【江戸幕府300藩】米沢藩の家紋は「丸に二羽飛び雀」苦難続きの上杉家と仙台藩との繋がり

米沢藩とは?

米沢といえば米沢牛をイメージされる人が多いのではないでしょうか。米沢市は山形県の最南端にあります。米沢盆地が広がり、冬はとても寒く、特別豪雪地帯に指定されているほどです。

実は、仙台の初代藩主である伊達政宗の始まりの地でもあるんですよ。

米沢藩で欠かせないのが上杉家。

中でも、上杉謙信を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。川中島の戦いで武田信玄と5回も戦ったのは有名です。

そんな米沢が江戸時代にはどういう藩だったのか見ていきましょう。

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米沢藩の基本情報

石高 15万石
旧国 出羽(山形県)
居城 米沢城(米沢市)
藩主 上杉家
家紋名 丸に二羽飛び雀
江戸城控間 大広間
国主
爵位 伯爵
藩主の変移

初代 上杉景勝

最後の藩主 上杉茂憲

120万石から30万石になった上杉氏

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引用:http://barrierfree.yamagatakanko.com

(写真は米沢城跡にある上杉神社。)

米沢の初代藩主、上杉景勝は豊臣政権で5大老の一角を担っていました。その当時は、会津藩で120万石を所有していました。

家康を倒すべく、関ヶ原の戦いで石田三成らの西軍につきましたが、敗北。その後、1601年(慶長6年)に石高を30万石に減らされ、米沢に移されました。

米沢城には直江兼続がいましたが、景勝に譲ることになります。

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まさに「武士は食わねど高楊枝」の生活

「武士は食わねど高楊枝」とは、武士はたとえ貧しく食事に困っていても、食べた後かのようにゆうゆうと爪楊枝を使う。という意味です。そこには武士の美徳が表れています。

3代藩主、綱勝の急死

景勝はたくさんの家臣団をひきつれて米沢城に入ったため、藩財政にとても苦しみました。

さらに3代藩主の綱勝の急死により、事態は悪化。

後継がいない状況になり、上杉家がなくなってもおかしくない危機にさらされました。

そこで保科正之が力を注ぎ、なんとか上杉家の断絶は回避します。

一方で、石高は30万石から15万石に半減してしまいました。

問題はそれだけではありません。6千人からなる家臣団は整理されずそのまま残ったのです。

米沢藩はさらに苦しくなっていきます。

上杉治憲(鷹山)が立て直す

8代藩主の重定の頃には、財政は限界にきていました。

幕府への領地返上を考えるほど、状況は深刻化していたのです。

そこで立ち上がったのが、治憲(鷹山)です。この時わずか17歳。

自らが率先し、衣食住を質素にするなどして藩財政を持ち直しました。戊辰戦争が始まると、上杉家のゆかりの地である新潟の奪回を試みるも、失敗に終わります。

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米沢藩の家紋「丸に二羽飛び雀」を解説

米沢藩の家紋は「丸に二羽飛び雀」です。

丸は竹の形を指し、この家紋は「上杉笹」とも呼ばれています。

竹のまっすぐ育つ姿から、美しさやたくましさを意味することで好まれていました。

似た家紋に伊達家の「竹に雀」があります。

「仙台笹」と言われたりもしますね。

これは伊達政宗の大叔父になる伊達実元が、越後の上杉定家に養子に入る時に譲り受けたとされています。

さらに上杉家は、天皇から「五七桐」の家紋を授かっています。桐紋のなかで最上位の家紋です。

日本政府の家紋として現在も使われているんですよ。

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