま、26歳で亡くなりました。
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三船敏郎
「羅生門」「七人の侍」など、数々の名作に出演した名俳優。
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