【江戸幕府300藩】仙台藩の家紋は伊達家の「竹に雀」伊達政宗が築いた大外様

仙台といえば牛タンをイメージされる人が多いですよね。最近ではお笑い芸人のサンドウィッチマンなどの有名人もいます。

仙台藩で欠かせないのが伊達政宗。現代にも語り継がれる名戦国武将です。仙台では知らない人はいないんじゃないかと思います。そんな仙台が江戸時代にはどういう藩だったのかを見ていきましょう。

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仙台藩ってどんな藩だったの?

仙台藩の基礎情報




石高 62万石
旧国 陸奥(宮城県)
居城 仙台城(仙台市)
藩主 伊達家
家紋名 竹に雀
江戸城控間 大広間
国主
爵位 伯爵

仙台藩の藩主の変移

  1. 初代 伊達政宗
  2. 最後の藩主 伊達宗基

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伊達政宗が築いた東北最大の外様藩

伊達家の17代目にあたる政宗は、18歳で家督を継ぎ、積極的に領土拡大を進めました。会津の蘆名氏や奥州探題・大崎氏を討伐し、22歳の頃には伊達家の領土を最大にしました。

勢いづいた政宗は関東進出を図りますが、豊臣秀吉に領土を没収されてしまい失敗に終わります。

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関ケ原の戦いで領土を増やす

関ヶ原の戦いで更に領土を増やし、中心部にある青葉山に城を築きます。地名を千代から仙台に改め、仙台藩が誕生しました。

恵まれた土地と経済成長

その後、地震や大津波により大きな被害を受けるも、政宗の手腕で力強く復活。同時に防災や経済の活性化にも繋がりました。

政宗没後も経済成長を続ける仙台藩

政宗没後も仙台藩は広大な土地を活かし、米や海産物等の輸出により経済の成長を遂げました。一方で、仙台藩はお家問題を抱えていました。 分家の宇和島藩を中心に幕府を巻き込む大騒動となり、なんと40年以上も続きました。

幕末には、財政難などに苦しみつつも踏ん張り続けた仙台藩でしたが、戊辰戦争では奥羽越列藩同盟を結成するも敗退。表高62万石から28万石まで削られてしまいました。

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仙台藩の家紋は伊達家の「竹に雀」

この家紋は「仙台笹」とも呼ばれています。由来は、伊達政宗の大叔父にあたる「伊達実元」という人物が、越後の上杉定実の養子になる時に、婿に対する引き出物としてこの家紋を譲り受けたことです。

結果的に養子の話はなくなってしまいましたが、その後も家紋は伊達家で大切に使用されました。

この家紋は、ゲーム「戦国BASARA」でも使用されるなど、かなり多くの場所で使われているので「伊達政宗の象徴」とも言える家紋と言っていいでしょう。

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まとめ

現代でも仙台では伊達家の名残が数多くあります。伊達家の末裔というだけで地元では特別扱いをされるのだとか。

家紋に関しても8つも使った戦国武将は伊達政宗のみかとおもいますし、そこからだけでもとてつもない勢力をもった人物だということが伺えます。

伊達政宗以外にもたくさんの戦国武将がいますので是非、下の画像からクリックして詳しく学んでいってくださいね!

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