現在の茨城県には複数の藩がありましたが、その中に「古河藩」という藩がありました。特徴としては11もの家が藩主を務めたこと、幕政の重役が藩主に配されることが多かったことです。
古河藩はどのような歴史があるか、今回は「古河藩」の歴代藩主とその特徴・使用家紋などについてご紹介いたします。
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目次
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古河藩ってどんな藩だったの?
古河藩の基礎情報
石高 | 8万石 |
旧国 | 下総(茨城県) |
居城 | 古河城(古河市) |
藩主 | 松平(戸田)家~土井家の11家 |
家紋名 | 六つ水車・六つ槌車・六つ柄杓車 |
江戸城控間 | 雁間 |
格 | 城主 |
爵位 | 子爵 |
古河藩の歴代藩主11家
古河家の藩主は計11の家によって統治されていきました。藩によっては1つの家が代々統治し続けるものもあるので、11家というのは非常に多いことがわかります。
古河藩の藩主の変移
- 初代藩主……松平康長
- 最後の藩主…土屋利与
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幕政の重役が配された古河藩
古河藩は、下総国葛飾郡(現在の茨城県古河市)に存在した藩で、藩庁を古河城に置いていました。藩主は11もの家が代わる代わる変わっていきましたが、その中でも古河藩の繁栄に尽力し結果を残したのは2度にわたり藩主となった土井家です。どのようなことをしたのか見てみましょう。
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幕政の重要人物が配された古河藩
古河藩は大老を務めた堀田正俊や、秀忠の懐刀として活躍した土井利勝など、幕政の要職に就いた人物が配されたことで知られる藩でした。また、江戸と日光を繋ぐ奥州街道の重要地点に位置していたため、藩主には譜代大名も多くいました。
土井家の古河藩統治への尽力
11もの家が藩主として変遷していった古河藩ですが、その中で2度藩主に入封した土井家があります。2度目は明治維新までの間7代にわたり統治し続けた土井家ですが、1度目の入封の際から藩の礎を築こうと尽力しています。
1度目に入封した際は、利勝が家臣団の編成や産学の奨励など、そこから明治維新まで続く藩の基盤を形成しました。また、2期目では藩校である盈科堂(えいかどう)を移設し、文武の振興に努めました。
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古河藩の家紋は土井家の「六つ水車・六つ槌車・六つ柄杓車」
車紋は牛車の車輪をかたどったもので、牛舎は平安貴族の乗り物でもあったため「栄華の象徴」ともされていました。 家紋として用いられるようになったのは鎌倉時代で、幾何学的な美しさから人気がありました。 藤原秀郷流の佐藤氏族が家紋として使用したことをきっかけに全国に普及し、武家では柳原氏が使用しています。 江戸時代には車紋が「源氏車紋」や「車輪紋」と呼ばれていました。見て車輪とわかるようなデザインのものが多く、源氏車、榊原車、三つ割り重ね源氏車、陰源氏車などがあります。また、中には車輪全体を描いたものではなく、半分だけの生駒車という珍しいものも存在しています。
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まとめ
「古河藩」の藩主には、幕政の重役となっていた人物が配されたことが特徴でした。歴代藩主の家は11に及び、あまり安定した藩ではありませんでしたが、その中でも土井家は2期にわたる入封で藩を繁栄させようと最も努力した家でしたね。
このように多数の家々が代わる代わる藩主となった藩は他にもありますので、是非他の藩についてもチェックしてみてくださいね。
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