【江戸幕府300藩】大田原藩の家紋は大田原家の「大関朧月」|那須七党の有力豪族・大田原家が支配

那須七党」という歴史上の言葉をご存知でしょうか?七つの家の総称で、主に室町時代から戦国時代にかけて活躍した家々です。その中に「大田原家」があり、14代にわたり「大田原藩」を支配していました。

どのような歴史があったのか、「大田原藩」の歴代藩主とその歴史的出来事・使用家紋などについてご紹介いたします。

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大田原藩ってどんな藩だったの?

大田原城跡 引用:wikipedia

大田藩の基礎情報

石高 1万1,000石
旧国 下野(栃木県)
居城 大田原城(大田原市)
藩主 大田原家
家紋名 大関朧月
江戸城控間 柳間
城主
爵位 子爵

大田原藩の歴代藩主

▶︎大田原家のみ◀︎

大田原藩は、14代にわたり大田原家に支配され続けていました。

藩の藩主の変移

  • 初代藩主……大田原晴清 
  • 最後の藩主…大田原一清

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那須七党の有力豪族・大田原家による支配

大田原一清 引用:wikipedia

大田原藩は、下野国那須郡(現在の栃木県大田原市)に存在し、藩庁を大田原城に置いていました。藩主・大田原家は那須七党の一つにも数えられる有力な豪族です。どのような歴史があったのか早速見てみましょう。

大田原藩の藩主は那須七党の一つ

大田原藩は代々14代にわたり大田原家によって支配され続けたのですが、大田原家は那須七党の一つに数えられる北関東の有力豪族でした。

初代藩主となった大田原晴清は、関ヶ原の戦いで東軍に良与して下野国小山に参じ、戻ると会津の西陣である上杉家に備えました。この戦功が讃えられて徳川家康から5,000石を加増され、1万2,000石の大名となりました。

那須七党の一つに「黒羽藩」を支配した「大関家」があり、この黒羽藩と同じく、戊辰戦争の際には新政府側に与することになります。黒羽藩に関しての詳しい情報は、下記の記事でチェックしてみましょう。

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歴代藩主の幕政への取り組みと幕末

大田原藩の藩主は全14代です。3代目・高清は弟の為清に1,000石を分与し、この時から幕末まで大田原藩は1万1,000石の領地となりました。また、12代目・広清は藩校「時習館」を設立します。藩校は、諸藩が藩士の子弟を教育するために設立した学校です。

最終藩主・一清の時代に戊辰戦争が起こったのですが、大田原藩の立地と新政府側に与したことから、東北諸藩の標的とされてしまいます。特に会津藩からの攻撃が酷く、1868年に起きた侵略では城下町と藩庁である大田原城を焼失しました。大田原藩に猛攻撃を仕掛けた会津藩についての詳細情報は、下記の記事でチェックしてみましょう!

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廃藩置県を迎えた大田原藩

藩庁の大田原城を始め城下町を会津藩の攻撃により失った大田原藩は、そのまま1871年の廃藩置県を迎え、大田原県▶︎宇都宮県▶︎栃木県へと変遷していったのでした。

大田原藩の家紋は大田原家の「大関朧月」

月は古くから親しまれた自然神で、平安時代の竹取物語でも登場する馴染みある存在です。 戦国時代の伊達政宗など武将も月を信仰し、信仰心が元となり家紋に用いられるようになったと言われています。 月紋は有名で、浄土宗の宗紋にも使用されています。月は形を変えますが、家紋も同じように三日月や満月など大きさは様々です。 月だけをモチーフにした半月、月輪、陰月、三日月や、他のモチーフと組み合わせた月に兎、月に雲、月落ち桜、半月に雲、波に月に兎などアレンジは豊富で、家紋の中では意匠が美しいものとされています。 使用者には佐竹氏、丹治氏、中山氏、黒田氏、天野氏、岩城氏、渡辺氏などがあります。

詳しくはこの記事をチェック!

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まとめ

大田原藩」は那須七党の一つに数えられる有力豪族で、14代にわたり大田原藩を支配し続けました。最終的には東北の諸藩から標的とされてしまい、会津藩による攻撃で城下町・藩庁共に失ってしまいましたが、なんとか明治維新まで存続したのでした。

文中に登場した会津藩や黒羽藩についても別途詳しくまとめていますので、是非あわせてチェックしてみてくださいね。

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