【江戸幕府300藩】犬山藩の家紋は成瀬家の「丸に片喰」|尾張徳川家の重臣として維新立藩

愛知県に建てられている「犬山城」は、最古の天守を持つ城として国宝に認定されています。この犬山城を藩庁としていた藩が「犬山藩」でした。

長い間正式な藩とは認められず尾張徳川家の支配化にありましたが、維新立藩というものにより廃藩置県の3年前に正式に立藩しました。

今回は、「犬山藩」の歴代藩主とその歴史・使用家紋・国宝とされている犬山城についてご紹介いたします。

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犬山藩ってどんな藩だったの?

犬山藩の基礎情報

石高 3万5,000石
旧国 尾張(愛知県)
居城 犬山城(犬山市)
藩主 小笠原家~成瀬家の3家
家紋名 丸に片喰
江戸城控間 なし
城主
爵位 男爵

犬山藩の歴代藩主3家

小笠原家▶︎平岩家▶︎成瀬家

藩は3つの家によって支配されていました。

犬山藩の藩主の変移

  • 初代藩主……小笠原吉次 
  • 最後の藩主…成瀬正肥

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尾張徳川家の重臣として維新立藩した犬山藩

犬山藩は、尾張国(現在の愛知県犬山市)に存在し、藩庁を犬山城に置いていました。

犬山藩の維新立藩

犬山藩の正式な立藩は1868年の維新立藩によるもので、それまでは幕府の体制化だったため正式な藩とは認められていませんでした。維新立藩は1867年の大政奉還後に立藩した藩のことを言います。この時代に維新立藩した藩はいくつかあり、「維新後立藩」とも呼ばれていました。

犬山領の歴史

江戸時代初期に尾張に松平忠平が入り、弟の徳川義直が尾張藩を立てて以来、犬山領は代々の尾張藩附家老の所領とされており、実高4万石を保持し続けました。

小笠原家・平岩家ともにわずか1代で終わると、成瀬家が入封しその後9代にわたし支配し続けます。3代藩主・正親の時代には5,000石の加増があり、計3万5,000石を有する藩主となりました。

藩庁を犬山城に置き、城下町の整備と城の整備に尽力します。犬山城は最古の天守を持つ城として「国宝」とされています。

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犬山藩藩主・成瀬家の独立

成瀬家はあくまでも尾張藩の徳川家を補佐する重臣という立場だったため、成瀬家の歴代藩主の中には独立を試みた者もいましたが、いずれも失敗し、独立した大名になることはありませんでした。

ところが1868年1月、新政府の維新立藩により正式な犬山藩主となり、尾張徳川家から独立を果たします。やがて1871年に廃藩置県を迎えると犬山藩は廃藩、犬山県▶︎名古屋県▶︎愛知県と変遷したのでした。

国宝「犬山城」とは?

犬山藩が藩庁としていた犬山城は、最古の天守があることから現在は国宝にされています。犬山城は1537年に織田信長の叔父である織田信康によって建てられ、木曽川のほとりに建つ犬山城天守からの眺めは絶景と言われています。

犬山城の中は一般公開されており、大人550円・小・中学生110円で見学することができます。天気の良い日にはこのような景色を望むことができます。

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犬山藩の家紋は成瀬家の「丸に片喰」

片喰はカタバミ科の多年草で、道端などに生えている小さな葉の植物です。繁殖力や生命力の強さから「子孫繁栄」の意味を持ち、古くから公家や武家の家紋に用いられていました。 鎌倉時代には家紋として車に使用されていたことがわかっています。家紋への使用例が非常に多く、特に徳川時代に急増しました。江戸時代に家康が葵紋を使用したことで、葵紋は使用が禁じられましたが、その際に葵紋から片喰紋に切り替える者も多くいました。その当時、約160家が片喰紋を使用していたこともわかっています。 公家の使用者は冷泉家、大炊御門家、武家では酒井氏、森川氏、成瀬氏、宇喜多秀家、長宗我部氏などです。

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まとめ

犬山藩」は長い間正式な藩として認められていませんでしたが、維新立藩によりようやく正式な藩となり、長い間務めていた尾張徳川家の重臣から解放されたのでした。

藩庁は国宝にもされている犬山城で、とても威厳のある城です。愛知県に訪れる機会があれば是非見に行ってみてくださいね。

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