現在の木更津市に位置する場所に、「請西藩」という小さな藩がありました。約60年という短い期間のみ存在していた藩で、戊辰戦争により改易となった特徴があります。
今回は、「請西藩」の短い歴史と改易理由・使用家紋などについてご紹介いたします。
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目次
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請西藩ってどんな藩だったの?
請西藩の基礎情報
石高 | 万石 |
旧国 | 上総(千葉県) |
居城 | 請西陣屋(木更津市) |
藩主 | 林家 |
家紋名 | 丸の内三頭左巴下に一文字 |
江戸城控間 | 菊間広縁 |
格 | 陣屋 |
爵位 | 男爵 |
請西藩の歴代藩主
請西藩は、林家によって支配され続けていました。
請西藩の藩主の変移
- 初代藩主……林忠英
- 最後の藩主…林忠崇
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戊辰戦争で改易となった請西藩
請西藩は、上総国望陀郡請西村(現在の千葉県木更津市請西)に存在していた藩で、藩庁を請西陣屋に置いていました。戊辰戦争によって改易された唯一の藩です。
貝淵藩として立藩した請西藩
請西藩は、徳川家斉の小姓から若年寄にまで栄進した林忠英が加増を重ね、貝淵藩として立藩しました。1625年のことでした。
しかし、その後、忠旭の時代に藩庁を貝淵陣屋から請西陣屋に移し、請西藩と呼ばれるようになります。これまでの貝淵陣屋は、地方役所としてそのまま利用されました。
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3代藩主・林忠崇の脱藩
請西藩は、3代藩主を務めた忠崇が脱藩したことでも知られています。戊辰戦争の際、旧政府軍側につくことを決め自ら脱藩し、遊撃隊に加わったのです。そして忠崇が脱藩し出陣する際、藩庁となっていた請西陣屋を自焼しています。
請西藩の改易
忠崇が脱藩し旧政府側についたことや、それからの行動により新政府軍は怒りを覚え、1686年には請西藩が改易となります。そのため、林家は諸侯でありながら、大政奉還以降唯一華族に入れなかった一族となりました。戊辰戦争によって唯一改易された請西藩なのでした。
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請西藩の家紋は林家の「丸の内三頭左巴下に一文字」
字紋は文字そのものを紋にしたもので、「文字紋」と呼ばれることもあります。字を見ればどんな意味があるのかすぐにわかることや、信仰や縁起に関わるものとして人気の紋でした。 一や二などの漢数字が用いられることが多かったのですが、中には名字の一部を図案化したり、二文字用いて図案化するものもありました。 珍しい字紋には、縦に一番と描いた一番字、丸に南の字、丸に変形した林を入れた丸に林字、六文字用いた大一大万大吉などがあります。 稲葉氏は「隅切り角に角三」、北条氏は「隅立て折敷に二の字」、島津氏は「十の字」、村上氏と八代氏は「丸に上の字」を使用していました。
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まとめ
「請西藩」は貝淵藩として立藩した後、陣屋の移動と共にその土地名である請西藩と呼ばれるようになった藩でした。林家のみにより支配されていましたが、忠崇の脱藩という行動により改易となってしまった珍しい藩です。
戊辰戦争で唯一改易したという特徴があるので、小藩ではありますが是非覚えてみてくださいね。
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