【江戸幕府300藩】壬生藩の家紋は鳥居家の「鳥居笹」|壬生城は徳川将軍の日光参内の宿舎にも

海苔巻きなどに使用されている「干瓢(かんぴょう)」のほとんどは、栃木県で生産されていることをご存知ですか?国内生産8〜9割を誇る栃木県の干瓢の始まりは、「壬生藩」という藩の藩主・三浦家でした。

今回は、「壬生藩」の歴代藩主とその歴史・使用家紋などについてご紹介いたします。

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壬生藩ってどんな藩だったの?

壬生藩の基礎情報

石高 3万石
旧国 下野(栃木県)
居城 壬生城(壬生町)
藩主 日根野家~鳥居家の6家
家紋名 鳥居笹
江戸城控間 帝鑑間
城主
爵位 子爵

壬生藩の歴代藩主6家

日根野家▶︎阿部家▶︎三浦家▶︎松平(大河内)家▶︎加藤家▶︎鳥居家

壬生藩は6つの家によって支配されていました。

壬生藩の藩主の変移

  • 初代藩主……日根野吉明 
  • 最後の藩主…鳥居忠文

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複数の藩主により存続した壬生藩

壬生藩は、下野国都賀郡壬生(現在の栃木県下都賀郡壬生町)に存在し、藩庁を壬生城に置いていました。

元々は家康の次男が支配していた壬生の地

壬生藩の立藩は、日根野吉明が高島藩から移封してきたことに始まります。それまで当地は、家康の次男・結城秀康が支配していました。それが関ヶ原処分後に福井に転封となり、そのタイミングで日根野氏が入封し立藩しました。

吉明は日光東照宮造営への奉行として功績を挙げた後、豊後国府内藩に移封となります。

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複数の家が藩主を務めた壬生藩

その後壬生藩は、阿部家・三浦家・松平大河内家・加藤家へと藩主が相次いで変わります。それぞれ1代・3代・1代・2代と続くことなく短い期間でしたが、三浦家の時代には検地などを行い藩の基礎を固め、干瓢の栽培で殖産興業を推進して財政を潤しました

また、松平大河内家時代には、藩庁である壬生城の大改修を行うなど、幕政の向上に尽力しました。

最終藩主・鳥居家により幕政は確立

壬生藩の最終藩主は鳥居家です。それまでの藩主は長くて3代でしたが、鳥居家になると8代にわたり支配し続けます。

鳥居家の初代藩主・忠直は、三浦家時代から力を入れていた干瓢の栽培に注力し、干瓢国内生産80%を誇る栃木県の礎を築きました。また、藩校・学習館も設立して壬生藩は安定的な藩となります。

しかし、戊辰戦争時には尊皇攘夷をめぐり争いが勃発し、江戸家老の鳥居志摩は自殺する事態に追い込まれます。最終的に壬生藩は新政府軍に与し、幕府軍と戦うこととなります。

やがて廃藩置県となると壬生藩は壬生県に、その後栃木県へ編入となったのでした。



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壬生藩の家紋は鳥居家の「鳥居笹」

笹は、縁起が良く神事に使われることの多い植物でした。地鎮祭や七夕がその例です。文様としては源氏物語の絵巻物などで古くから用いられてきましたが、家紋として用いられるようになったのは室町時代以降です。 はじめは公家の家紋となり、積雪にも耐える強い植物の象徴として家紋に採用する家が増えました。中でも有名なのは上杉家の「竹に雀」や上杉家から贈られた紋を少し変化させた「仙台笹」です。今でも馴染みあるものとして、笹型をした仙台名物の笹かまぼこは、この家紋を由来に誕生しました。 他の使用家には、武家では伊達氏、鳥居氏、竹中半兵衛、公家では冷泉家などがあります。

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まとめ

壬生藩」は最終藩主の鳥居家によって廃藩置県まで存続しましたが、特に干瓢の殖産業に力を入れて幕政を潤したのでした。

現在の栃木県であった下野国には他にも多数藩がありますので、是非チェックしてみてくださいね。

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