【江戸幕府300藩】岡部藩の家紋は安部家の「丸に梶の葉・丸に立ち梶の葉」|上洛に伴い移転・後に「半原藩」に

埼玉県には「岡部藩」という藩がありました。現在の深谷市にあたる場所に存在していた藩ですが、小さいながらも安定的で安部家が13代にわたし支配し続けた藩です。最終的には拠点を愛知県に移すことになった岡部藩は、藩名を変えて存続しました。

今回は、「岡部藩」の歴代藩主とその歴史・使用家紋・藩名を変えることとなった事情などについてご紹介いたします。

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岡部藩ってどんな藩だったの?

岡部陣屋跡 引用:wikipedia

岡部藩の基礎情報

石高 2万石
旧国 武蔵(埼玉県)
居城 岡部陣屋(深谷市)
藩主 安部家
家紋名 丸に梶の葉・丸に立ち梶の葉
江戸城控間 菊間広縁
陣屋
爵位 子爵

岡部藩の歴代藩主

▶︎安部家のみ◀︎

岡部藩は、13代にわたり安部家に支配され続けていました。

岡部藩の藩主の変移

  • 初代藩主……安部信盛 
  • 最後の藩主…安部信発

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安部家が13代にわたり支配し最後は「半原藩」となった岡部藩

安部信発 引用:wikipedia

岡部藩は、武蔵国榛沢郡岡部(現在の埼玉県深谷市)に存在し、藩庁を岡部陣屋に置いていました。安部家が13代にわたり支配し続けた安定的な藩で、最終的には「半原藩」と藩名を変えて移転することとなります。

岡部藩立藩の歴史

岡部藩を立藩する最初の藩主となったのは、譜代のあや術信盛です。信盛は大坂の陣や関ヶ原の戦いで功績を挙げ、大番頭や大坂定番などに出世し、諸侯に列したため岡部藩を立藩しました。

その後13代にわたり安部家が支配し続けることになりますが、歴代藩主の多くは加番や大坂定番を務めており、小藩ながらとても安定的な藩政でした。

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天狗党の乱での功績

順調に支配していた岡部藩の安部家は、最終藩主・信発の時代に天狗党の乱が巻き起こりました。領内の突破を試みた天狗党と交戦した結果、天狗党を敗退させる功績を挙げています。

信発は勅命に従う形で上洛(:京都に入ること)し、新政府側に恭順を誓いました。その後は信発が拠点を三河原藩(現在の愛知県新庄市)に移すことを嘆願し、その希望が通ります。安部家は藩名を変え、「半原(はんばら)藩」として存続しました。藩庁であった岡部陣屋は廃止となりました。しかし、半原藩となってからわずか3年で廃藩置県を迎えました。

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岡部藩の家紋は安部家の「丸に梶の葉・丸に立ち梶の葉」

梶はクワ科の落葉樹で、古代から葉や皮は主に神事の際に食材を盛る器として使用されていました。そのことから神官の衣服の文様として梶の葉が用いられるようになり、その後家紋としても使用されました。 梶紋は諏訪神社の神紋でもあり、諏訪神社の神官一族や諏訪神社を信仰する信州や甲斐、越後の武士や豪族によって全国各地に広まりました。また、諏訪神社の出である梶氏や神氏などの間でも用いられました。 ほかに信濃の安部氏、平戸藩の松浦氏などが使用家です。梶紋は丸に立ち梶の葉や、葉の中が真っ白な中影立ち梶の葉、5枚の梶の葉を使った五つ梶の葉車、輪の中に小さな梶を入れた毛輪に豆梶の葉などがあり、種類は豊富です。

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まとめ

岡部藩」は小さいながらも安定した藩政で、安部家が13代にわたり支配し続けた藩でした。天狗党の乱でも功績を挙げるなど、いくつかの戦功もありました。

最終的には上洛に伴い「半原藩」として廃藩置県まで存続したので、藩主としての行いがとても上手かったのでしょう。埼玉県には他にも幾つかの藩が存在していましたので、是非チェックしてみてくださいね。

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