[歌舞伎]成田屋の家紋「三升」を解説!代表的な主な名跡・役者まとめ


十二代目 市川 團十郎さんです。

引用:http://www.naritaya.jp/

成田屋の由来

初代市川團十郎の父・堀越重蔵は成田山新勝寺(千葉県成田市)にほど近い地の出身で、新勝寺とは少なからず縁がありました。子に恵まれなかった初代團十郎が、この父由縁の成田山に子宝祈願をしたところ、見事翌元禄元年 (1688) に二代目團十郎を授かりました。この子は健常ですくすくと成長したので、初代團十郎はこれに報謝して元禄八年 (1695) 山村座で『成田不動明王山』を上演。これが大当りし、、舞台には銭10貫もの賽銭が投げこまれ、大向うからは「成田屋っ!」という掛け声が掛かりました。この件が成田屋の由来と言われています。

 

成田屋の主な名跡

市川團十郎、市川海老蔵、市川新之助、市川三升

 

十二代目 市川團十郎

1946年(昭和21年)8月6日 – 2013年(平成25年)2月3日。十一代目市川團十郎の長男として誕生。父が早世した後は自らの努力で芸を磨きます。スケールの大きい骨太な芸格が魅力。重厚な存在感と独特な愛嬌を併せ持っていました。市川宗家お家芸の歌舞伎十八番はもとより、荒事、世話物、義太夫狂言、新歌舞伎と多彩な役々を演じ分けておられました。円熟期を迎えて歌舞伎界の柱として期待されていたが、晩年には白血病を発症、健康に不安を抱え、治療を受けながら舞台を務めていました。

従兄弟に二代目松本白鸚、二代目中村吉右衛門、初代尾上辰之助がいます。

一方では小学生時代から天体観測を趣味としていたために、宇宙への関心が深く、『宇宙の渚』(日本放送協会)など、宇宙関連のテレビ番組や各種イベントへの出演も積極的に行っていたこともありました。そうしたことから若田光一や野口聡一など日本人宇宙飛行士とも親交がありました。生前には「おいおい時期を見て團十郎の名を倅に譲り、自分は隠居名を名乗る考えがある」ことを明かしていたといいます。その場合には2代目團十郎の俳名である「栢莚」を名乗るつもりでいたと考えられています。

 

十一代目 市川 海老蔵

1977年12月6日 -。本名は堀越 寶世(ほりこし たかとし)。旧名は堀越 孝俊(読み同じ)。愛称に「海老さま」、「海老ちゃん」がある。身長176cm、体重80kg。血液型はAB型。星座は射手座。

古典の大役に挑み、初役を多くつとめ、高い評価を得ています。「海老さま」と人気のあった十一代目市川團十郎に重ね合わせるファンもいます。現代の歌舞伎を担う若手スターの一人。また、NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』で主役をつとめたほか、現代劇にも挑戦しています。小林麻央(フリーアナウンサー、2017年死没)との間に二子あり。長女は四代目市川ぼたん。長男は堀越勸玄(八代目市川新之助を襲名予定)。2020年5月に十三代目 市川團十郎 白猿(じゅうさんだいめ いちかわ だんじゅうろう はくえん)を襲名予定。

10代の頃の海老蔵は幼少時から続く厳しい稽古と家柄・伝統の重責に耐え切れず反発を繰り返していたといいます。そんな彼を立ち直らせたのは、偶然フィルムで見た『勧進帳』の弁慶をつとめる祖父・十一代目市川團十郎の芸の美しさと勇姿に感動したからと語っています。祖父を目標に掲げているが、その理想を追うがゆえに苦しみ、現在も、もがき続けているといいます。以前は舞台に上がることが苦痛であったが、歌舞伎に真剣に打ち込むようになった今はプライベートの方が苦痛に感じるいいます。これが異様なことかと悩んで五代目坂東玉三郎に相談したところ、「あら、それは当たり前よ」と返され、安心したと述べています。また、坂東玉三郎とそういったことを共感できたことを嬉しく思ったとも語っています。

本格的な筋力トレーニングやヨガを行っており、雑誌『ターザン』などの表紙を飾ったこともあります。

成田屋のお家芸「歌舞伎十八番」のうち、今日ではあまり上演されなくなった演目の復活上演を積極的に行っています。

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成田屋の家紋


 

家紋:三升 読み方:みます

枡紋の一。三つの枡を入れ子にしたさまをかたどったもの。

初代團十郎が初舞台を踏んだとき、父の親友から三つの升を贈られ、それを記念にしたとも言われています。
また、別の説として、演目『遊女論』で演じて当たり役となった不破伴左衛門の衣装にあった稲妻の模様から転化させたとも言われています。

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