小谷城の戦い|家紋で見る合戦シリーズvol.9

織田信長との同盟を破棄し、朝倉義景のために挙兵した浅井長政。ところが、朝倉義景は織田信長に敗れて命を落としてしまいます。そして、信長はさらに浅井長政を滅ぼすために小谷城へ向かいました。これが「小谷城の戦い」です。

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1分で分かる小谷城の戦い

織田信長軍 朝倉義景軍
織田信長について織田信長 朝倉義景
  1. 朝倉義景が織田信長に敗れる

    ことの発端は、朝倉義景と織田信長の間で戦が勃発したこと。恩のある朝倉家を守るために、浅井長政は信長との同盟を破棄して信長を攻めます。この戦いで、織田信長は浅井長政の裏切りを予期しておらず、撤退を余儀なくされました。怒った信長は、徳川家康と手を組んで朝倉・浅井家と戦に。これが「姉川の戦い」と呼ばれる戦で、ここでは織田・徳川軍が勝利しました。この戦で両軍は多くの家臣を失い、浅井軍はそのダメージを立て直すことができませんでした。そして、とうとう朝倉義景が信長に敗れます。
  2. 朝倉義景を破った信長は、浅井長政を攻めた

    朝倉義景に勝った信長は、裏切った浅井長政を攻撃するために「小谷城」を攻めます。小谷城は攻めにくい城でしたが、信長の家臣・木下秀吉(のちの豊臣秀吉)が攻め、劣勢に。
  3. 負けを覚悟した長政は、信長のもとへお市と三姉妹を届ける

    「もはやこれまで」と覚悟した長政は、自身の妻であり信長の妹であるお市と三姉妹を信長のもとへ返します。そして、自身は自害でこの世を去るのでした。

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信長、浅井長政倒しへ

姉川の戦いから3年後

「姉川の戦い」から三年。織田信長は「一乗谷の戦い」で朝倉義景を滅ぼし、その勢いのまま浅井長政がいる「小谷城(滋賀県)」に向かいました。

・織田木瓜

織田信長が使用していたのは「織田木瓜紋」。木瓜紋は日本10大家紋と言われるほど多く使用されていますが、中でも「織田木瓜」は使用している家が非常に多く、かなり有名な家紋のひとつ。「織田木瓜」は、織田信長が使用していることから知名度が高く、戦国武将の家紋の中でも特に良く知られている家紋のひとつです。

織田軍(戦力約2,000)
織田信長について織田信長 「今川義元」の画像検索結果今川義元
odamoko織田木瓜 038足利二つ引き

 

秀吉の攻撃に崩される小谷城

小谷城は「本丸」「小丸」など陣を張ることができる場所がたくさんあり、とても攻めにくいお城でした。

しかし、そこを破ったのが秀吉。秀吉の攻撃によって城の中の陣地同士で連絡を取ることができなくなり、浅井長政の軍は追い込まれていきます。

やがて本丸は織田信長に囲まれ、長政は絶体絶命の危機に。

 

小谷城の戦いで負けを覚悟した浅井長政

もはや信長に勝つことは不可能と考えた長政は、信長の妹であり自身の妻でもあるお市の方と、娘三人を信長のもとへ戻します。※お市の方には男児もいたとされていますが、現在の研究ではお市の方の子ではないとされているようです。お市の方と長政は非常に仲のいい夫婦だったため、信長のもとに戻ったお市は「長政の命を助けてほしい」と頼んだそうで、信長も「城を明け渡すこと、家臣になること」を条件に助けようとしたそうですが、長政はそれを受け入れることなく自害。これにより、浅井家は滅亡となりました。

後世に語り継がれる浅井三姉妹

長女:茶々(淀殿)

浅井長政とお市の方の間に生まれた三姉妹は、「浅井三姉妹」と呼ばれ、現在でも非常に有名です。戻ってきたお市と三姉妹を信長は丁重に迎え、自分の許可のもと豊かな生活をさせていました。長女の茶々は後に豊臣秀吉の側室となり、跡取りの豊臣秀頼を生んだため、特別に名前を知られていますね。「淀殿」とも呼ばれており、こちらの名前は誰もが一度は聞いたことがあるはずです。秀吉の正室・寧々には子供がなかったため、跡取りを生んだ茶々の立場は非常に強いものでした。秀吉が亡くなったあとは、豊臣家の実権を握って政治も手掛けています。「関ヶ原の戦い」以降に力を強めた徳川家康と対立し、最期は家康と豊臣の「大阪夏の陣」で自害しています。彼女が三姉妹の中でもっとも注目されるのは、父・長政も母・お市も秀吉との戦で死んだにも関わらず、秀吉のもとに嫁いでいるからでしょう。そのためか、悪女として描かれることもしばしば。

次女:初(常高院)

京極家の京極高次という武将のもとへ嫁いでいます。この高次、実は浅井長政の姉の子なので、初は浅井家の縁者と結婚したことになります。また、京極家は名門と呼ばれる武家で、初は三姉妹の中ではいちばん格が上の家の嫁になったとも。ただ、当時の京極家は衰退していましたし、後の二人が強烈なのであまり「格上」という感じはしませんね…。夫の高次は「信長の娘を嫁にもらったから出世した」とやっかまれることもあったそうで、死してなお信長の存在は圧倒的であったことがわかります。

三女:江(崇源院)

末娘の江は、秀吉の姉の子であり、豊臣秀次の弟である羽柴秀勝に嫁ぎます。秀勝との間に子供を1人産みますが、秀勝はその後に亡くなり、江は徳川家康の子・徳川秀忠のもとへと再度嫁ぎました。秀忠は家康の跡を継いで徳川二代目将軍となり、三代将軍家光を生んでいるため、時を超えて織田の血が天下をとったと考えることもできますね。

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まとめ

浅井長政はこの戦いで亡くなり、浅井家はここで滅亡します。その妻であったお市の方も、再婚した夫の柴田勝家が秀吉に敗けたためにこの世を去り、あとには浅井三姉妹が遺されました。末娘が最初に嫁いだ秀勝との娘と、秀忠との間に生まれた娘(勝姫)の血筋は昭和天皇もつながっています。

 

 

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