[歌舞伎]三河屋の家紋「縦長三升」を解説!代表的な主な名跡・役者まとめ


九代目 市川團蔵さんです。

引用:http://www.kabuki.ne.jp/

三河屋の主な名跡

市川團蔵

九代目 市川團蔵

1951年(昭和26年)5月29日 – 。東京生まれ。八代目市川團蔵外孫で、舞踊家の三世柏木衛門の子。昭和31年(1956)歌舞伎座『義経千本桜』の六代君で初代市川銀之助を名乗って初舞台。その後は二代目尾上松緑に師事し、立役として活躍します。昭和41年(1966)の祖父の引退興行では『書写山』の鬼若丸の型を伝授されます。昭和62年(1987)歌舞伎座『時今也桔梗旗揚』(馬盥の光秀)の武智光秀、『源平布引瀧』(実盛物語)瀬尾、『船弁慶』の弁慶で九代目市川團蔵を襲名します。中堅俳優として活躍。長男が二代目市川銀之助(三笠優)、次男が五代目市川茂々太郎。

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三河屋の家紋について


 

家紋:縦長三升 読み方:たてなが みます

初代市川団蔵は初代市川団十郎に可愛がられ、紋も市川家の三升を使っていました。ですが二代目団十郎とは仲が良くなかったようで、正徳5年(1715)11月に団蔵が森田屋で「早咲女島原」の荒獅子男之助を演じたとき、二代目団十郎とついに喧嘩別れとなってしまいました。そのとき二代目が、「以後、市川家の三升の紋の使用はまかりならぬ」と申し渡すと、団蔵は三升の紋に「一」の字を引いたという。その後、間に立つ人がいて、二人は十六年後の享保16年(1731)にようやく和解し、団蔵はまた三升を用いるようになりましたが、枡の形は正方形にしないで、縦長の三升にしたという説があります。

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