新選組の家紋を主要メンバー10人分まとめ解説!人物像・エピソード付き

「新選組」は水色の旗が特徴的な浪士隊で有名ですが、メンバーそれぞれの歴史と使用していた家紋について着目してみたいと思います。

みなさんは新選組の主要メンバーを何人ご存知ですか?今回は、詳しい歴史と共に新選組の10人の人物とその家紋についてご紹介いたします。

スポンサードリンク

改めて新選組の歴史を振り返ってみる

新選組はNHK大河ドラマにもなった幕末の武将たちの浪士隊です。どのような歴史があったのか、簡単に振り返ってみましょう。

京都の幕末で尊王攘夷運動の弾圧に活動した浪士隊

尊王攘夷とは、君主を尊び、外敵を斥けようとする思想です。その運動を弾圧すべく立ち上がったのが新選組でした。

新選組結成当初の局長は芹沢鴨でしたが、その後新選組で最も有名な近藤勇が局長となります。近藤勇は元々多摩(東京)で道場を開いてたのですが、浪士組の募集を見て参加し、土方らと一緒に京都へと向かったのです。

到着した近藤たちに対し幕府はすぐに江戸に戻るよう突き返しますが、近藤を筆頭にした13名はそのまま京に残ります。

スポンサードリンク

池田屋事件で有名となる

新選組が知られるきっかけとなったのが「池田屋事件」です。三条小橋の池田屋で会合をしているところを新選組が襲います。これによって新選組の知名度と共に評価が上がり、幕臣に取り立てられるまでになったのです。

戊辰戦争により終わる

様々な活動を試みてきた新選組ですが、1867年の大政奉還により幕府は完全に消滅し、それと共に新選組も終わりを迎えます。

局長である近藤勇は処刑され、その他のメンバーも散り散りとなってしまったのです。

スポンサードリンク

新選組の主要メンバー10人を解説

それでは、新選組の主要メンバーであった10人の歴史についてそれぞれ見ていきたいと思います。

それぞれ別途記事でまとめていますので、続きが気になる人物はリンク先に飛んでみてくださいね。

初代局長|芹沢鴨

初代「新選組」の局長・芹沢鴨の家紋「揚羽蝶」と生涯

京都の治安を守るために、市中見回りや取り締まりを実施していた新選組。その新選組の局長と言えば近藤勇が有名なのですが、実は新選組結成初期にはもう一人の局長がいました。それが「芹沢鴨」の存在です。

スポンサードリンク

局長|近藤勇

近藤勇の家紋「丸に三つ引き両紋」と生涯|斬首に散った新選組局長

近藤勇は、幕末の京都で不定浪士の取り締まりを行っていた新選組の局長です。もともとは東京・多摩の生まれで、「試衛館」という道場を開いていました。

武士になりたいという夢を持っていた近藤は、徳川家茂の警護をする浪士組の募集を見て参加し、土方らと一緒に京都へと向かいます。

副長|土方歳三

新選組副長・土方歳三の家紋【左三つ巴】と生涯を解説

非常に端正な男性としても知られる土方歳三は、近藤勇と共に京都へと向かいます。組の中でも整った容姿であったことから、新選組ファンの中には土方歳三推しが多数います。

参謀|伊東甲子太郎

伊東甲子太郎の家紋「庵木瓜」新選組参謀として活躍!弟子には藤堂平助 伊藤甲子太郎は土方歳三にも負けないほどの容姿を持ち、人望が豊かな人物であったとされています。しかし、新選組参謀になるも御陵衛士を結成し暗殺されてその生涯を終えることになってしまったのです。

スポンサードリンク

総長|山南敬助

山南敬助の家紋とは 山南敬助の家紋【丸に立ち葵】と生涯|新選組からの逃亡~そして切腹で果てた新選組隊士 山南は、新選組の局長・近藤勇が江戸で道場を開いていた時から知り合いだった隊士です。

近藤の人柄に惹かれるものがあり、以後近藤やその仲間たちと一緒に行動するようになりました。「浪士組」として近藤らが上京する際にも同行しています。

一番隊組長|沖田総司

沖田総司の家紋「丸に木瓜」と生涯に迫る -新選組きっての剣士で病で若くして倒れた隊士- 沖田総司は、幕末に京都で活躍した新選組の隊士として有名です。新選組隊士は現代でも非常に人気が高いですが、きっての知名度を持つのがこの沖田総司です。非常に高い知名度の隊士でありながら、若くして肺の病に倒れ、病気と闘いながらの生涯となってしまいます。

二番隊組長|永倉新八

永倉新八の家紋「石持ちに松皮菱」と人物像-新選組二番隊隊士の生き残り-

新選組の二番隊組長として、さらには剣術の達人として知られている永倉新八は、非常に情が厚い男としても有名です。

新政府軍に追いやられる新選組の内情を何でもとりまとめた上、後世に当時の新選組の状況を「新選組顛末記」でまとめている人物でもあります。

スポンサードリンク

三番隊組長|斉藤一

斎藤一の家紋「丸に九枚笹」と生涯|沖田総司と並ぶ新選組の剣の使い手

斎藤一は、新選組の中で「三番隊組長」として活躍した人物です。二番隊組長であった永倉新八と共に幕末以降も生存した隊士の一人ですが、口述や文書を遺した新八と違い、彼は新選組につながることはほとんど語らなかったと言います。

それだけに謎が多い人物でしたが、近年の研究から少しずつ彼の人生が紐解かれてきました。

八番隊組長|藤堂平助

家紋 藤堂平助の家紋「蔦紋」と生涯|伊東甲子太郎の弟子で新選組を離脱した隊士

藤堂平助は八番隊組長として活躍しました。江戸にいた近藤勇と一緒「浪士組」として上京した後、新選組を結成し近藤に忠誠を尽くしますが、途中で合流した「伊東甲子太郎」と共に新選組を抜け「御陵護士」になります。

しかし、伊藤と新選組の関係が悪化すると、新選組は伊東を暗殺。その遺体をとりに来た他の隊士たちも殺害し、その中に平助もいました。

九番隊組長|原田左之助

家紋 原田左之助の家紋「丸に一つ引き」と生涯|新選組十番隊隊長で「靖兵隊」「彰義隊」に加わった剣客

原田左之助と言えば、新選組の十番隊組長として有名な隊士です。近藤勇が多摩で道場を開いていたころからの知り合いで、近藤らが「浪士組」の一員となって上京する時も一緒でした。

その後、新選組で十番隊組長として近藤・土方を大いに支えました。しかし、新選組とは関係ないところで命を落としてしまうのです。

スポンサードリンク

新選組の主要メンバー10人の家紋をまとめてチェック

上記でご紹介した新選組主要メンバーの家紋の一覧表です。それぞれ重なることなく、各々の家紋を使用していました。

家紋揚羽蝶 家紋丸に三つ引き両紋 家紋左三つ巴
芹沢鴨 近藤勇 土方歳三
庵木瓜 家紋丸に立ち葵 家紋丸に木瓜
伊東甲子太郎 山南敬助 沖田総司
nagakura4石持ちに松皮菱 家紋丸に九枚笹 家紋蔦紋
永倉新八 斉藤一 藤堂平助
家紋丸に一つ引き
原田左之助    

スポンサードリンク

まとめ

新選組の主要メンバーであった10人の歴史と家紋についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?

これまで新選組ファンだった方もそうでない方も、その歴史と家紋に興味を持っていただけたら幸いです。

別途の記事ではさらに詳しくご紹介していますので、是非リンクから飛んでそれぞれの活躍ぶりを確認してみてくださいね。

スポンサードリンク