【江戸幕府300藩】高岡藩の家紋は井上家の「井上鷹の羽」|キリシタン弾圧など功績あげた初代藩主

現代の日本では信仰する宗教は自由ですが、江戸時代ではキリスト教を信仰することは法で禁じられていました。「キリシタン弾圧」という言葉がありますが、「高岡藩」の初代藩主は弾圧に尽力し鎖国体制を確立した人物の一人です。

今回は、「高岡藩」で功績を挙げた初代藩主や歴代藩主の歴史・使用家紋などについてご紹介いたします。

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高岡藩ってどんな藩だったの?

高岡藩の基礎情報

石高 1万石
旧国 下総(千葉県)
居城 高岡陣屋(成田市)
藩主 井上家
家紋名 井上鷹の羽
江戸城控間 菊間広縁
陣屋
爵位 子爵

高岡藩の歴代藩主

▶︎井上家のみ◀︎

高岡藩は、11代にわたり井上家に支配され続けていました。

高岡藩の藩主の変移

  • 初代藩主……井上政重
  • 最後の藩主…井上正順

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キリシタン弾圧に尽力した高岡藩初代藩主

高岡藩は、下総国高岡村(現在の千葉県成田市)に存在していた藩で、藩庁を高岡陣屋に置いていました。

功績として高岡藩立藩

高岡藩の初代藩主は、尾上政重です。大坂の役や島原の乱の鎮圧など功績を挙げたことで、6,000石から1万石に加増される形で立藩しました。

しかしすぐに陣屋が設立されることはなく、参覲交代せず江戸に定府していました。高岡藩は以後ずっと維新までの間井上家によって支配され続けます。

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キリシタン弾圧に尽力した井上政重

政重は藩主として特にキリシタン弾圧に力を入れていました。取り締まりのために宗教政策の一つである宗門改役を設置し、日本国内唯一の貿易港であった長崎出島の交易制限を設けるなどして、鎖国体制の確立に注力しました。

これらの功績により1643年には3,000石が加増され、加齢のため2代目・井上政清に藩主を譲り隠居します。

高岡陣屋の築城は3代目の時代

高岡藩の藩庁は「高岡陣屋」だったのですが、1代目・政重、2代目・政清の時代まで築かれることはありませんでした。3代目藩主の政蔽の時代にようやく陣屋が設置されます。

この時、高岡藩領は1万石でした。加増され立藩時より拡大していましたが、2代目・政清の時代に弟に1,000石と500石を分与したため1万石となっていました。

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廃藩置県を迎え千葉県に

その後井上家により11代支配し続け、廃藩置県を迎え高岡藩は高岡県を経て新治県に、やがて千葉県に編入となりました。

また、この時井上家は常陸国下妻藩の藩主でもありましたが、高岡藩同様廃藩置県を迎え、下妻藩は下妻県を経て茨城県に編入となりました。

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高岡藩の家紋は井上家の「井上鷹の羽」

鷹は、俊敏に飛び強さや威厳の象徴であることや、武器である矢の羽根として用いられたことから、鷹の羽紋は武家に好まれました。 また、古来から鷹狩りも行われており、その優美な印象から武家以外では公家でも用いられていた家紋です。公家の使用家に芝山家があります。 鷹の羽紋は動物紋に分類されますが、たいていの動物紋は姿全体を描いたものが多いため、鷹の羽のみをモチーフにしたこの紋は珍しいものでもありました。 鷹の羽紋の誕生は、後醍醐天皇の皇子にあたる菊池武光が用いたことと言われています。そして関ヶ原の戦いで石田三成と親しい戦国武将の大谷吉継が鷹の羽紋を用いたことをきっかけに大きく広がりました。

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まとめ

高岡藩」は初代藩主の井上政重によって長い間統治され、キリシタン弾圧などの功績も挙げていたりと、初代で藩の基礎が築かれていました。

藩によっては家がころころと変わる藩もあるので、立藩から廃藩置県まで井上家によって支配され続けたのはとても安定的だったと言えます。

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